1.
下ネタが小さじ半杯くらい入りますのでご容赦ください。
「秋入学?」
その話を莉愛さんから聞いたのは、三人とのゴタゴタがあってから一週間ほどしたころだった。
ここ数日、見事彩菜の口車に乗せられた俺は、彩菜と二人でちょいちょい夕食を(煩悩と戦いつつも)作っていたわけだが。
今日は莉愛さんのお仕事のほうも空いているということで、久々に一緒で食事をするとになった俺たち三人は現在、若干煮崩れた肉じゃがの載ったダイニングテーブルを囲んでいる状態にある。
「そうそう、八月の上旬くらいに試験やるんだって」
「そんな制度、あそこにあったんですね……」
莉愛さんが言った秋入学とはもちろん日農大への話で、どうやら国際化やらなんだかの試みとして、日農大は十月に入学できる特殊な入試システムを持っているらしい。
「どう、受ける?」
「もちろん受けます」
むしろ受けない理由はないので、俺は即答する。
「願書受付が六月くらいまでだから、忘れないようにね」
「了解しました」
ありがたい情報に俺は頭を下げつつ答える。と、俺はもう一人の存在をまたしても置いてきぼりにしていることに気付く。
「そういえば彩菜、大学生活どうだ?」
「ん、なかなか楽しいよ」
よかった、まだ拗ねてはなかった……と安堵しつつ、俺は話を続けた。
「なんかサークルとか入ったんだっけ、お前夜はたいてい家にいるけど」
「えっとね、私サークルは朝しかないやつだから」
「ふーん、で、何入ったの?」
「馬術部」
「……馬術……馬術か」
予想より斜めをスレスレ低空飛行していく返答に、俺はほんの少し詰まりつつ返す。
「なんか意外だな」
「ま、私も最初は入ろうと思ってなかったし」
「なんで馬術にしたんだ? 他にもあったろうに」
「朝だけの運動系のサークル探しててさ、ちょうど新歓やってたから飛び込んでそのまま入部って感じ。ほら、馬って朝型の動物だから夜は練習できないし」
「ふーん、それにしてもなんで朝なんだ?」
「え、なんでって?」
「いや、普通に夜のサークル探せばよかったのに」
「…………」
至極全うな意見だと思ったのだが、それに反して彩菜は口をつぐんでしまう。なんか「だって……」とか「夜は……」とかなんかボソボソと言ってるが、上手く聞き取れない。
何かまた気に障ること言ったかな? とか思った俺は、別に言いたくなきゃいいんだとだけ言って、また食事に戻る。うん、美味い。
ちょっとみりんが多すぎたかもしれない肉じゃがだが、案外おいしく出来てるじゃないか。やっぱりこいつ、もともと料理「しない」だけで「出来ない」じゃなかったんだよな。
ということで、機嫌を取り戻してもらおうと俺は声をかけてみる。
「彩菜、この肉じゃが上手く出来てるぞ」
「ほぇっ!? ああうん、ありがと」
「……お、おう」
なんだよ今の「ほえっ!?」って声。くっそ可愛いな……じゃなくて、なんで素っ頓狂な声上げたんだこいつ。
今ちょっと心の声が漏れかけたけど、最近こいつを意識しすぎちゃってちょっとヤバいなと思っている自分がいたりする。前は負い目みたいなものがあったから、それがストッパーみたいになってくれて全く意識していなかったけども、それがなくなった今、ちょいちょい暴走しそうになる自分がいて。
だってさ、この間トンテキ作ってるときなんてさ……
* * *
「それじゃあ下味付けておくから、その間に達也くんキャベツ切ってもらってもいい?」
「いやそれ逆だろ、面倒な作業押し付けるな」
「えー」
「えーじゃない」
「だってさー、達也くんの切った千切りキャベツ、美味しいんだもん」
「千切りキャベツに味もクソもあるかっての」
「あるよー……ね、おねがい♡」
「そうやってハートマークつけて甘えてもムダ。ほら包丁」
「むぅー………………そうだ、それじゃあ一緒にやろうよ」
「……一緒、って?」
「私包丁苦手だから、達也くん私の手握って包丁動かして」
「……そんな子どもじゃないだから、それくらい一人でやるれよ……」
「なんか日本語おかしくなってるけど大丈夫?」
「ヘーキヘーキ、ホラハヤク」
「やーだーっ、私達也くんと一緒にキャベツ切りたいーっ」
「…………あのなぁ……」
* * *
……ってことがあったりとかさ。なんだよあいつ、誘ってんのかよおい。
いや、本心から言ったらもう喜んで指南させて頂きたかったよ? だけどさ、それって必然的に彩菜の後ろから俺が覆いかぶさるというか抱きつくみたいな形になるじゃん、そしたらめちゃくちゃ密着するじゃん、そしたら俺の股間の…………
…………っと、下ネタはやめておこう。ご飯中だし。
とまあそんなことが往々にしてある俺たち夕食同盟、早々に俺の欲望のままに彩菜を食べてそのまま破綻みたいなバッドエンドが見えてまいりました。頑張って耐えていく所存です。
「あ、そういえば達也くん秋入試受けるんでしょ? 勉強見てあげよっか?」
「ほぇっ!?」
「なんでそんな驚いてるの」
危ない危ない、アブナイ妄想してたら彩菜とお揃いの反応を返してしまった。とりあえず俺は軽く深呼吸し、斜め前から飛んでくる莉愛さんの怪訝な目線にもめげずに返答する。
「すまんすまん、それでなんだっけ」
「だからー、私が勉強見てあげよっか?って話」
「……お前そんな頭いいの?」
「一応お姉ちゃんの妹だからね」
えっへん、と若干出っ張った胸を反らせて強調する彩菜。
「ありがとうございます、二重の意味で」
「訳が分からないよ……」
「まあいいや、でも本当にいいのか?」
「ん、ご飯作り終わった後とかなら全然いいよ。まあ精々二時間くらいだけどね」
私朝早いから最近十時には寝るようにしてるんだ、と続けた彩菜。まあ煩悩云々の話を除いても、現役大学生から勉強を教えてもらえるのはありがたいので、頼む、と口にして素直にお願いすることにする。
しばらくそんな雑談が続き、俺と莉愛さんは大皿の中身を空っぽにしたところで箸を置く。
「ごちそうさまでしたー」
そして彩菜が最後の白米を一口食べ、全員の食事が終わった。いつも通り俺は空いた食器を持ってシンクにそれを置き、スポンジに洗剤をつけて水を流し始めた。
「達也くん、私やろうか?」
「いいですって莉愛さん、こういうのは任せておいてください」
「いやそういうわけにはいかないよ、こっちだってタダ飯食わせてもらってるんだから」
「タダ飯って、ちゃんと食費は頂いてますから……」
「いいからいいから、ほら代わった代わった」
莉愛さんは半ば強引に俺を台所から押しのける。特段固辞する理由もなかった俺は素直に礼を言い、彩菜の座るダイニングテーブルへと腰掛けた。
「それじゃあ今日の反省会、やるぞ」
「はーい」
ぱたぱたと足をバタつかせながら気の抜けた返事をする彩菜。一応ご飯の特訓をしている以上、いつも俺たちは炊事を終えた後に反省会を行うことにしているのだ。
「まず失敗したところ、あるか?」
「うーん、若干塩っ気足りなかった?」
「いや、俺はあのくらいが好みだぞ? 味付けは後から濃くすることは出来ても薄くは出来ないから、薄味を念頭に置いて作ったほうがいい」
「うーん、そっか」
「もしも食べる人が高血圧だったりしたら、逆にほんの少し濃い目に作ったほうがいいんだけどな」
「え、薄く作ったほうがいいんじゃないの?」
「そう思うだろ? もちろん本当はそっちのほうが体にはいいんだけどさ、薄く作って後から食塩だなんだと味を足されちゃうと、かえってそっちのほうが塩分多くなっちゃったりするんだよ」
「ふーん、そんなもんなんだ」
料理用の調味料と食卓用の調味料、たとえば粗塩と食塩の間には、味の濃さの違いはあるものの塩分含有量に大差はなかったりする。これは食卓用調味料には他の味がするものを混ぜて味をぼやかしているため。
「というかなんでそんな高血圧の人に詳しいの」
「うちの父親がそうだったんだよ、それで料理作るときは結構そう言われてたんだ」
「なるほどねー」
「それに将来、お前が結婚した相手とかがそうだったら気遣いが出来る人って喜ばれるだろ? そういう知識はいろいろ付けといたほうがいいぞ」
「………………うん」
そうとだけ言って、彩菜はまた押し黙る。
え、またのかよおい。今は別にそんな爆弾踏んだ感じはしなかったんだけどなぁ……と思いつつ、そうこうしているのも手持ち無沙汰なので俺は話を進めることにした。
「で、他に反省点は?」
「あ、うん、えーっとねぇ…………そうだ、砂糖が少し多かった?」
「いや、砂糖の量はあれでいい。けど、今回ちょっとみりんが多かった感じはしたな」
「そっかぁ、みりんかぁ」
「みりんはめんつゆカレー粉と並んで三大便利な調味料だけど、使いすぎると酒臭く感じるし味も甘くなるから気をつけろ」
「了解。あとは…………今日はこれくらいかなぁ、ジャガイモ煮崩れたのも芋男爵買って来ちゃったせいだと思うし」
「あぁ、俺もそう思う。それじゃあ……明日は何にするか、だな」
「そうだ、ごめん私、明日は友達と遊んでくるんだ」
「お、そうか。それじゃあ次、いつにする?」
「うーんとね、それじゃあ明後日でお願い。それと、次は私、自分で最初から最後まで作ってみたいな」
「おう、そうか。若干怪しいけど……まあいっか、それじゃあ期待してるぞ」
「うんっ」
そこまで話して、背後で蛇口が捻られる音がする。
俺は莉愛さんに改めてお礼を言って、そこで今日の夕食会は解散となったのであった。




