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夕食同盟!  作者: やぎこ
プロローグ
1/42

1.

 人生の岐路、という言葉がある。

 それは結婚にしろ就職にしろなんにしろ、人生を大きく変えるタイミング、分岐点を指して使われる言葉だ。そしてそれは、たいてい予想だにしないタイミングで起こる。

 身長171cm、体重65kg、趣味は料理。そんなザ・平凡のこの俺にも、やっぱりその分かれ道はは来てしまうようで。

 そして俺は今、その分岐の結果、

 「…………な」

 一年間の寄り道を余儀なくされようとしていた。


 看板に「日本農業大学」と書かれた、全国有数の敷地面積を誇る国立大学に今、俺はいる。

 都内有数の大自然。そんな謳い文句を掲げた雑木林に囲まれ、駅から徒歩二十分を誇る絶妙のアクセスの悪さ。そんな不便な場所にもかかわらず、掲示板の前はたくさんの同世代たちで埋め尽くされていた。

 俺はその混雑に近寄って見ようにも近寄れず、仕方なく遠めからその番号の羅列を見ていた。

 じっと見た。めちゃくちゃ見た。

 ……が、どこにも自らの持った番号は見当たらない。

「……見間違いかな……?」

 自慢ではないが、視力は両目1.5ある。割にいいほうだと思っていたが、あまりアテにはならないと感じた。そのくらい、目の前の事実が信じられないのだ。

 今日はこの農大の合格発表日。前期試験しか出願していない俺には、今日この日こそ、まさに運命の分かれ道。

 目の前にいた人々が少しずつ掃けて人口密度が少なくなると、自分の目のピント調節機能が故障したことを信じて、おぼつかない足で掲示板の前まで歩いていき、張り出された合格番号リストを間近で再び見る。

 そりゃもう、穴でも開けてやろうかってくらいにはじーっと見る。祈りながら見る。

 ………………が、やっぱり自らの番号はなく。

「……おっかしいなあ」

 もう一度手元の受験票の番号を見る。112302。間違いない。

 そして掲示板の張り紙を見る。113198、113199、113201、113205…………以後続く。

 自分の番号は見事に飛ばされていた。つまり、つまりは……

「落ちた、のか」

 不合格。まあつまりはそういうことだ。信じられないけど。

 いったい何が自分の身に降りかかっているかを理解した途端。今までのいきさつが、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡っていく。


 去年の四月から約一年間、ほぼ毎日予備校に通い受験勉強をしてきた。友達の誘いを断った日も多かった。授業のない日だって自習室に通った。

 その結果あってか、センター試験を自己採点した結果、判定はAランク。文句なしの合格安全圏内だった。しかしそこでは油断せず、そこから一ヶ月の間、今までに輪をかけてみっちりと問題演習に取り組んだ。過去問は問題を覚えるくらいやった。苦手な微積分も克服した。

 受験の当日の体調は万全だったし、試験自体もかなり上出来だった。

 自己採点では八割方の点数が取れてたので、もう合格は間違いなし、との見切り発車により、一人暮らし用の家具やらなんやら、必要なものを用意した。

 ここから歩いて十分もかからないところに賃貸の契約も済ませた。もう電気水道ガスは通したので、荷物を持ってくればもう住めるくらいにはしてあった。バイトも近くで見つけて、面接も済ませた。

 今日はこれから、家族からの合格祝いに、銀座まで寿司を食べに行く予定だった。なんと一貫五百円くらいの回らないやつ。とても楽しみだった。だった、のだが……。

 

 今はもう、そんな気分ではない。

 どんな気分かって? そうだなあ、心が漬物石のように重たいとだけ言っておこうか。

 俺は、恐らく傍から見たら人生の終わりを迎えたかのような沈痛な面持ちでその場を去ろうとして、

 ……一応もういちど、奇跡を信じて合格者リストを見てみる。


 が、まあ当然のごとく、そこに113202はなかった。


 * * *


 あれから二日が経った。

 相変わらず家族からの目線は痛い。まあそりゃ完全に大学生活の準備すませちゃったあとだったし仕方ないとは思うが。

 あんなに大口叩いてたんだもん、そりゃあなあ。ああ、思い出すだけで吐きそうになる。

 そして、そのビッグマウスな当の自分だが、

「あんたそろそろ準備しなさいよー、明後日でしょ」

 ……絶賛ニート中だった。

 部屋の外から母親に声をかけられ、仕方なくもぞもぞと布団から這い出る。無理に部屋まで入ってこないのがありがたい。

 今両親と対面で話せるほど自分、メンタル強くないんで。まあ端的に言って気まずいっすね、はい。

 カーテンを閉め切っているせいで六畳半の自室は仄暗いが、時計を見るに現在、すでに昼の三時。

 が、なんとなく部屋を出る気もカーテンを開ける気にもなれず。

 なんとなしに部屋の中を見回してみると、まだ箱詰めできていない洋服やら本やらなんやらが放置されていた。二日前、ウキウキで家を出たときのままだ。

「…………」

 やるせない気持ちになって、はぁ、と息を吐く。

 明後日、俺はこの東京都二十三区下にある平凡な住宅街の一戸、住み慣れた一軒屋を出家……もとい転居することになっている。引越し業者も手配済み。

 先日受験した大学が、都内とは言っても限りなく左端に近い都内であったため、大学生活に支障をきたさないように、と両親が大学の近くに一人暮らし用のアパートを手配してくれたのだ。

 何で引っ越すのかって? お前大学落ちただろって?

 いい質問ですねー。

 実はですねー、大学には見事落選を果たしたものの、新居の契約はもう済ませてしまっていたためですねー、転居する以外に選択肢はないんですねー、はい。

 だけど当然、そんな半強制的な引越しに、自業自得とは言えやる気など起きるわけもなく。ただひたすら現実逃避を繰り返す日々なわけです。

 こういうとき、学校が卒業式まで休みってのは本当にありがたい。

 とりあえず体を起こしてぼーっとしてるのもシャクなので、声をかけてくれた母親に少し罪悪感を覚えながらもその声を無視して、もう一度布団に篭ってぎゅっと目を瞑り、まどろみに体を預けようとする。

 ………………しかし、そんな都合よく眠気など訪れてはくれず、ただただ、ざわざわと心が波立つばかり。

「はぁ……」

 思わずため息をついてしまう。

 こういうとき、さめざめと泣けていれば、もしかして楽になるのかもしれないなあとかぼんやりと思う。が、元々涙のストックは少ない上、もう二日前の夜には枯れ果ててしまっていた。

「くそっ……」

 仕方なく、何かを絞り出すように、小さく呟く。

 少しは気が晴れるかと思ったが、むしろ逆に不快感が増していくだけだった。

 胸のざわつきを収めるべく、次いで軽く深呼吸をしてみる。しかしまあ、そんなもので何かが解決するはずもなく。代わりに考えたくないことばかり考えてしまう。

 考えるのは今の、このやるせない感情。この一年間が全て無駄になったような感覚。そしてまた一年間、この生活を続けなくてはいけない悲壮感。いや、事態はもっと悪いかもしれない。

 家賃は援助してくれるものの生活費は出してくれないという両親の決定意思上、一人で生きていけるだけの資金を稼ぎながら、という条件付きで。それもあの大学のすぐ近く。

 いや、ものすっごく恵まれた環境におかれてることは分かってるんだけどさ……。

 自分の気がおかしくならないか、全くもって今から心配だ。

 そういえば受験の二日前に受けたバイトの面接は合格してしまったらしく、初出勤の日取りまですでに決めてしまっている。

 とどのつまり、もう後戻りは出来ない。

「……くっそ」

 もう一度小さく呟く。この状況、果たしてどう転ぶやら。


***


 そしてさらに二日、三月もそろそろ中旬に差し掛かるかといったところ。

 窓の外は、春とはまだ言いがたいものの、いつもよりもぽかぽかとした陽気に包まれていた。

 そんな新しい季節の到来を予感させる空気の中、昨晩の突貫工事であらかたの荷詰めを終えた俺は、手配した引越し業者の軽トラックに荷物を乗せて見送ったあと、自室で少しの日常必需品をリュックに詰めていた。

 時は薬なりとはよく言ったもので、どうにかこうにか気持ちを持ち直して浪人生活を受け入れた……もとい何も考えないようにした俺は、持ち前のポジティブさ(笑)を生かして新生活に胸を痛ませ……いや、躍らせながら、当面の着替えを押し込む。

 学習机やクローゼットが運び出され、持って行かないカラーボックスやクローゼットだけが残り、ほぼがらんどうになった部屋。

 ふと視線を上げてその事実を見付けた俺は、少し寂しい気持ちになって一瞬手を止め、

「……おっと」

 その感情を振り払うようにしてぷるぷると頭を振り、収納を再開する。

 

「よし」

 残していくものを押入れに仕舞い、英単語帳とスマートフォンの充電器をリュックの脇にある小さなポケットに入れ、俺はいよいよ荷造りを終えた。

 これでもうこの部屋に用事はなくなったのだが、ついつい名残惜しく、なんとなくいつものように居座ってしまう。

 カーペットが取り払われて剥き出しになったフローリング。手のひらで床を撫で付けながら、そこに腰を下ろして少し休憩していると、自然といろいろなことが思い起こされた。

 最初は小学校に上がったときの記憶。

 自分のスペースが持てることがやけにうれしくて、わいわいとはしゃいだ覚えがある。今でも覚えてるくらいだ、十年ほど前の自分にはよっぽどうれしかったのだろう。

 友達を呼んでテレビゲームをした記憶もある。プロレスの真似事をして、能面のような顔をした父親に静かにしろと怒鳴られた記憶もある。

 中学時代、当時好きだった女の子を部屋に呼んで、煩悩と必死に格闘した記憶もある。コンビニで買ったエロ本をつるんでた奴らと見た記憶もある。

 ……どれもこれも、今では手の届かない、痒くて懐かしい思い出。

 年は取るもんだ……、とかなんとか、十代の人間には似つかわしくないことを思っていると、特急電車が出る時間が近づいていた。これを逃すと三十分は到着時間が変わってきてしまうので、そろそろ家を出なきゃいけない。

 仕方なくリュックを片手に立ち上がって、自室を出ようとドアノブに手をかける。 

 ……が、なんとなく心残りを感じて、

「……ありがとうございました」

 くるりと一回転、誰にでもなく、自分にけじめをつけるために小さく礼をする。

 そして隅々を見渡し、その光景を脳裏に焼き付けて、

「よし、行こう」

 それから、今度こそ部屋を出た。


 階下に降りようとすると、階段の正面に位置する玄関で両親が待っていた。どうやら息子の勇姿を見送ってくれようとしているらしい。

 ああ勇姿だとも、異論は認めない。

 ちょっと大きめに音を立てて段差を一段一段降りていくと、その音に気付いたのか、二人ともこっちを一瞥して、何も言わずにさりげなく道を開けてくれる。いつもなら「静かに降りろ」とか言うのに。

 小言を言われないのはありがたいが、今はその気遣いが痛いぞ二人とも……!

「お待たせー」

「ん、ああ」

 全部の段を降り終わってから、いつも通りを装って軽く詫びの言葉をかけると、ぶっきらぼうに父親が返事をする。母親は少し困ったように微笑むのみ。何か続けて声をかけようとするも気まずく、なんとなしに躊躇われてやっぱりやめる。そして、沈黙。

 きっと二人も俺に気を遣ってくれているのだろうが、こんな感じで我が家にはここ数日間、この「なんとなし」の家族内不和が訪れていた。それを象徴するかのように、玄関の沈黙は続く。

 ……やっぱり、少しくらい何か言ってくれたほうが、気は楽なんだけどなあ。言われすぎもいい気分はしないけどね。

 とまあ、突っ立っていてもしょうがないし、俺はその二人の横をすり抜けて、玄関の段差に座って靴を履きはじめる。

 左足の靴に足をつっかけ、靴紐を一旦解いてからしっかりと履き直す。ちょうちょ結びをして足を固定、同じように右足も靴を履く。時間にして、およそ三十秒ほど。

 この間、完全に無言。

 ……いい加減いたたまれないので、仕方がない。

 作戦A、コードネーム「普段どおりを心がける」を破棄、作戦B、コードネーム「無理やり明るく」を実行に移す。

 右の靴紐を結びなおしてから立ち上がると、二人のほうへ、とびきりの笑顔で向き直る。

 いきなりの息子の変貌に対する両親の怪訝な顔を認めると、

「んじゃあ二人とも、また会う日まで」

 いつもより三段階くらいテンション高く口火を切る俺。ついでに敬礼もしてみる。

 少しおどけたような仕草に驚いたのか、鳩が豆鉄砲をくらったような、とでも形容されるような表情で父と母はこっちを見た。

 そして後ろ手でドアに手をかけ、

「いってきます」

 と、声をかける。

 そんな俺に二人は顔を見合わせて目をぱちくり、そしてしばしの沈黙のあと、少しずつ柔らかな笑顔になり、最終的にはいつもより二段階くらい上の笑顔で答えてくれた。

「いってらっしゃい」

 そうこなくっちゃ。俺は回れ右をして、いつもの玄関を飛び出していった。



 と、いうわけで。

 この物語は、食べること料理すること大好き、職業浪人生な十八歳、瀬川(せがわ) 達也(たつや)が送る、大鍋いっぱいの恐怖と焦燥と混沌……ではなく。


 夢と希望と美味しいご飯で彩られた、人生をほんの少し変える、寄り道を綴ったお話である。



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