『やばい』はやばくないこともある、の巻
思うところあり、少し手直ししました。あしからず・・・。
たとえば、今時の若者と初めての料理を食していたとしよう。
一口食べて彼がこう言う。
『うゎ、なにこれ、超やばい! ね、食べてみ?』
数年前の私だったら、
(ちょっとぉ、やばいものなんて食べられないよ。お腹でもこわしたらどうすんの)
とでも言いたくなるところだが、さすがに最近はすんなり受け流す事が出来るようになった。
『ホントだ。美味しい!』
『受け入れる』のではなく、『受け流す』のだ。
言わんとしている意味は判るし、
ある一定の世代では自然な表現として使われているのも知っている。
でも、決して自分が『やばい』をそういった肯定的な場面で使う事はない。
だから、『受け流す』のだ。
でも、その使い方を頭から否定するつもりもない。
誰が使い始めたかは知らないが、突然湧き出した、
どうにも表現しがたい肯定的な気持ちを表わすのに、
これほどまでに有効な言葉があっただろうか。
かなり絶妙だと思う。
使ってみたい気もするけれど、
(いい年して、無理しちゃって!)とでも思われたら恥ずかしいし、
正直自分が使うには不似合いな言葉だろうなと思うと、とても口に出せない。
最近の私のモットーは『無理しない』である。
そう考え出すと他にも同じような日本語がいくつか思い当たる。
女子の使う『うまい!』、もしくは『うまっ!』
食べ物を食しての『うまい』は勝手に男言葉だと思っているのだ。
それから、『うざい』に「超○○」
まぁ、ここまではいいとしても、
『むずい』に『めんどい』
さすがにこれには、違和感を感じざるを得ない。
省略するにしても、大して短くなってないんじゃない?
と思うのは私だけだろうか。
『食べられる』を『食べれる』
『見られる』を『見れる』
と表現する、いわゆる「ら抜き言葉」が世代を超えて常用されるように
これらの言葉も普通に使われる時代がやって来るのだろうか。
確かめたいような、確かめたくないような・・・。
複雑な気持ちの今日この頃である。