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夢のひととき

このエッセイの第2話目、「私を小説に向かわせるもの」という章に登場する『美しい人』。

その『美しい人』を実際に生で見る機会に恵まれた。


まあ、ここまでは言っておこう。

想像がついていたかもしれないが、その人は俳優である。

その人の出演する舞台が、我が町K市にやってきた。

その舞台がやってくると知ってから、実際に観劇を終えた今までの自分の心の動きと行動が

客観的に見るとちょっと面白いなと思ったので、ここで綴ってみようと思う。


これを、「そうそう、ファン心理ってそんなものだよね」と捉えるか、

「何それ、変態じゃないの?」と捉えるかは、どうぞご自由に、といったところだ。


その舞台がやってくると知ったのは、半年以上も前の事だった。

仕事の昼休み、携帯でメールチェックをしていたら、その人のブログが更新されたとのお知らせが。

タイトルを見ると、「スタッフよりのお知らせ」となっている。

ご本人の更新でない事に少しがっかりしながらも、内容をチェックしてみると、

舞台の全国ツアーが決まったとの事。

全国ツアーといっても、我が故郷S県は、大都市の狭間に位置しているせいか、

その手の公演は省略される事が多い。

だから、今回も(あぁ、どうせ行けないな)と思いつつ、どこでやるのかなぁと日程を確認したのだ。

すると、S県の文字を発見。(へぇ、来るんだ)と思いつつ、会館名をチェックすると、

自宅から10分程で行ける地元の会館名が。

私は目を疑った。最近、どうも近くが見づらくなっている。見間違いなら、それでもいいともう一度

画面を凝視した。やっぱり、間違いない。

私は、誰もいないトイレで「嘘!」と口に出していた。

いや待て、確かこの公演はWキャストだったはず。だとすると、その人が来るとは限らない。

恐る恐るキャストスケジュールを確認する。


これは、夢か。夢ではないとすると奇跡だ。と私は思った。

でも、夢なら覚めるまで、奇跡ならそうそう何度もある事ではないのだから、存分に楽しもうと心に決めた。

その日から、私の「観劇大作戦」が始まった。


まずは、仕事の算段だ。折しもその日は祝日だったが、通常私の勤める会社は祝日は出勤日だ。

休暇を取らないとダメかな、と思いつつ年間カレンダーを確認すると、日付が赤字で書かれている。

よし、まずは第一段階クリアだ。


次はチケットを確保しなければ、お話にならない。

私は、チケットの予約方法を確認する。なるほど、その会館には『友の会』というものがあり、一般販売よりも少し早く、しかも会員割引でチケットを手に入れられるらしい。しかも、年会費や入会料は無料だそうだ。よし、これに入ろう。私は会館に『友の会』への入会方法を確認し、ネットで会員登録を済ませた。

そして、会員のチケット予約日を確認する。う~ん、平日の朝9:00からか・・・。私は少し考えた挙句、休暇をとることにした。幸い有給休暇はまだ余っていたし、少しでも良い席を確保するためならそれくらいいとわなかった。何しろ、そうそう何度もある機会ではないのだ。


そして予約開始日当日。

私は朝起きるとすぐにパソコンを立ち上げ、いつも通り朝ご飯の支度を済ませると、父親をデイサービスに送り出した。そしてパソコンの前で予約開始時刻を待った。

9:00ジャスト、購入サイトがアップデートされると同時に、購入手続きに入る。購入までの操作は他のチケットでシミュレーション済みだったから、戸惑う事はなかった。

購入手続き完了。ものの5分で購入手続きは完了した。その時点ではどんな席が取れているかは判らなかったが、とりあえず、第二段階クリアだ。


チケットの受け渡しはそれから1週間位経ってからだった。チケットの受け渡しに来る人でさぞかしごった返しているだろうと予想していたが、会館の事務所は閑散としていた。まぁ、チケットの受け渡しは郵送でも出来るから当たり前か、とどうでもいい事に納得しながら、職員に声を掛ける。

職員は氏名を確認すると、あらかじめ仕分けされていたチケットを取り出し、

「こちらですね。お席の方は1階席の前から2列目のこちらになります」と言いながら、観客席の見取り図を指差した。見ると、確かにセンターブロックの前から2列目、しかも私の好きな端の席で、文句のつけようがないほどの良い席だった。

「チケットの売れ行きはどうですか?」という私の問いに職員は、

「1階席の前の方は既に売れていますが、お客様のお席はきちんと取れていますから大丈夫ですよ」と答えた。

そう、それは判っていた。私の問いの真意は、その人に満員の会場で演技をさせてあげたい、という勝手な親心だったのだが、さすがに職員には伝わらなかったらしい。我ながら大きなお世話にも程がある。私は曖昧な笑みを浮かべて、礼を言って会館を後にした。

その後は、いつも大切なものをしまっている鏡台の引き出しにそのチケットをしまい、時折その引き出しを開けてはニヤニヤする日々を過ごしていた。


そんな私に微妙な心境の変化が訪れたのは公演のひと月位前の事だった。公演当日迄にまだ色々とやっておかなくてはいけない事に気づいたのだ。


まずはコンタクトレンズの調整だ。視力を最善の状態にしておかなくては折角の観劇が台無しだ。

少し前に遠近両用のコンタクトレンズにしていたのだが、遠近両用とは言っても遠近どちらもくっきり見えるというものではないらしく、どちらもほどほどに見えるようにするというのが遠近両用コンタクトの特徴らしい。そうは言っても、その「ほどほど」の中でも最上級のレベルにまでは持っていきたい。

私はかかりつけの眼科に予約を入れた。


そして美容院探し。私の髪は一見ストレートのように見えるが、湿気のある梅雨時などは、うねるは膨張するはで最悪の状態に陥ってしまう。これを今までは行きつけの美容院でカットの技術で何とかしてきたのだが、少し前にその美容院が店を閉めてしまったのだ。この頭なんとかしなくちゃ、綺麗に見せるとかいう前に身だしなみにひっかかるレベルだった。


加えて、着ていく服に履いていく靴。そんな事まで考え出したら(もう行くのやめちゃおうかな)などと割と本気で考えてしまう自分がいる事に気がづいた。

でも、当然の事ながらそんな時、

(何馬鹿な事言ってるの!こんな機会そうそうあるもんじゃないんだから)と叱りつけるもう一人の自分もいたりして、マリッジブルーとはもしかしてこんな感じなのか、と思った時期もあったのだ。


とにもかくにも、何とか課題を一つずつをクリアしていって公演当日を迎えた。


その日は朝ご飯の支度をしたら、あとはなんにもしない、公演が終わって帰宅するまでは私だけの時間と勝手に決めて、午前中から出かける支度に余念がなかった。当然会場にもかなり早く到着してしまい、梅雨明けしたばかりの晴天の中、外のベンチに座って待つ事に。でも不思議と暑さは感じなかった。


そして、ようやく開場の時間になり、改めて自分の席を確認した。


「ん~、近い」

その会館には何度か出向いた事はあったが、やっぱり前から2列目は近かった。

これなら、遠近ほどほどが限界の遠近両用コンタクトでも大丈夫。たとえ舞台の端っこの一番奥にその人がいたとしてもちゃんと確認できそうだった。

そして配られたパンフレットに目を通しながら、またもおかしな感情が湧いてきた。

「このまま時が止まればいいのに」

ちょっと待て。まだ始まってもいないのに、今時間が止まったらずーっと会えないままじゃん。

今冷静に考えればおかしい事に気づくのだが、その時の私は(もうすぐ会える)と思うだけで、心は十分満たされていたのだ。


そして、いよいよ舞台が開演した。

私はすぐにその舞台の世界に引き込まれていった。

するとしばらくして、その人が私の眼の前に突然現れた。まぁ、台本通り舞台が進行しただけであって、突然でも何でもないのだが、私にはそう思えたのだ。そして現れたその人の姿はテレビやDVDそのままだった。まるで、私の前に巨大なスクリーンがあって、映像で映し出されているかの様だった。

なぜか、それくらい現実味がなかったのだ。


私が現実から取り残されている間に、時は着々と過ぎ、あっという間に舞台は終演した。

私にできる残された事は、カーテンコールに現れたその人に、掌が痛くなるくらいの拍手を送ることだけだった。


こうして私の「観劇大作戦」も成功のうちに幕を下ろした。

思うに、その人を知ったのも偶然、地元の会館でその人の出演する舞台が行われたのも偶然。

ひょっとするとひとの人生は、偶然という名のたくさんの奇跡から成り立っているのかもしれない。



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