それぞれの想い
寒い冬の夜、私は生まれて初めて救急車に乗った。
もちろん、私自身が運ばれた訳ではない。父親の付き添いである。
風呂で意識朦朧となり、出られなくなったのだ。
実際私自身も(こんな事で救急車を呼んで後で叱られやしないか)と内心思ったが、
その時の私にはそうするしかなかった。
いくら痩せ細った老人とはいえ、男である。
平均的な女性よりもかなり小柄な私と、足の悪い母親では、父親を風呂から引き上げる事は到底出来なかったのだ。
湯船に横たわった状態の父親のそばで、携帯電話で119番に電話を掛けた。
「火事ですか?救急ですか?」
電話口の相手の対応を聞いて、(あ、これテレビで聞いた事ある)と考えが及ぶ位で、
(よし、大丈夫。落ち着いてる)と思ったのだが、実際にはどこか平常心ではなかったのだと思う。
氏名や住所、今の状況などは的確に説明できたと思うのだが、救急車の到着を待つ間、どうしていたらいいんだろう、と。
すると、それを察したかのように、電話の相手は続けてこう言った。
「お父さんはまだお湯につかった状態ですか? だとしたら、湯船のお湯を抜いて下さい。
そして、そのままでいいのでタオルで体を拭いて、冷えないように毛布などを掛けてあげて下さい」
湯船のお湯を抜く。
お湯から出られないのだから、お湯の方を抜く。
冷静に考えれば、確かにその通りなのだが、全く思いつかなかった。
そして、言われた通りすぐにお湯を抜いて、ありったけのタオルと毛布を引っ張り出しているところへ、救急車のサイレンが聞こえてきた。
(そうだ、現場まで誘導してくれって言われてたんだ)
私は、サンダルをひっかけて慌てて玄関先に出て行った。
家の前に止まった救急車から3名の救急隊員が降りてきた。
「お父さんはまだ風呂場ですか? では、土足で失礼します」
そう言うと、2名の隊員が先に風呂場に向かった。
最後にやってきた最年長と思われる隊員からのいくつかの質問に答えながら風呂場に向かうと
既に父親は2名の隊員に抱きかかえられながら、浴槽の中で立ち上がっていた。
隊員達は脱衣所の椅子に父を腰かけさせると、パジャマを着せながら、血圧や脈拍などを素早く計測していった。そして、その数値を最寄りの病院に連絡すると、私達家族にこう言った。
「今は数値も落ち着いているので、病院に搬送するかどうかは、ご家族の希望で決めて下さい。お父さんの様子、いつもと比べてどうですか?」
その時既に父は二人の隊員に付き添われながら、居間まで歩いて移動すると、母が入れたお茶をすすっていた。父は、私達家族から見ても、さっきまでのぐったりした状態が嘘のように、いつもと変わらない様子だった。だから、救急隊員にはそのまま帰ってもらっても良かったのだが、その時の私には即答できないひっかかりがあった。そう、今は良くても数時間後にもし容体が急変して、また救急車を呼ぶ事になったら、さっき搬送してもらえば良かったのに、と後悔するかもしれない。大体救急隊員にとっても迷惑な話ではないか、と思ったのだ。
私が即答できずにいると、それも察したかのように隊員の一人がこう言った。
「今搬送しないで後で何かあっても、自分たちは今晩はずっと待機していますから、心配しなくても大丈夫ですよ」
何ともまぁ、仕事とは言え頼もしい言葉ではないか。
その言葉を聞いて私の腹は決まった。
「搬送して下さい」
とにかく、医者に診てもらって何もなければそれで安心ではないか、と思ったのだ。
そこからがまた慌ただしかった。
何を隠そう、私は既にパジャマ姿だったので、まずは自分が着替え、父が寒くないように上着を用意し、私達は救急車に乗り込んだ。
父は、移動中も血圧や心拍数をチェックしてもらいながら、どこか不安気にベッドに横たわっていた。
私はというと、サイレンを鳴らしながら走っている救急車の中で、(あ~、たいして急病でもないのに、ご通行中のみなさんすみません)と思いながらも、車内の機器類を物珍しくきょろきょろと見回していた。普段行き慣れているはずの病院がやけに遠く感じた。
病院に到着する少し前に、隣に座っていた隊員が、「今日は土足で上がり込んですみませんでした」と話しかけてきた。こちらから頼んで助けに来てもらったのだ。そんな事で文句を言う筋合いではない。私は隊員の心配りに改めて恐縮してしまった。
病院に到着し、救急処置室に通されると、リーダーと思われる救急隊員が、自分よりも明らかに若いであろう医師に状況を説明していた。
「到着した時の状況は?」
「お湯の抜かれた浴槽の中で裸で座っていました」
「何それ、服くらい着せてあげればいいのに。こういう呼び出しって結構あるんすか?」
「いや、あまりないですね」
私は、このやり取りを聞いて無性に腹が立ってきた。
ひとつは、「服くらい着せてあげればいいのに・・・」という発言だ。
そう、それが出来るくらいなら救急車など呼ばなくてもいい。それが出来ないから仕方なく来てもらったのだ。
そしてもうひとつは、医師の救急隊員への態度の横柄さだ。
本人にはそういうつもりはないかもしれないが、どこか医師である自分の方が立場が上なのだと言いたげな風に聞こえてならなかったのだ。
「どうぞ、こちらに座ってください」
一通り血圧や脈拍などを再度計測し、足や腕の曲げ伸ばしなど基本動作が出来るかを確認すると、医師は私に自分の前の椅子を勧めた。
私はと言えば、父の容体が回復した安心感が医師への怒りにすり替わったのか、イライラが頂点に達していたので、「いえ、結構です」と言ってそのまま立っていようとした。
看護師が慌てて「先生から、大切なお話しがありますのでね。どうぞ掛けてください」とフォローに入った。
医師からは、今のところ父の容体に特に問題はないが、今晩は時々様子を見て、変わった事があれば再度受診するようにと告げられた。そして席を立つと看護師に向かってこう言った。
「じゃあ、自分は病棟に戻ります。担当の患者が亡くなったんで」
私はハッとした。
身勝手なイライラをあらわにし、いい歳をしてなんと子供じみた態度をとった事だろう。
こちらにそれなりの事情や想いがあるように、医師である彼にも抱えているものがあったのだ。
医師にとっては、死に直面した入院患者に比べれば、父の容体など取るに足らないものだったかもしれない。
ただ、それでも医師ならば、病状の重さは関係なく今目の前にいる患者やその家族には、持ちうる限りの誠意をもって接して欲しい。
そして、同じように私自身も、職場や家庭、友人関係などそれぞれの場面で、相手を思いやる気持ちを忘れてはならないのだ。