親友、それとも友人
A:「どうして話してくれなかったの?」
B:「ごめんね、親友なのに・・・」
これは、ある映画の一節だ。
もしあなたがPINKY.さんなら察しがつくかもしれない。
高校の部活の人間関係に苦しみ、悩んだ挙句最終的に部活を辞める事を部員達に伝えるある映画のワンシーンだ。
私はこのセリフにふと違和感を感じた。
聞き間違いかと思ったくらいで、原作も読み返してみたがそのセリフは見当たらなかった。映画の脚本で新たに加えられたものらしい。
もし本当に私の聞き間違いだったらそれはそれで申し訳ないと先に謝っておこう。
誤解なきように断っておくと、その映画は本当に素晴らしかったし、有給を取ってひとりで観に行った価値のあるものだった。しかもその後すぐに上映が終わってしまい、あと数回は観たかったくらいだったので、本当に残念でならなかった。
DVDが発売されたら絶対購入するし、知り合いにも薦めたいくらいだ。
話を元に戻そう。
冒頭のセリフの背景として、Bは部活内で一番仲良くしているAがほかの部員と自分の陰口を言っているのを偶然聞いてしまってショックを受けるのだが、私がここで気になったのが『親友』という言葉だ。
私の中では、親友>友人>知り合いという感覚で、表面上自分と仲良くはしていても裏で陰口に加担しているような人を『親友』と呼べるのだろうかと思ったのだ。
今回のこのシーンで『親友』という言葉を使った意味は脚本家ご本人でなければ分からないし、そんな細かいことが気になるのは私くらいだろうから、これ以上掘り下げるのはやめておくが、この事から、はたして自分に『親友』と呼べる人はいるのだろうかと思い立ったのだ。
学生の時から連絡を取り合ったり、同期入社で今でも付き合いのある「友人」は確かにいる。
ただ、私の中でその人たちが「親友」なのかというと即答ができないのだ。
流行りのAIに「親友とは」と聞くと次の回答が返ってきた。
『親友とは非常に親しい友人のことで、心から信頼し、お互いを理解し合える関係を指します』
なるほど、これはますますハードルが上がってしまったぞと思った。
お互いを理解し合える関係、という事は双方が同じ思いでないと親友関係は成立しないという事だ。
自分の側がいくら「親友」と認識していても、相手側は「いやいや、ただの昔からの知り合いだし・・・」と思っているかもしれない。
はたまた、自分の側の思いによっては「私の方は何でも理解し合える親友のつもりでいたけど、そちらはその程度だったんだ」と相手を失望させる事にもなりかねないという事だ。
人間関係に古いも新しいもないかもしれないが、最近は本当に人間関係が複雑になっているような気がする。例えば会社の人間関係で言えば、数十年前までは上司と言えば年上と言うのが当たり前だったが、今では自分よりも年下の上司というのも全く珍しくない。
年上の上司と年下の上司、部下からしたら同じ「上司」に違いはないのだが、気持ちの面では少し違うのではないだろうか。それは逆から見た場合にも同じ事が言えるはずだ。
そんな複雑な人間関係の中で、「心から信頼し、お互いを理解し合える」人に出会えるのは一生に何度もあることではないと思う。そう考えると、そもそも出会いの少ない人生を送っている私のような人間に『親友』ができるのは奇跡的な事なのかもしれない。
ただ、この期に及んで親友の定義にこだわったり、私たちって親友だよねと確認し合うのも野暮な事だろう。
常日頃会えなくても、困った時には相手を気遣えるような関係の人が一人でもいれば、それでいいのかもしれない。




