コメントは小説よりもむずかしい
私が初めて自分で買ったレコード(CDではない)は、田原俊彦、トシちゃんの『哀愁でいと』だった。
ドラマ『3年B組金八先生』にはまっていたから、その影響だったかもしれないが、トシちゃんのレコードはその1枚だけだった気がする。
その後すぐにGODIEGOにはまり、彼らが活動を休止するまで、アルバムを中心にレコードを買いあさった。日本人が英語で歌うという事が妙に格好よく感じられ、ヴォーカルのタケカワユキヒデのルックスと甘い歌声に夢中になったものだ。
丁度中学校で英語を習い始めた頃で、be動詞ですでに落ちこぼれそうになっていた私が短大の英文科に入学出来たのも、GODIEGOのおかげと言っても過言ではないと思う。
昔話はさて置き、現在においても、自分に好きなアーティストやアイドルがいる場合、そのCDやDVD、グッズなどを購入したり、コンサートに行ったりといった事は今も変わらない。
だが、今はそれだけでは済まない。多くの場合、楽曲はサブスクにもアップされるから、ダウンロードしたりストリーミングで聴いたりすることができる。
そして、MVがYouTubeにアップされていれば、そちらもせっせと視聴し、推しがインスタグラムやXなどのSNSを開設している場合には、そちらももれなくチェックする。
そこで難しいのが「コメント」だ。
伝えたい事は色々あるのに、うまく書けない。
既にアップされているコメントを見ると、皆さん率直な推しへの想いを上手に綴っている。
そんな数多のコメントを読んでいると、「あぁ、私には無理だ。こんなに上手には書けないな」と思い、書いては消し、書いては消し、を繰り返してしまう。
普段は頼まれもしないのに、ただ好きなだけで厚かましくこんな風に文章を綴っているのに、だ。
まず気後れしてしまうのが、ほとんどのSNSが直接世界とつながっていることだ。
言語は違えど自分の書いた文章が一瞬で全世界に公開されてしまうのだ。
こんな恐ろしい事はない。
それに、推し本人もコメントをチェックしているかと思うと、何だかペンが重くなる。いや、この場合は指が重くなる、というのだろうか。
どちらにしても自意識過剰なのが原因なのは判っているのだが。
また、コメントは相手の顔が見えない。当然ながら、相手の年齢や性別、性格などもわからない。
だから、その言葉通りに受け止めてしまいがちだ。
少し厳しい発言があったとしても、よく見知っている人だったり、顔の表情が見える状況であれば
「あぁ、あの人は口ではあんな風に言っていても素直なだけで、悪気はないから気にしなくていいよね」
などと判る。
または、少し的外れな発言をしたとしても、周りの人は
「あぁ、またか。天然なあの人なら言いかねないよね」
で済ませてくれる。
だが、顔の見えないコメントは難しい。
幸いそれで炎上したりといった経験はないが、文字だけで伝えられる事はやはり限られていると思うのだ。
そういえば、社会人になりたての時に「メールは顔が見えないから気をつけなさい』と言われた事を思い出した。
逆に、自分の発した言葉が、自分の思惑以上に評価を頂ける事もある。
『言葉』って本当に難しい。
本来コメントは、推しへの気持ちをただ素直に綴ればいいだけなのかもしれない。
『いつも応援してます!』
『毎日癒されてます!』
『MVとてもカッコよかったです!』
『体に気をつけてね!』
でも、こんな言葉は、当たり前すぎて誰もコメントには書かない。
だから今日も私は、そんな色んな想いをたった1回しか押せない『イイネ』に込めて、ポチッとすることしかできないのだ。




