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諦めの悪い女は損をする?

最近、唇を噛むことが多い。

唇を噛む心理的な理由としては、怒りや悲しみ、悔しい想いなどのマイナスの感情が表に現れてしまうのを抑える事にあるそうだ。

確かに、私が唇を噛むのも認知症の母親とのやり取りの中での事がほとんどだから納得だ。

まぁ、私の場合は怒りを抑えようとして唇をかみしめても、結局のところ爆発してしまうのだが。


冷静な時に思い返して考えてみると、どうしてあんな事で怒っていたのだろうと、つくづく自分がいやになる。父親が認知症になった時も、同じように苛立ちを感じることはあったが、母親に対する苛立ちの方が強いような気がする。

どうしてだろうと考えてみると、それは父親と母親それぞれと私との関係性に起因しているのではないかと思い立った。


父親と私はお世辞にも良好な親子関係とは言えなかった。

父親は、口数も少なく真面目で、まさに『THE昭和』といった感じの人だった。だから子供にとってはどちらかというと怖い存在で、お互いにあまりコミュニケーションを取って来なかったような気がする。そしてそれは私が大人になると物の考え方も更にかけ離れていき、一緒に暮らしていながらもお互いにどこか遠い存在になっていった。


その半面、母親とは比較的考え方も似ていて、逆に会話が少なくても判り合えているような気がしていた。

しっかり者で忍耐強い母親のことを心のどこかで尊敬もしていた。


と、ここまで読まれた方は、(だったら逆ではないか?父親に対する苛立ちの方が強いのでは?)と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、自分なりに分析してみると、父親に対しては、たとえ何を言われようとも、(この人は所詮こういう人だから)という諦めがあって我慢できていたのだと思う。

だが母親に対しては、何かあると(こんな事言う人ではなかったのに)とか、(こんな事もできなくなっちゃったの?)という気持ちが先にたってしまい、それが苛立ちに変わるのだと思う。

結局私は母親の現状をいまだに受け入れられずにいる。

元の親子関係に戻る事を諦めきれないのかもしれない。


そして、『認知症』というのは、確かに病気の症状だけれども、それを患っている人の事は単純に『病人』とも呼べないような気がする。だから『病人相手にむきになるな』というのもどこか違うような気がして、なんだかモヤモヤするのだ。


「怒る」という行為は、当然ながら怒りをぶつけられた相手が一番傷つくのかもしれないけれど、それと同じ位怒った本人にも確実にダメージを与える。


何かを諦めるという事は一見後ろ向きな事のように思えるかもしれないけれど、諦める事で得られること、諦めないと『人』を傷つけてしまうことも、きっとあるような気がする。

そして、その『人』の中には自分自身も含まれているに違いない。

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