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側近

莉玲は彰麗とともに、許可を得てから佐帥の案内に従って自身の執務所に向かった。

 宮廷で執務所と呼ばれる建物には全て、地下に牢が造られている。今回のように問題を起こした貴族や官吏を、裁判が終わるまで収監しておくための場所だ。だから軍補の執務所にも、当然のように牢がある。もっとも、この牢が使われたのは莉玲の知る限り、今回が初めてのことだ。

 牢への入口は執務所の庭にある。庭の一隅に石造りの小屋のようなものが建っていて、頑丈な鉄の扉で常に外からしっかりと錠をしてあるのだ。いつもは入口の周りは無人だが、今は数人の兵士が剣や槍を携えて固く警備している。佐帥は彼らを労うと、先に立って扉の錠を開けた。金属のこすれる重苦しい音が響き、何の臭いか独特の臭気が漂ってくる。場所柄、充分に換気ができるところではないから、様々な臭いが溜まりやすいのだろう。

 入口は狭く、扉のすぐ先には石造りの急な階段が下へ向かって延びていた。莉玲は一人で階段を降りることができない。思わず途方に暮れたが、彰麗が莉玲の身体を抱え上げてくれたので、無事に階段を下りることができた。車輪つきの椅子も佐帥が抱えて階段の下まで下ろしてくれたため、莉玲は牢内でも自力で移動できる。莉玲が彼らに仕草で礼を伝えると、佐帥が先導して牢内の通路に歩を進めた。窓もなく、室内灯も設置されていない通路は暗い。佐帥の掲げる灯火だけが唯一の光源だ。それでも通路の右側に独房の扉が並んでいるのは確認できた。資料では確か、独房は三つあるはずだ。

 独房の扉は鉄格子でできている。おかげで扉が閉まっていても室内の様子を窺うことができた。内部には、ほとんど何もない。家具は一つもなく、奥のほうに見える厠と思しき小さな穴だけが異様に目立っていた。厠には仕切りも何もない。窓は勿論存在せず、天井近くに換気のためだろう、鉄格子入りの小さな開口部が設けられている。路上暮らしを経験した莉玲の目にすら、ここが人間の居住する空間とは思えなかった。

 恵昌は最奥の独房にいた。奥の壁に背を預けるようにして、静かに石の床の上に座っている。顔は俯いていて、表情はよく見えない。人が近づいてくる足音は聞こえていただろうに、顔を上げる様子はない。

「お前が殺し損なった軍補が御自ら参られたぞ。自らの口で釈明せよ」

 佐帥が居丈高な口調で命じると、恵昌がゆっくりと顔を上げた。彼の視線が莉玲に向いたが、表情には何の変化もなかった。

「軍補にお話しすべきことは、何もありません」

「釈明すべきことは何もないと申すか?」

「はい。今さら私めが何を申し上げても、軍補は御不快になられるだけでしょう」

 短い言葉のやり取りを交わし終えると、佐帥は莉玲を振り返った。

「恵昌の主張は、以上です。どうでしょう、軍補は何か、彼にお訊ねになりたいことがございますか?」

「この時期にこんな蛮行を起こしたのは如何な理由によるものか。将軍が不在の時に軍補の襲撃を企てたのは何故だ?莉玲に不満があるのならばもっと早くに事を起こしていそうなものだが、なぜ今までは黙って仕え続けてきたのだ?莉玲が将軍に就任してから、もう五年は経つぞ」

 言葉を発したのは彰麗だった。ここに来る前に莉玲が恵昌に訊ねたいことを彰麗に伝えて、代わりに話してほしいと頼んでおいたのだ。地下の牢では暗くて紙に書いた文字が見えにくい恐れがあると考えたからだ。

「犯行を企てたのがこの時期であることについては、特に深い理由があるわけではありません。これまではこういう発想が浮かばなかっただけのことです。ですが今回、将軍が謀反を起こした事実を聞かされた時に、ああ、こういう方法もあるのだなと思ったんですよ。気に入らない人間がいるのならば、力で排除すればいい、と」

 彰麗が怒りを感じたかのように身を震わせるのが、傍らにいた莉玲には見えた。莉玲にも、彼の気持ちは分かる。自分が彼だったら必ず激怒しただろう。他人が犯罪を犯したから自分もそれに倣うなど、絶対にあってはならないことだ。

「なぜ莉玲が気に入らなかったのだ?莉玲が女で、身寄りのない平民の出身だからか?だが、国軍には他にも女の軍人はいる。平民出身だが中位階級以上の位に就いている軍人も多い。私も出自は単なる傭兵だ。莉玲一人が出自を理由に排除される謂れはないはずだ」

「彼女が最も私の身近にいたからですよ。彼女を標的にした理由はそれだけです。軍補の家臣にすぎない私には、あまり他の軍人と接触する機会がありませんから」

 恵昌は口を閉じた。牢内に沈黙の時が流れる。しばらくしてから彰麗が溜息をついた。

「分かった。私から訊ねたいことは以上だ。私が訊ねたことは、全て莉玲が訊ねたかったことを代弁したものであるから、これで我々の用は済んだ。もう我々がここを訪ねることはないだろう。お前はせいぜいそこで己の犯した罪を悔いることだ」

 彰麗は踵を返し、莉玲の椅子を押しながら歩を踏み出した。彼が歩を進めると自然に莉玲の視界に恵昌は入らなくなる。莉玲は自分の視界から消えた家臣のことを思った。抑えようとしても涙がこぼれてくる。彼が自分のことをここまで厭うていたとは思わなかったのだ。どんなことがあっても彼だけは、最後まで自分の味方であると莉玲は信じていたから。


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