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副将軍

「いったい、何があったのですか?」

 邸で莉玲の世話をする侍女が、邸に戻ってきた莉玲にそう訊ねてきた。莉玲は帳面に言葉を書いて侍女に示す。〈私が短慮から法を犯して謹慎を命じられた。すぐに外に私を監視するための兵士たちが来る〉

 するとそれを見た侍女は、いっそう不安そうな表情になった。

「法を犯した、って、そんな、何があったのですか?莉玲さまが、どうしてそんなことに・・」

 莉玲は首を振った。自分の唇に指を当てて侍女に黙ってほしいと伝える。侍女は押し黙った。侍女が不安な気持ちは莉玲にも理解できるが、そのことを言葉で表明されても莉玲にはどうすることもできない。不安なのは莉玲も同じなのだ。軍において謹慎とは、普通は問題を起こした軍人の処遇を決定するまでの間、その軍人の逃亡を阻止し行動を制限するためのものにすぎない。期間は最初に当人に対して告知されるし、その期間内に処遇を決定して実行するのだ。だから通常は長くても一月、処遇はたいてい降格か遠方への異動だ。莉玲の場合、期間の告知は行われなかったし、謹慎を命じるのも本来なら軍務とは関わりを持たないはずの王妃だった。莉玲の処遇は過去に例を見ないものであり、それゆえにこの謹慎を終えた後に莉玲がどうなるのか、莉玲自身にも予測がつかない。

 これから自分はどうなるのだろうか、と莉玲は思う。ほとんど温情も同然で軍補の地位を得た自分に、降格や異動はありえない。軍補は王宮における独立した地位で、他の地方には該当する職種がなく、また書類仕事を手伝う少数の部下の他には臣下もいない。降格や異動が可能になる地位を、莉玲は持たない。だが地位がないとなると、もしも軍補を辞めさせられたら莉玲はどうなるのだろうか。軍補ですらなくなれば、今の自分の身体ではもはや軍に留まることはできない。ならば市井に下りるしかないのか。しかし平民に戻っても、女の身で、この身体で仕事なんて簡単に見つかるわけがない。嫁入り先を見つけるのも難しいだろう。足腰が利かず、口も利けないとなれば嫁としてほとんど使い物にならない。その難点をあえて呑んででも嫁にしたいと思えるほど、莉玲は家柄の良い生まれでもない。

 ならば、と思う。この謹慎が解けて後、軍補の地位を離れることになったなら、自分はまた路上に戻ることになるのだろうか。莉玲は自分がかつて王都の街路で物乞いや使い走りをして過ごした子供の頃のことを思い起こした。莉玲は小さい頃に郷里で勃発した内乱で庇護者とはぐれてから、傭兵として軍に入るまでずっと浮浪児として街路の片隅で暮らしてきた。傭兵にならなければ、今も莉玲はそうして暮らしていたか、さもなければとっくの昔に街路で行き倒れて野垂れ死んでいたことだろう。必死でその運命から逃れようとして、結果、再びその地位に戻るのならそれは人生の皮肉とでもいうべきものかもしれない。

 自分の運命に自分で苦笑しながら莉玲は私室の窓から外を見やった。窓の外には将軍と軍補の執務所が、すぐ傍に見える。十二の頃からの自分の職場、秀珠とともに軍務を執り行う拠点となった場所だ。火急の際でもすぐに執務所に駆けつけられるように将軍と副将軍、軍補の私邸は、執務所のすぐ傍に与えられるため、莉玲の私室からは執務所の建物が見えるのが当然の日常だった。しかしじきに、この当然も当然でなくなる。

 ――秀珠は今、どこにいるのだろうか?

 今日、刑場から逃亡してから秀珠と女官の行方はまだ分かっていない。軍は当然、全力で捜索をしているだろうが、まだ見つかってはいないようだった。このまま見つからないでいてほしいと、莉玲は切実に思っている。見つかれば、彼は確実に殺されるのだから。せっかく逃げることができたのだ、どんな形であれ、彼には生きていてほしかった。

「莉玲さま、いま宜しいですか?」

 ふいに呼びかけられて莉玲は視線を室外に出入りする扉に向けた。侍女が廊下から声をかけてきている。

 莉玲は自分の傍らに控えた侍女の袖を引いて目線で合図した。侍女は頷いて扉に向かって声をかける。

(きょう)()、莉玲さまのお許しが出ましたよ。入ってきなさい」

 すぐに扉が開いた。侍女の杏華が室内に足を踏み入れてくる。

「莉玲さま、副将軍の(しょう)(れい)さまがいらっしゃっていますが、お通ししても大丈夫でしょうか?」

 杏華は莉玲の正面に歩み寄ってくると、屈み込んで目線を合わせながら訊ねてきた。莉玲は頷いた。特に彼の来訪を厭わねばならない理由はない。

 杏華が彰麗を案内してくるためにいったん退出していくと、莉玲はなぜ今日、わざわざ彰麗が邸を訪ねてきたのかを考えてみた。彰麗の訪問は事前に約束していたものではない。つまり彰麗自身に何か莉玲に対する突発的な用件が生じて訪ねてきたということだ。いったいどんな用件が生じたというのだろう。

 彰麗は莉玲が将軍だった頃から副将軍の責を任されていて、秀珠とともに莉玲の側近でもあった。武術の腕も知力も人間性も秀珠と同格で、能力だけでいうなら彼が莉玲の後任として将軍になってもおかしくはなかったが、彰麗は出自が異国にあるのだ。他国の者に軍の統帥権を渡すことには宮内に強い抵抗があって、そのため必然的に秀珠が将軍に任じられたのである。秀珠のほうが彼よりも若く体力があるということで、適任とされていたのだが、こんな事態になってしまったからには、すぐに彰麗が将軍となるだろう。今の国軍で彼以上に能力の高い軍人はいないのだから。

 莉玲がかつての側近に対して思いを巡らせていると、杏華が戻ってきた。彰麗は彼女に付き従うようにして静かに進んでくる。彼はいかにも高位の軍人らしい精悍で威厳あふれる容貌をした男だが、今は少々疲れたような雰囲気を漂わせている。立て続けに起きた大きな問題の対処に追われているせいかもしれなかった。

 彰麗は室内に入ってくると杏華たち侍女に内密の話があるからしばらく部屋を出ていてほしいと告げた。彼女たちは一瞬、難色を示したが、莉玲が頷くと、渋々といった感じで退出していく。自分たちは廊下に控えているから、何かあったらすぐに鈴を鳴らして呼ぶようにと言い置いて部屋の扉を閉めた。

 室内に二人きりになると、彰麗は徐に口を開いた。

「私は王妃様から直々に軍補を謹慎に処したから監視せよとの命を受けた。それで莉玲の邸の周囲にそのための兵士を配置したが、なぜ王妃様が直々に謹慎を命じたりしたのだろうか?莉玲はどう考えている?」

 莉玲は苦笑してみせた。車輪を動かして近くの机まで移動し、侍女の手によって常に机上に整えられている覚え書き用の白紙に言葉をしたためた。彰麗を目線で促すと彼は机に歩み寄ってきてその言葉を眺める。〈王妃様が直々に謹慎を命じてきたのは確かに意外だった。けど、私のしたことは王族が直接命令してきても不思議のないことなのだと思ってる。軍補が刑場で執行を妨害して逆賊を逃走させるなんて、前例のあることじゃないから>

 彰麗は莉玲がしたためた言葉を眺めながら何やら考え込むような仕草をした。

「・・本当に、莉玲はそれで王妃様が謹慎を命じたのだと理解しているのか?謹慎は、あくまでも自分を罰するためのもので、それ以外の目的はない、と?」

 莉玲は頷いた。しかし同時に彰麗の言葉には首を傾げざるをえなかった。自分が謹慎される理由なんて他にないはずだし、処罰以外の目的で人を謹慎させることもない。なにより、王妃は刑場での出来事以外に言及してこなかった。

 彰麗はしばし無言で何かを考え込むようにしていた。珍しいなと莉玲は思う。彼は会話を始めてから考えをまとめるようなことをしない。いつも、どんなことであっても必ず自分の考えをまとめてから発言する。会話中に考えこんだり、迷ったりするような素振りはみせず、確証のないことは絶対に口にしない。上が迷えば下も迷うから、生命のやり取りをする軍において上に立つ者は絶対に迷いを見せてはいけないと、彼はいつも言っていた。まだ莉玲が中間階級である兵長であった頃からそうで、将軍に昇進してからは特に厳しく注進されてきたことを覚えている。だから莉玲は、彼がこんな表情をするところを、いま初めて見た。

「私には、王妃様が莉玲を罰する目的で謹慎を命じたようには見えなかった」

 彰麗は考え込んだ末にその言葉を発した。莉玲はますます首を傾げざるをえなかった。自然に手が動く。〈罰でないなら、どうして私は謹慎になったの?〉

「私の目には、王妃様は何かを恐れておいでで、その何かから莉玲を守るために謹慎の処分を下したように見えた。謹慎を命じれば、私邸の門には全て軍人の監視がつく。当人は勿論、家人も無断で外出はできなくなるし、外部の者が訪ねるのも簡単にはできなくなる。無論、侵入なんか絶対に不可能だ」

 彰麗は言いながらも自分の言葉に納得できないらしく首を傾げていた。その様子を見て莉玲は、おそらく彼は自分の出した結論には自信を持っているのだろうと感じた。けど、王妃が何をそれほどに恐れているか分からなかったが故に、今もこうして考え込んでいるのだろうし、こうして莉玲を訪ねてもきたのだろう。莉玲にも分からない。これが彰麗の言葉ではなく侍女の誰かの言葉だったなら、莉玲は何を莫迦なと失笑したかもしれない。誰かを罰するために謹慎させることはあっても、守るためにそれをさせることはないからだ。

「莉玲は、謹慎を言い渡された時に王妃様にお会いになったか?」

 莉玲は頷いた。

「その時、王妃様はどういう様子だった?」

 漠然とした問いかけだった。しかし莉玲には即答できる問いだ。莉玲は自分が王妃の居室に連れて行かれるまでの経緯と、王妃が自分が短慮を起こした理由について何か予断を抱いており、それは莉玲が認識しているそれとは全く異なるものであるらしいことを書いた。王妃は自分が何かをすでに知っていることを怖れているのではないかという推測も書く。あくまでも推測だったが、彰麗の言葉を聞いた今では、確信を抱けるほど、王妃の様子には尋常ならざるものがあった。

 〈王妃さまはどういうお考えをお持ちなのだと思う?〉と、莉玲は最後にそう綴って彰麗に意見を求めた。彼はしばし迷う様子を見せてから口を開く。

「たぶん、秀珠に関することだろうな。王妃さまは莉玲が何か、秀珠のことで知ってほしくないことを知っていて、今回のような事態を引き起こしたのも、それに由来するのではないかと疑ったのだと思う」

 〈知ってほしくないことって、何かしら?〉

「それは私にも見当もつかない。秀珠は私と違って武門の名家の出身だから、個人的に王妃と接触があったとしても、何も不思議なことはないだろう」

 彰麗の言葉に莉玲は同意した。莉玲と彰麗は傭兵から頭角を現して現在の地位に就いたが、秀珠は違う。元々が代々将軍を含む高位軍人を多数輩出してきた武門の名門貴族の出身で、軍でも最初から中位階級にあった存在だ。新兵として入軍したその日からすでに現場の兵士たちを取り纏める兵長の位にあって、莉玲の前の将軍は秀珠の父親だったと聞いている。だから莉玲がその秀珠を差し置いて将軍に就任した時の周囲の驚きは尋常のものではなかった。王妃もこの国の貴族出身だったはずだから、自分たちの知らないところで二人に接触があったとしても不思議はない。莉玲や彰麗の知らない秀珠の何かを、王妃が知っているというのは充分にありえる話だ。

 〈もしも彰麗の推測が正しいのなら、私が知ることが私の身の危険に直結するような何かがあるということよね?少なくとも王妃様はそう考えられている。だからすでに知っていることが疑われる私を、とにかく保護したかった。謹慎命令はそのことを他者に悟られないようにするための、単なる手段にすぎない〉

 莉玲がそう書きつけると、彰麗は頷いた。

「その可能性はある。しかしそうだとすると、莉玲の謹慎がいつ解けるか私にも予測がつかない。王族命令を解除できるのは当の王族だけだからな」

 その通りだと莉玲は思った。莉玲の謹慎の理由が、莉玲自身ではなく王妃の内心にあった場合、いつ解けるのかなど推測もつかない。最悪を考えれば、ずっとこのまま、ということも充分にありえる。

「私はこれから、秀珠のことを調べてみるよ」

 彰麗は何かを決心したような顔をしていた。

「あいつがなぜあんな大罪を犯さなければならなかったのか、そのことについて調べてみる。あいつは早くに自白してしまったからな。本来であれば行っておかなければいけない調査も充分にできていないんだ。今からでもきちんと調べておくべきだろう。何か分かったら、莉玲にも報告するよ」


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