処刑当日
その日は朝から穏やかに晴れていた。
莉玲は足腰が利かなくなってから初めて、王宮を出て王都へ向かっていた。処刑は罪人を死へ向かわせるやり方、穢れだから神聖な王宮では行われないのだ。必ず王都へ出て罪人の罪状を公開した上で衆人環視のなかで行われる。処刑は見せしめも兼ねているから、たとえ罪人が宰相であったとしても、その慣例から外れることはない。
王宮と王都を隔てる門を通った時から莉玲たちの一行は周囲の注目の的だった。これから処刑の執行のために向かう集団なのだからそれも当然のことで、ある者は単純に処刑という事実に恐れをなしたのか自分たちから逃げるように離れていき、またある者は逆に罪人が軍の将軍と宮廷の女官であるという事実に興味を引かれたのか、自分たちの後をついてくる。たぶん彼らは好奇心の赴くままに処刑まで見届けるつもりだろう。そのどちらでもない者たちはその場に留まったまま静かに自分たちを見送っていた。ひょっとしたら自分たちが通り過ぎてから処刑のことについてあれこれと噂するのかもしれない。
処刑は王都の外れの空き地で執り行われる。王都でも人通りが少なく閑静なその場所に広がる何もない土地を、一時的に国が所有者から借り上げて刑場として整備したのだ。処刑が執り行われる時はいつもする処置で、それ故に刑場の場所は毎回異なるが、必ずといっていいほど王都の外れの辺鄙な場所になる。そういう土地でなければ所有者が土地の賃借に難色を示すからだ。
罪人と刑の執行を任された兵士たち、その彼らを取り囲むようにして歩く警護兼監視の兵士たちが、刑場に到着した。莉玲は彼らの最後尾で静かに成り行きを見守っていた。本来、軍補に処刑に立ち会わなければならない義務はないのだが、かつての側近が自分の与り知らないところで同じくかつての自分の臣下に絶たれるなど耐えられなかった。秀珠だけでなく、彼の刑の執行を任された兵士たちも、かつて将軍だった莉玲の臣下なのだ。
莉玲は処刑に立ち会うのは今回が初めてだったから常にはどうなのか分からないのだが、いま莉玲の周囲には大勢の人間が集結していた。ほとんどが街路で秀珠たちの一行を見かけてついてきた野次馬たちだ。たぶん彼らの目には莉玲の姿も野次馬に見えているだろう。実際、警護の兵士たちはそう見ているようだった。彼らは自分を含む群衆が刑場に不用意に近づかないよう前方で監視の目を光らせている。
執行の兵士たちが秀珠と女官を刑場に築かれた壇に押し上げた。兵士たちの手には大振りの刀がある。秀珠と女官は斬首に処されるのだ。大逆を犯した者は斬首と決まっている。実際に被害に遭ったのが国王ではなく莉玲でも、それはあくまでも偶然の結果なのだ。国王の御酒に毒物を入れた時点で大逆は成立する。秀珠はその蛮行を首謀し、給仕の女官はそれに協力したのだ。それがこの国の法令を司る司法大臣の下した判断だ。
兵士の一人が壇の片隅に据えられた鐘を打ち鳴らして処刑開始の合図を出す。また別の兵士が書面を広げて罪人の罪状を読み上げた。大逆、という言葉に莉玲の周囲の群衆がどよめく。莉玲も身が締まる思いがした。いよいよ始まるのかと思うと、莉玲のほうが恐怖で息が止まりそうになる。
秀珠と女官は壇上で並ばされて膝を突かされている。その様子を見ているだけで莉玲は震えた。かつて、側近として自分を傍で支えてくれた頃の彼の姿が心に甦ってくる。自分が敵の稚拙な策略にあっさりと引っかかって重傷を負った時も、治るまでずっと傍についていてくれた。足が利かなくなった時に、今も使用しているこの特殊な移動器具を作ってくれたのも彼だし、足が動かないことで全てに絶望していた莉玲を励ましてくれてここまで自力で日常生活を送れるようにしてくれたのも彼だ。莉玲が軍補として国軍に残ることが決まった時も、とても喜んでくれた。そういった諸々のことが鮮やかに甦ってくる。
――嫌だ。彼には、死んでほしくない。
ふいにそんな思いが莉玲の心に浮かんできた。彼が大逆を犯したのは事実でも、莉玲は彼がいなければ今こうして生きてはいなかった。そもそもあの重傷を負った時に、彼が傍にいなかったら莉玲は誰にも気づいてもらえずに失血で死んでいたかもしれない。足腰が生涯利かなくなったと宣告された後も、莉玲は絶望の余り何度も死のうとしていた。王都の浮浪児の身分から、やっとの思いで得た将軍の地位を失うのが怖かったからだ。彼が止めてくれなければ莉玲はとっくの昔に自刎していただろう。彼は莉玲がまだ軍補の地位を得るまでは、もし軍を離れることになっても自分が莉玲のために莉玲の居場所を用意するから死なないでほしいと言っていた。具体的に彼が何をしてくれるつもりだったのかは分からない。莉玲が十七歳という年齢であることを思えば、嫁入り先を探すつもりだったのかもしれないが、ただそのつもりであったとしても莉玲は彼がいなければ今を生きてはいなかった。この事実に揺らぎはない。
――お願い、死なないで。殺さないで。
莉玲は心の中で刀を持った兵士に祈った。だが勿論、そんな願いが聞き届けられるはずもない。莉玲の目の前で兵士が大振りの刀を鞘から抜いた。白刃が陽光を浴びて煌めいた。反射的に莉玲は悲鳴を上げた。
莉玲の声は出なかった。しかし反対に周囲に集まった群衆が大きな声でどよめいた。幾人かの人々が莉玲の周囲から遠ざかろうと動き、莉玲の周りには若干の空間が空いた。
最初は何が起きたのか分からなかった。周囲の人々が自分に向かって信じられぬものを見たような声を発し、壇上の兵士の一人が呻き声を上げるのを聞き、もう一人の兵士が呆然とした表情で莉玲のほうを見ているのに気づいて、やっと莉玲は自分が護身用に所持していた短剣を鞘ごと、壇上の兵士にめがけて無意識のうちに投げつけていたことに気がついた。短剣の柄か鞘が兵士を直撃し、それであの兵士は思わぬ痛みに呻いているのだ。
そして莉玲のその咄嗟の行為は、壇上の罪人にとって絶好の逃亡機会が与えられるものとなったようだった。執行役と監視役の兵士たちの注意が莉玲に向いている隙に、女官が秀珠を追い立てるようにして逃走を図りだした。
縄で身体を縛められた状態で逃げられるはずがない、本来はそのはずだが、今の二人にその例は当てはまらなかった。二人が縛められているのは腕を含む上半身だけで下半身は全くの自由なのだ。監視の目が離れている今、多少不自由でも、走って逃げようと思えば不可能な状態ではない。さらに悪いことに、彼らにとっては都合の良いことに、群衆たちは皆、罪人が迫ってくると捕らえようとするどころか恐怖に駆られたように後ずさり始めた。それもまた彼らの逃亡を手助けする要因になった。
当然のことながら警護の兵士たちは血相を変えて彼らを追い始めた。しかし莉玲はそれを必死で妨害した。無我夢中だった。
自由になる両腕を巧みに動かして車輪を操り兵士たちの動きを遮り、必死で兵士たちの動きを妨げた。この兵士たちに捕まれば今度こそ秀珠は捕まって、殺されてしまう。そのことしか頭になかった。