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疑惑

 莉玲は自力で車輪を動かして執務所に戻った。途中で誰かに見咎められるようなことはなかった。医官の誰かと偶然に出くわし、あの部屋に連れ戻されることだけは避けたかったが、そういう心配は杞憂に終わった。途中に通った廊下で、宮外に出る門で、外路で、幾人かの者に莉玲の無事を喜ぶ声をかけられたが、それだけだった。誰も部屋に戻れとは言わないし、秀珠のことを噂する者もいない。莉玲はこの状況に安堵したが、同時に妙だとも思った。他国の国賓や使節団を招いて執り行われた晩餐会の席上で、謀反などという信じられないような蛮行がなされたにしては、あまりにも宮内の者が冷静にすぎると思ったのだ。普通だったら誰もが浮き足立ち、裁判も始まる前から逆賊を糾弾したりしそうな気がする。噂話だって盛大に飛び交いそうなものだし、直接の主従関係にある莉玲には公的に、そして私的に尋問が行われそうなものだ。なのにそうした気配が全くない。いったいなぜだろう。

 ひょっとして緘口令でも布かれているのだろうか。そうかもしれない。今は国王の世継ぎが誕生したばかり、国を挙げて盛大に祝賀する慶びの時だ。そのさなかに謀反などという禍々しい言葉が飛び交うのを、国王が嫌ったのかもしれない。昭陽が自分のところに話をしに来たのは彼が他国の人間で、国王といえど安易に命令を下しにくい立場にいたからだろう。けど、それにしたって自分に何の報せもなかったのはやはり妙だった。それについてはこれから執務所に戻って秀珠の家臣に連絡をとれば分かるだろうか。

 軍補の執務所は、将軍の執務所の敷地内にひっそりと設けられている。

 そもそもこの職はさほど重要な職ではなく、軍補の地位は莉玲のような比較的高位の軍人が傷病で退役した後の名誉職として使われることが多かったらしい。そのため空位であることも多く、軍事のことについては素人の王子が玉座の代わりに得る形ばかりの地位として利用することさえあったという。莉玲が現役の時は軍補の地位はずっと空位で、莉玲は軍補の助言など必要とせずにずっと将軍を務めてきたが、それで何か不都合があったかと問われれば、何もなかったとしか言えない。軍補とはそういう地位なのだ。いれば便利なこともあるが、いなくても特に障りはない。悲しいことに宮中にはこういった、どうでもいいような名誉職が他にも多数存在している。

 莉玲がその執務所に入ると、室内で何やら書類仕事をしていた男女が驚いたようにこちらを振り返った。 

「莉玲さま、もうお身体の具合は宜しいのですか?」

 そう訊ねてきた女性は莉玲の家臣の一人で、(せい)(じゅ)という。莉玲は星珠に頷いて、帳面に言葉を書きつけると彼女に見せた。〈身体はもう大丈夫。けど毒薬の後遺症で声が出ない。少なくともしばらくの間は言葉で話すことはできない〉

 星珠も、室内にいた他の家臣も、絶句したように息を呑んだ。それを見て取って莉玲は再び帳面に書きつけた。〈声が出せないのは不便だけど、こうして文字を書けば会話はできる。不便だけど障りはない。それより秀珠が今、どこでどうしているのか、それを教えてくれない?〉

「秀珠さま、ですか?秀珠さまは、今・・」

 星珠は困惑したような表情で視線を彷徨わせた。それを見て取ったのか、室内にいたもう一人の家臣が言葉を継ぐ。

「将軍は今、宰相の下で拘留されています。監視を軍に任すと脱獄の恐れがあるとかで、宰相の家臣が監視を行っています。我々も含めて軍の関係者は皆、将軍の私邸の下働きの下男に至るまで、誰一人面会は許されておりません」

 莉玲は彼の傍に近寄っていった。星珠よりも彼のほうが話が早く進みそうだ。言葉を書きつけた帳面を彼に見せる。〈秀珠は本当に謀反の大罪を犯したの?あの晩餐会の日に主上に献上された葡萄酒の中に毒物を混入させたの?なぜ、どうやってそんなことをしたの?秀珠が主上に葡萄酒を献上したなんて話は聞いたことがないし、自分で献上したのではないなら、主上の御酒になんて簡単に近寄れるものじゃないでしょ?〉

 三日をかけて筆談にも慣れてくると、常よりも手の動きは速く巧みになったような気がする。長い文章もさほど時間をかけずにしたため終えると、家臣はそれを読んで怪訝な顔をした。

「もう、誰かからお聞きになったのですか?療養中の莉玲さまには衝撃が大きすぎる話だから、状態が落ち着いて職務に復帰できるようになるまでは、お伝えすることは避けるように、という主上からの下達があったのですが」

 そういうことだったのか。莉玲は自分に報せがなかったことに納得することができた。再び帳面に言葉を書きつける。〈あの晩餐会にも出席していた神聖教国の外交司の長官が教えてくれたのよ。秀珠が晩餐の席上で主上の御酒に毒を盛って捕まったようだって〉

 家臣は文面を眺めてから頷いた。

「その通りです。あの晩餐会の日、莉玲さまがお倒れになられたほとんど直後に、将軍があっさりと自白したんです。彼の供述に基づいて当日、主上に御酒を給仕した女官を尋問したところ、彼女が将軍の自白を裏づけるような証言をいたしました。自分が将軍の指示で御酒に入れた甘味料が毒物かもしれないというのです。彼女はまさか毒物だとは思わなかったということでした。年代物の葡萄酒は酸味が増すのでそれを抑えるための甘味料だと言われれば疑う理由はないとのことです。将軍がなぜ謀反などという大罪を犯したのかについては私は存じません。伝えられてきておりませんので、まだ語っていないのかもしれませんが」

 秀珠が給仕役の女官に甘味料と偽った毒物を渡して混入させていた?家臣の話を聞いて莉玲の頭には驚きとともに疑問が渦巻いた。なぜそんなことが起きたのだろう、と思う。女官と秀珠と、双方の言葉が一致したのならば、これが真相だろう、少なくとも真相だと納得できるだけの説得性があるが、莉玲には何かがしっくりこなかった。もしも女官が秀珠の共犯でなく、利用されただけなのならば、なぜそんなにあっさりと渡された物を御酒に入れるようなことをしたのだろう。国王が口にするものは全て、前もって侍従が同じものを食して安全なものかどうかを確かめなければならない。渡されたものが本当に甘味料かどうか、どうして彼女は確かめなかったのだ。彼女が秀珠の従犯で最初から全てを承知の上で毒物を混入させたのだとしても、あえて致死性の低い毒を使った理由が分からない。あの毒がどういう種類の毒だったのかについて莉玲は知らされていないが、こうして生きている以上、一口飲んだだけで死ぬような猛毒を彼らは使わなかったのだ。それはなぜだろう。謀反などという手段を選んだ以上、国王に助かってもらったら絶対に困るはずではないのか。

 それとも、まさかそれで充分だったのだろうか。あの場では死ななくても国王が毒物の影響で莉玲のように意識を失ってしまえば、それで良かったのだろうか。意識を失っている間に国王を別の方法で殺害し、あたかもあの場で国王が死んだように偽装でもするつもりだったのだろうか。けど、だとしたらもっと無害な眠り薬のようなものでも良かったのではないだろうか。晩餐が行われたのは深夜に近い時刻だ。眠気を催してもそれが周囲に不審に思われることはないし、そのほうが目的を達しやすいはずなのに。

 それに、と莉玲は思う。疑問があるのはそれだけではない。莉玲はあの晩餐会の席上での王妃の様子に不審を感じたことを思い出した。王妃は全く酒杯に口をつけた様子がなかった。普通、ああいった公的な会食の際は料理はともかく酒杯の中身は必ず一度は空けるのが礼儀とされている。料理も可能な限りで全て完食するか、それに近い状態にすることが礼儀なのだ。そうすることで招待客は会食に満足し感謝していることを言外に主催に伝える。大量の食べ残しや飲み残しを残すことは主催に対する不満の表明であり非礼になるのだ。だから出席者が莉玲のように酒を飲めない場合には、事前に把握して酒杯の中には単なる果汁を入れておくなどの配慮をするのである。にもかかわらず王妃が酒杯にいっさい口をつけていなかったというのはどういうことだろうか。王妃はああいった席上の場合、通常は国王と同じものを飲食する。それを考えると、あの日に限って王妃が酒杯の葡萄酒に口をつけていなかったのには、何か意味があるような気がしてならない。

 ――まさか王妃は、知っていたのだろうか?

 国王と王妃は同じものを飲食する。あの日、王妃は晩餐会の御酒に毒が入れられることを事前に知っていた。何らかの事情で王妃の酒杯にだけ無害な酒を入れることが難しく、また、晩餐のどこで毒入りの酒が注がれるか正確に予測できなかったため、王妃は晩餐の最初から酒杯にはあえて口をつけないことで難を逃れようとしたのではないか。そういえば、と莉玲は当日の王妃の様子を思い出した。莉玲が国王から手渡された酒杯を口にする直前、王妃の表情が僅かに強張った。あれは彼女が、国王の思いもかけない行動を目撃して、焦っていたからではないのか。このままでは何の関係もない軍補が、毒を飲んでしまう、と。

「莉玲さま、どうかなさいましたか?」

 家臣が訊ねてきた。急に考え込む素振りをみせた莉玲を怪訝に思ったのだろう。莉玲は首を振って、何でもないと身振りで示した。

 莉玲の疑惑には何の証拠もないことだ。迂闊に口にするようなことはできないし、仮に事実だとしても、何の目的で王妃が自分の夫でもある国王を害そうとするのか分からない。そんなことをしても王妃に利は何ひとつないはずだ。

 いや、そんなことはありえないか、と莉玲は内心で首を振る。王妃は世継ぎとなる第一王子を産んだばかりだ。いま国王が崩御するような事態になれば、この国の王位は当然、その生まれたばかりの王子が継ぐことになる。しかし勿論、赤ん坊の王子では国政を動かせない。すると王子がある程度の年齢に成長するまでは王妃が代行国王として玉座に就くことになる。王妃は自らが国政を操り、王子が成長した後も王子を傀儡として政治を動かすことを考えていたのかもしれない。

 勿論、こんなことは全て莉玲の想像だ。推測にすらなっていない。けどもしも王妃が謀反の首謀者だったとしたら国王の御酒に簡単に毒物が混入されてしまったのも当然だ。王妃が、これは私が秀珠に用意させた甘味料だとでも言えば、女官は疑いもしないだろう。たとえ疑ったとしても、王妃が用意したものを女官が独断で勝手に破棄することはできない。

 どうにかして、この想像が事実なのか、それとも単なる妄想にすぎないのかを確かめなければならないと思った。今からでも拘束されている秀珠に面会に行けば、彼は自分に全てを話してくれるだろうか。

 莉玲は考えたが、それはないだろうと判断せざるをえなかった。家臣は軍の関係者は誰一人として面会が許されていないと言っていたし、そうでなくても拘留中の罪人と面会するためには必ず看守役の兵士の立ち会いが必要になる。もしもこの想像が事実だった場合、それを裏付けるようなことを秀珠が容易く口にできるはずがない。下手なことを口にすれば王族を愚弄したと受け取られ、さらに罪が重くなるからだ。

 莉玲は焦った。このままでは遅かれ早かれ秀珠は大逆未遂の大罪人として処刑されてしまう。本当に彼が自分の意思でそれだけの大罪を犯したのならば、莉玲とて彼を庇うつもりはないが、もしもそうでなく彼が単に利用されただけだった場合、なんとかして早急に彼を救わねばならない。

「あの、莉玲さま、秀珠さまのことなんですけど、いいですか・・?」

 ふいに遠慮がちな声が聞こえてきた。星珠の声だ。莉玲はそちらに顔を向けた。

「あの、莉玲さまが、もう秀珠さまのことを全て、御存知でいらっしゃるのなら、お伝えしてもいいかなと思ったのですが・・」

 星珠の声は今にも消え入りそうだった。莉玲に話しかけることに、ずいぶんと迷いを感じているように聞こえる。莉玲は目線で早く話すように促した。言いたいことがあるなら早く言ってもらわねば困る。

 莉玲が促したことで星珠は意を決したような顔になった。落ち着いた口調で、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「秀珠さまが謀反の疑いで捕らえられたのは、あの晩餐会の日のことです。莉玲さまが倒れられたという連絡が来た、ほとんど直後といっていい頃に秀珠さまが捕らえられたとの連絡も来ましたから。その秀珠さまが、あの晩餐会に臨まれる直前、私どものところに伝言を残されていったんです。今夜の晩餐会が終わって莉玲さまが戻ってきたら、伝えてほしいことがあるとのことでした。今夜の晩餐会の席上で自分が逆賊になっても、どうかそのことで驚かず、自分のことは完全に捨て置いて、忘れ去ってほしい、と」

 莉玲は驚いた。慌てて帳面の白紙を探して書きつける。焦るせいで字が乱れてしまったが、なんとか言葉を書ききった。〈晩餐会が始まる前から、秀珠は自分が逆賊となることを承知していたのね?〉

 星珠は頷いた。

「はい。確かにそのように見えました。私が驚いて、それはどういうことだとお訊ねしたのですけど、そしたら秀珠さまは、それは冗談だとお笑いになられました。冗談だから気にしなくていい、下らないことを聞かせてすまなかったと仰って、それでなんとなくそれ以上はお訊ねできなかったのですけれど、実際に晩餐会の席上で謀反などという大事が起きたと伝えられてしまうと、あの時のお言葉は冗談などではなかったのではないかと思えて」

 家臣が星珠の言葉を補足するように告げた。

「私もその言葉は伺いましたが、たしかに趣味の悪い冗談のように聞こえました。真にこれから謀反を起こそうとしている人間ならば、事前にそのことを全くの他人に語るはずがありませんからね。けど、現実に謀反が起きてしまった以上は将軍の言葉は冗談などではなかったのでしょう。あの時点では謀反という大罪を実行しようかどうか、逡巡していたが故にあのような言葉が出てきたとも考えられます。あの時に我々がもっと違った対応をしていれば、莉玲さまが被害に遭われることもなかったと・・」

 莉玲は大きく首を振った。〈私のことは気にしないで。その時点で秀珠の言葉に信憑性を感じるなどというのは無理よ。それよりも(けい)(しょう)も星珠も、そのことを誰かに伝えた?〉

 二人の家臣は大きく頷いた。

「私が宰相の家臣にお伝えしました。将軍があの晩餐会の後で捕らえられ、彼の身辺の状況について調べるために訪ねてこられたのです。言わないわけにはいきませんでしたので、その際にお伝えしました」

 答えたのは恵昌だった。莉玲は溜息をついた。もはや秀珠の命運は定まっていると、そう思った。

 秀珠はあの晩餐会の開催前から自分が逆賊になることを承知していた。彼が女官と共謀し、あるいは従犯にして国王への謀反を実行に移していた。少なくとも宰相は確実にそう考えているだろう。そして大逆犯と判定された人間がどういう末路を辿るのか、莉玲は分かりすぎるくらいよく分かっていた。


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