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目覚め

「お目覚めになられましたか?」

 莉玲が目を開けると、心配そうな顔をした女性の顔が視界に飛び込んできた。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。まだ頭が朦朧としている。巧く思考が回らない。それで自分が今まで国王が主催の晩餐会の席上にいたことを思い出すまでにかなりの時間がかかった。徐に自分の喉に痛みが甦ってきたことでやっと、自分に何が起きたのかを思い出せた。

 そうだった。自分は、国王から葡萄酒を下賜されたのだ。莉玲の郷里で作られた葡萄酒だから一口だけでも飲まないかと言われて、それで葡萄酒を口にした。その直後、喉に激しい痛みを感じたのだ。その後のことは思い出そうとしても思い出せない。ひょっとしたら、あの時に意識を失ったのではないか。

 女性は、莉玲が目覚めたのを確認すると喜色を浮かべてどこかへ駆け去っていった。莉玲はそれを見て取るとその場に起き上がろうと両手に力を込めて上半身を起こしにかかる。立つことも歩くこともできなくなっても、どうにか自力で座ることだけはできた。それだけはできるように必死で訓練したのだ。人の手を借りなければその場に起き上がることもできない女にだけは、莉玲はなりたくなかった。

 目覚めたというのに、頭はまだどこか靄がかかったように朦朧としていた。なぜか身体が非常に重く感じられ、僅かに身動きしただけでひどい眩暈がする。起き上がってその場に座るというだけの動作にかなりの時間と体力を用し、無事に座れるとそれだけで息が上がっているのが分かった。男たちに混じって軍の厳しい訓練に参加したこともある莉玲は、体力には自信がある。ただ座るだけにここまで疲労を感じたのは初めてだった。

 身を起こすと、莉玲はどこか見知らぬ部屋の寝台の上にいた。どうやら莉玲は今までこの寝台に寝かされていたようだった。莉玲が突然、意識を失ったのを見て、誰かがこの部屋へ運んでくれたのだろう。誰の部屋だろうかと思った。少なくとも莉玲の自邸ではないし、あの女性にも見覚えはない。ここはどこだろう。

 思ったところに先ほどの女性が戻ってきた。彼女は複数の男女を伴っている。ここからではよく見えなかったが、どうやら寝台の正面に見える扉の向こうに別室があってそこに控えていた者がいたようだ。彼女はそこに駆け込んで彼らに莉玲の目覚めを伝えにいったのだろう。誰の顔にも莉玲は見覚えがなかったが、装束から莉玲には彼らが宮中に仕える医官とその下人であることが分かった。莉玲は彼らに何がどうなったのか、いったい自分の身に何が起きたのかを訊ねようとしたが、言葉を発するよりも前に声を出そうとして喉に激痛が走るのを感じた。思わず喉を押さえて蹲った。

 医官の装束を纏った初老の男性が莉玲に駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか?喉が痛みますか?」

 莉玲は蹲ったまま頷くことで答えた。すると医官は頷いて、莉玲の身体を抱えるようにしながら再び寝台に横たわらせる。

「落ち着いて、ゆっくりと呼吸をしてください。辛いでしょうが、なるべく喉には意識を向けないように。決して声を出そうとしてはいけません。すぐに痛み止めを御用意いたしますから、そのまま、ゆっくりと深呼吸だけをしていてください」

 莉玲は再び頷いた。初老の医官の手が離れる。代わって別の医官が宥めるように莉玲の身体をさすり、布団を整えた。この医官は若く、そのぶん手慣れていない感じがする。彼の助手か何かかもしれない。

 初老の医官の指示通り、声を出さずに深呼吸を繰り返していると、しばらくして痛みは少しだけ治まってきた。それに合わせるかのように薬の匂いが莉玲の鼻先に漂ってくる。

 そちらに視線を向けると、初老の医官が寝台の傍らの小卓で何やら薬湯らしきものを杯に入れているのが見える。匂いを嗅いだだけで苦味を感じそうなその薬湯を、医官は莉玲に差し出してきた。

「こちらをお飲みになられてください。これで痛みはかなりのところ治まるはずです。痛みが鎮まらない場合はまた別の治療をいたしますが、その際も決して声を出してはなりません。痛みが治まらない時は、仕草でそのことを我々にお教えください」

 莉玲は頷いた。若い医官が莉玲の身体を静かに抱き起こしてくれる。初老の医官が唇に杯をあてがってくれた。唇に杯が触れた瞬間、あの葡萄酒を飲んだ時のことが思い出されて莉玲は怯えたが、それよりもこの痛みを鎮めることのほうを莉玲の無意識は求めた。薬湯を静かに嚥下した。

 苦い薬だった。けど、それだけだった。あの葡萄酒の時のような痛みは何も襲ってこない。しばらく医官たちの指示で安静にしていると気持ちも落ち着いてきた。痛みも徐々にひいていって、あの薬湯は確かに本物だったのだと莉玲は安心することができた。

「・・どうやら、主上に献上された御酒の中に毒物が混入されていたようでしてな」

 傍に控えた初老の医官の言葉に、莉玲は注意を喚起された。

「どういう種類の毒物が混入されていたのかについてはまだ調べている段階ですが、偶然に混ざるような類いのものではありませんからな。主上はそなたを心から案じておられますよ。そなたは主上の代わりに御酒を飲まれた。そなたがいなければ、今頃は他ならぬ主上が毒の犠牲になるところだったのです。結果としてそなたが主上の御生命が守られたこと、主上も我々も感謝しております」

 あの酒杯には毒薬が入っていた。改めてその事実を知らされても莉玲はさほど驚かなかった。やはり、と思う。そうでなければあれほどの激痛が生じることはないはずだ。どうしてそんなことが、と莉玲は思うが、同時に理由なんか一つしかない、とも思える。謀反だ。

 何者かがあの席上で国王を毒殺することを企んだのだ。世継ぎの王子はまだ生まれたばかり、この状態で国王を崩御させることで王子を傀儡の国王にして陰で実権を握ることを目論んだか、あるいはこの国を国王不在の混乱に落としこむことで侵略の機会を狙おうとする他国の陰謀か、どちらかは分からないがそれ以外には考えられなかった。この事態を企んだ誰かはあの時、いったいどこにいたのだろう。もしも同じ席上にいたとしたら、国王が自分よりも先に莉玲に御酒を飲ませたことをどう感じただろうか。あの行為を事前に予測することは誰にもできなかったはずだ。莉玲は単なる軍補にすぎず、国王の毒見役を任されるほどの側近ではないのだから。

 莉玲は身振りで書くものを所望した。声を出せないのなら筆記するしかない。すぐにあの女性が自分の懐から小さな帳面と携帯用の書記具を取り出して渡してくれる。莉玲はその場に起き上がると仕草で礼を告げて、それを受け取り、帳面を開いて白紙に言葉を記した。〈主上は、御無事なのですね?〉

 医官は示された文章を読んで、大きく頷いた。

「無論、御無事だ。主上はそなたのことをとても心配なさっておられる。そなたが目覚められたことも、もう助手を報せに走らせたから、もう御存知かもしれない。じきにこの部屋にもお越しになられるだろう。そなたはこのままこの部屋で養生を続けて、主上がお越しになられた時に少しでも健やかな様子を見せられるようにしておきなさい」

 莉玲は再び帳面に文章を書いた。〈この部屋は誰の部屋ですか?誰がここへ運んでくださったのですか?〉

「ここは迎賓宮だ。そなたは主上が主催なさった晩餐会に出席していたのだろう。その席上で倒れたそなたへの手当ては会の開かれた迎賓宮で行うのが早くて効率が良いと主上が仰って空いている貴賓室に運ばせたんだ。私も本来は主上の主治医を務める者だが、主上の御指示でそなたの手当てをするようにここへ遣わされたのだよ」

 だからそなたの容態が落ち着けば、と医官は続けた。

「すぐにも自分の邸に戻ることができる。そなたはここでゆっくりと養生に専念しなさい。一刻も早く身体を治して元の通り軍補としての務めに復帰すること。それがそなたの、いま最も重要な務めだ」


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