労遣場
彰麗は宿に、と言ったが、莉玲は彼に頼んで宿屋ではなく労遣場に向かってもらうことにした。
労遣場はどこの街でも目立たぬよう比較的うらびれた界隈にあるが、概ね全ての街にあった。かといって公的な施設というわけではない。労遣場という名称も、通称だ。近隣の職を失った者や路上で暮らす者を集めて労働力を必要としている場所に遣わし、提供を受けた者から礼金という名目の金銭を受け取ることで利益を得ている。家なしの者たちは労遣場に泊まることなど頻繁にあり、莉玲も子供の頃はよく世話になった。傭兵の仕事も、ここがなければ得ることなどできなかったから、莉玲が宮廷に入れたのは労遣場のおかげだと言っていい。
しかし労遣場は真っ当な施設ではなかった。それどころか、ほとんどの場合で裏社会を牛耳る悪党の重要な財源となっており、犯罪の巣窟とも呼べる場所になっている。労遣場の行っていることは事実上の人身売買であり、この国の法において違法なのだ。使えそうな失業者や浮浪者が見つからない時は、人を攫ってくることさえある。当たり前の暮らしを営むごくごく平凡な人々にとっては、労遣場は自分たちの暮らしを脅かしこそすれ、役に立つことは決してないのだ。
この事実は世間の常識となっていたが、国はほとんど黙認も同然の状態に置いていた。労遣場がなければ街に浮浪者が溢れて治安が乱れるし、思うように労働力を得られなくなる人々も出てくるからだ。例えば最前線で戦わなければならない軍の傭兵や、酔客に身を売らなければならない遊女、危険の多い鉱山での労働者などは、労遣場からの提供がなければそう簡単には担い手など得られない。
そういう施設だから、労遣場にはどんな仕事でもいいから職を与えてくれというような貧しい人々が多く集まってくる。人が集まれば情報も集まるから、時には役所よりも労遣場の仕切り役のほうが、街の住人の動向に詳しいということもあった。莉玲が労遣場に向かうことにしたのは、そうしたことを思い出したからだ。彰麗が刺客に狙われたという今夜の出来事が本当に、莉玲にこれまで起こってきたことと関連があるのならば、それは決して秀珠が謀反を起こした件に無関係ではないはずだ。莉玲は彼の処刑を妨害し、彼の逃走を助けた。そのことで王妃は何かを懼れた。莉玲は王妃に謹慎を命じられ、彰麗の言によれば、王妃はそのことによって莉玲を軍で守ろうとしているように見えたという。彰麗の推測の真偽はともかく、莉玲は謹慎を命じられたその日のうちに恵昌に殺されそうになった。この一連の出来事が、もしも彰麗が狙われた今夜の事態と繋がっているのならば、彰麗を狙っている人物には、莉玲を害したいという意思もあり、同じ人物が今夜の事態にも恵昌の件にも関わっている可能性がある。それならば一連の事態のそもそもの原因は、秀珠が謀反を起こしたその事実にあるのではないか。彼が捕まるか、そうでなくてもなぜ、彼が謀反などという恐ろしい大罪を犯さなければならなかったのかを知ることができれば、自ずからこうした事態が起こることは防げるかもしれない。そして、秀珠が謀反を起こした理由を知りたければ、当の秀珠に訊くしかない。そのためには彼が今、どこでどうしているのかを突き止めなければならず、公に罪人と認定されている人物を捜すのならば、役所よりも労遣場のほうが頼りになるのだ。労遣場を利用する者にはお尋ね者も多く、施設の人間は犯罪者の所在情報をよく把握している。莉玲も、現役だった頃はそうした情報をよく横流ししてもらっていた。それに、もしかしたら秀珠が労遣場を利用している可能性だってある。なにしろ彼には傭兵らしい仲間がいたというのだから。傭兵なんて仕事を引き受けてくれる者を手に入れられるのは、ほとんど労遣場だけだ。
労遣場の者たちは莉玲が突然に訪問すると驚いた様子をみせたが、訪問自体は歓迎してくれた。いつものことだ。莉玲はかつてはここの商品だったし、軍人になって市井の治安を担うようになってからも横流し情報を受け取るために関係を続けて、情報を受け取ればそのたびに礼金も払ってきている。彰麗がこの関係のことを知ったら癒着はやめろと警告してくるのかもしれないが、綺麗な水には魚は棲まないというのが莉玲の信念だ。私益のための癒着ではなく、罪人の捕縛による市井の治安の維持のための癒着なのだと、莉玲は自分を納得させている。
〈いい機会だから、私はしばらくここに留まって、私なりのやり方で秀珠を捜してみる〉
莉玲は労遣場の一隅にある客室で、帳面に書きつけた文字を彰麗に見せた。当然のことながら彰麗は難色を示してくる。
「――軍補の身分にありながらこんな施設に泊まってたら、誰に何を疑われるか分からんぞ。莉玲の謹慎は、まだ正式に解けてない。おとなしくもっときちんとした宿屋にいなさい。私が邸の不審人物たちを一掃すればすぐに迎えに行く。何日もかからんだろう」
〈宿屋でじっとしている時間がもったいない〉
「言うことを聞きなさい。それに秀珠を捜すのになぜこんな施設に留まる必要がある?ここにはろくでもない素性の人間しかいないぞ」
彰麗の口調は心底ここを嫌悪するようだった。彰麗は莉玲とは対照的に労遣場を忌み嫌っている。常にどうにかして国中の労遣場を解散させようと躍起になっていた。彼も莉玲同様、元々は市井の浮浪者で、労遣場で傭兵の仕事を得て軍に入った存在なのだが、その経緯を本人はとても厭うているようだ。それがなぜなのかは莉玲にも分からないが、前に一度だけ噂を聞いたことがある。副将軍は元々はどこか他所の国から来た難民で、労遣場の人間に唯一の肉親であった妹を連れ去られ、妹を人質に取られる形で傭兵になったらしいと、それで出ることになった彼の初陣は相当に悲惨なものだったらしく、妹も結局、その戦の混乱で亡くなってしまったらしい。それが本当なら、彼の心情は察するに余りあった。彼が労遣場を嫌うのは当然のことだろう。
莉玲は苦笑した。
〈たしかにここには、ろくでもない素性の人たちしか集まらないけど、ここでないと調べられない情報というのも、あるから。お願い、私にも秀珠を捜させてほしいの。そもそも彼は、私のせいで今も逃げているわけだし。せっかく王都まで出てこられたのだから、私はこの機会に自分が起こした不祥事を、自分で処理したいの〉
莉玲は文章で彰麗にそう訴えたが、彼はそれでも、頷いてはくれなかった。
「だめだ。そんなことをさせられるわけがないだろう。もしも立場が逆で、莉玲が私の立場だったら、やはり頷かないはずだ。莉玲は秀珠を逃走させた張本人だ。そんな人物に捜索をさせて、もしもその過程で莉玲が最初に秀珠を見つけてしまえばどうなるか?再び彼の逃亡が手伝われて、捕縛はいっそう困難になるだろう。そう考えない者はいない」
〈ひどい。そんなことしないもん〉
「莉玲はそう主張しても、周りはそう見るということだ。――分かったら私の言うとおりにしなさい。もうここを出るぞ」
彰麗は莉玲の背後に回りこんで椅子を押し、客室を出ようとした。莉玲は咄嗟に身体を捻って彼の動きを制する。
「今度は何だ?」
彰麗は眉を顰めたが、莉玲の制止には応じて足を止めた。莉玲は急いで帳面に言葉を記す。〈それなら、私が秀珠を捜すのを彰麗が傍で監視してくれたらいい。そしたら私は絶対に問題なんて起こせない。起こしたらすぐに見つかるし、見つかって罰されたくはないもの〉
「私がこのまま王都に留まり続けたら、王宮は副将軍が突然、軍補を連れて失踪したと解釈するだろう。私は今夜、市井に出ることを誰にも告げていないからな。大きな問題に発展するはずだ」
〈それならかえって都合がいいわ〉
莉玲は瞬時に判断した。
〈これから王宮でどういう問題が起きて、誰がどう動くのか。それを見ればたぶん、誰が彰麗に刺客を送ったのか分かる〉




