Ⅴ
はぁはぁと荒い呼吸音が、狭い裏路地に木霊する。何かから逃げるように必死に足を動かす小柄な少年。時折後ろを振り返っては、足をもつれさせ転びそうになっている。
「はぁ、ふ……はぁ、はぁ……っ」
がむしゃらに走り続けていた少年は行き止まりにぶつかり、別の道を探そうと振り返る。そんな彼の頬を何か鋭い物が掠った。突然のことに短い悲鳴をあげその場に尻餅をつく。切れた薄緑色の髪がパラパラと地面に落ちた。
「おやおや、私としたことが外してしまいましたか」
ハットのつばを掴みクツクツと喉で笑う男。男は、後ろに回していた左手をゆっくりと前に掲げた。その手には、細長い針。月の光を受け怪しく光っている。
少年が一歩、また一歩と後退る。しかし彼の後ろにあるのは壁。2歩3歩下がったところで、それ以上下がることは叶わない。
「クク……それではさようなら。反逆者のドブネズミさん」
口元を歪め言い放つと、手に持っていた針を少年へ向かい投げた。もうダメだと目を固く閉じる。
しかし、少年へ向かい放たれた針は突如上から降ってきたナイフによって弾かれた。突然のことに男も少年も驚き目を剥く。
「相変わらず弱い者いじめが好きだな、ナチス」
そんな呟きと共に、二人の間にローブに身を包んだ人物が降り立つ。ナチスと呼ばれた男は、声の主を確認し目を据わらせた。
「エレティック……。どういうつもりだ」
「どうもこうもねぇよ。ただの気まぐれだ」
一触即発の雰囲気に少年はどうしたものかと二人を見遣る。当の二人は睨み合ったまま動く気配を見せない。
しばらく沈黙が続く。不意に、エレティックが少年の方を振り返った。しかしその視線は少年から外れ、彼の背後に立つ煉瓦造りの建物の屋根へと移る。それに釣られるように、少年も自分の頭上へ目を向けた。
二人の視線を追うようにナチスもまた視線を移す。彼らの視線の先には、白いパーカーに身を包み、そのフードを深く被った人物が立っていた。
その人物は、3人から視線を受けると屋根から飛び降りる。それなりに高さのある場所から降りたにも関わらず、着地をした後も平然と少年へ歩み寄った。
「大丈夫ですか、ライム」
「あ、あなたは――」
ライムと呼ばれた少年は、助けに来てくれた人物を確認すると安堵の表情を浮かべる。名前を呼ぼうとした彼の言葉を、人差し指を自らの口元に当て制止する。
「お前の知り合いか」
「……エンドタウンの子供です」
「そうか。それならソイツ連れてさっさと行けよ」
エレティックの言葉に意表を突かれたのか、パーカーの少年はその場で固まる。しかしすぐにライムのことを抱きかかえると、ナチスが立つ方へ向かって地を蹴った。突然のことに身動き出来ずにいる彼の横を通り抜けて路地を駆けていく少年。
「……ッ、クソ、逃がすものか!」
はっと我に返ったナチスは、振り返りざま手に持った数十本もの針を少年らへ向け投げた。だが、その針は全て突如現れた壁に阻まれ地面へ落ちる。まるで鉄の壁のように宙に現れたナイフを目にし、ナチスが視線をエレティックへと向けた。
「貴様……」
「お前の相手は俺だ。ほら、来いよ」