Ⅰ
所々に穴の空いたカーテンの隙間から光が漏れている。薄暗い室内には、ベッドがあるにも関わらずソファで銀髪の少年が眠っていた。それなりに整っている顔にはまだ幼さが残っている。
カーテンから漏れる光が顔を照らし、時々眩しそうに眉根を寄せるが起きる気配はない。
少年の寝息以外に物音のしていなかった室内にコンコンというノック音が響いた。次いでドアの開く音。
「ロス、入るよ?」
目を覚ましていないことは重々承知しているが、一応一声かけてから茶髪の少年が部屋へと踏み入れる。年は、眠っている少年より2、3歳上だろうか。
彼の言葉に応えたのは部屋の主ではなく、クローゼットの上で眠っていた小さなドラゴンだった。
淡い水色をした直径30cm程のドラゴンは、茶髪の少年の周りを一度ぐるりと回ると未だに寝息を立てている少年の頭上へ留まった。
「まったく、君のご主人は寝坊助で困っちゃうよ」
ソファの傍まで歩みを進め、全く起きる気配を見せない少年を見てため息をつく。ドラゴンに言ってもどうしようもないのだが、この場に愚痴を聞いてくれるのはこの生き物しか居ないので仕方ない。
少年――ロス=ファントムはそんなやり取りをする彼らの前で寝息を立てるだけだった。
「ほら、ロス起きて。朝だよ。ロスってば」
茶髪の少年を手助けするように、ドラゴンはロスの胸の上に乗り軽く飛び跳ねる。
流石に目を覚ました彼は、まだぼんやりとする目をドラゴンへと向けると口元を緩め笑みを浮かべた。ゆるりと腕を持ち上げドラゴンの頭を撫でる。
「おはよう、ニト」
名前を呼ばれたドラゴンは挨拶を返すようにひと鳴きする。ロスは次いで横にいる少年に気付くと、目を擦り欠伸を噛み殺しながら起き上がった。
「シャルムも、おはようございます」
「“も”ってなんだよ“も”って。まぁいいや…優が早く起きてこいって怒ってるよ。先に行ってるから、二度寝しないで起きて来なよ」
不満げにため息をつき、少年――改めシャルムは立ち上がり二度寝しないようにと釘を刺し部屋を出て行った。
ひらひらと適当に手を振り彼を見送ったロスは、両腕を上に上げ伸びをすると立ち上がる。裸足のままベッドへと近寄ると、脱ぎ捨ててあった服を手に取った。
ふと視線を左へと移す。立て掛けてあった姿鏡に映った、ズボン以外身にまとっていない自身の姿を暫く見つめる。
僅かに筋肉のついた細身の体。その首から胸下にかけて彫られた逆さの十字架。リバースクロスと呼ばれるその刺青は、この世界では混血者のみに刻まれる印だった。
世界は、大きく三つに分けられる。天界と魔界、そして人間界。それぞれの世界はゲートを通して繋がっている。それに倣って、種族もまた天界族、魔族、人間と3つに分けられた。
100年前、人間界の王が突然死した。それを聞きつけた魔界の女王は人間界を魔界の一部として取り込み、その頂点に君臨した。力を持たない人間は従うしかなかった。
人間界は更にクロスタウン、ロストタウン、エンドタウンと分けられた。
一番中心に位置するクロスタウンには魔族や人間の貴族が多く暮らしている。そして中心から外れ、ロストタウンに近づくにつれ階級は下がっていく。クロスタウンには及ばずとも、ロストタウンでもそれなりの暮らしは出来る。そして一番外、エンドタウン。政府に忠誠を誓えなかった人間や混血者が暮らす街。生活水準は底辺。生きていくのがやっとの街だ。
そして、エンドタウンに追いやられた混血者の殆どにリバースクロスが刻まれている。純血至上主義の女王は、他種族との間に子を成すことを禁忌とした。そして混血者は穢れた血を持つ者としてリバースクロスを刻まれ、死ぬまで迫害され続ける。
ロスも同じだった。彼にはリバースクロスを刻まれるより以前の記憶がない。彼がこの印を刻まれたのは10年前――まだ5歳の時だった。
眠りから目を覚ますと、数人の大人に体を押さえつけられていた。状況が飲み込めないままに、首から胸下にかけてリバースクロスを刻まれた。痛みと恐怖に泣き叫ぶ彼を見て、大人はずっと笑っていたのだ。
『きゅるぅ……』
刺青に指で触れたまま微動だにしないロスを心配したのか、肩の上に乗っているニトが心配そうに鳴き声を上げた。はっと我に返り、ロスは苦笑いする。そして安心させようとニトの頭を撫でた。
「すみません、俺なら大丈夫ですよ。下に行きましょうか」
『きゅるるっ』
先行するようにニトがドアへ向かい羽ばたく。着替えを済ませたロスは首元の痕を隠すようにマフラーを巻くとドアを開け部屋を出た。
下の階から食欲を唆る香りが漂ってきていた。