Ⅲ-Ⅱ
「ロスさん、遅いね」
日も暮れ始めた頃、窓から未だ止まない雨を眺めながらアンヘルは呟いた。
夕食のシチューを煮込んでいた優がその手を止めため息をつく。
「まったく……夕方までには帰るって言ってたのに、どこをほっつき歩いてるんだか」
ぶつぶつと文句を言いながら再び手を動かし始めた優。しかしそれは、突如響いた衝突音によって阻まれた。
音のした方――アンヘルのいる窓辺へ、優は視線を向ける。
「な、何……今の音」
「ニト!? 優さん、ニトが窓に!」
自分が濡れるのも構わず、アンヘルは窓を開け外にいるニトを抱き上げた。そのまま部屋に入れるとソファの上に降ろす。
優、そして音を聞きつけたシャルムとエレティックもアンヘルの側へとしゃがみ込んだ。
「ニト、どうしたの? ロスは?」
『きゅっ、きゅるる、きゅぃ!』
何かを訴えるように鳴くニト。しかし、この場にドラゴンの言葉を理解できる者はいない。
それでも小さなドラゴンは必死に何かを伝えようと鳴き続ける。
「きっと、ロスに何かあったんだわ……。確か、クロスタウンに行くって言ってたよね? 助けに行かないと!」
「でも、どうやって? 俺達じゃあの門は通れないじゃないか」
「それじゃあこのまま放っておけって言うの!?」
取り乱す優を、シャルムは必死に落ち着かせようとする。
言い争いのようになってしまっている二人の裾を、不意にアンヘルがくいっと引っ張った。優とシャルムの視線が、彼女へと向く。
「わたし、クロスタウン行けるよ」
突然の言葉に、二人は暫く呆然とアンヘルのことを見つめた。そんな二人にアンヘルはほら、とポケットからIDカードを出してみせた。――それは紛れもなく、クロスタウンの住人であることを示すカードだった。
「アンヘル……あなた、クロスタウンの人だったの……?」
驚きを隠せない優の問いに、こくんとアンヘルが頷く。
シャルムは、目線を合わせるように彼女の前にしゃがむと肩に手を乗せた。
「でも、君一人じゃ危険だよ。状況がわからないんだから」
「大丈夫だよ」
シャルムの言葉を遮るように、自信満々で言い切るアンヘル。確かに、彼女は殺し屋の一員だった。それなりに戦闘経験もある筈だし、実力もあるのだろう。
しかし、情報が何一つ無いこの状況においては彼女一人の力じゃどうにもならない。
そんなシャルムの考えを他所に、アンヘルは後ろにいるエレティックの方を振り返った。
「だって、エレティックさんもクロスタウンに入れるもん。ね?」
三人の視線がエレティックへと向いた。突然話を振られたエレティックは、曖昧に返事を返す。
顔を見合わせた優とシャルムは、暫し悩んだ末意を決したように二人を見遣った。
「……わかった。じゃあお願いするよ。でも、くれぐれも気をつけて。危ないと思ったら、すぐに逃げてくれ」
「エレティック……アンヘルとロスのこと、お願いね」
アンヘルとエレティックは頷くと、それぞれローブを身に纏いフードを被る。武器を持つと、ドアノブへ手をかけた。
「行ってくる。ニト、案内は任せたぞ」
「いってきます」
そう言い家を出ていく二人とニトを見送ると、優は椅子に座り両手を握り締めた。
助けに行く術を持たない彼女は、こうして待つことしかできない。そんな優の悔しさを感じ取ったのか、シャルムは彼女の頭を一撫でし隣に腰掛けた。
「二人を信じよう。大丈夫、きっと無事に帰ってくるさ」
「……ええ」
それきり会話は途絶え、部屋を静寂が包む。
外では、一層激しさを増した雨が未だ止む気配を見せず降り続けていた。