Ⅱ - Ⅵ
―10年前―
鉄の柵。コンクリートの床、壁。子どもが数人入れられた檻の前に、銀髪の小柄な子どもが看守に連れられて来た。
キィという音を立てて、開いた牢の音に中にいた者が一斉にそちらへ目を向ける。看守に押されるようにして牢の中に足を踏み入れた少年は、自分に向けられる視線に動きを止めた。
「……お前、小せぇなー。ちゃんと食ってたのか?」
頭上に狼の耳を生やした少年が、どこからともなくリンゴを取り出す。するとそれを半分に割り、片方を銀髪の少年に差し出した。
「オレ、ソラってんだ! よろしくな! お前は?」
「俺は……」
半分になったリンゴを受け取り、自分の名を名乗ろうとした少年は途中で言い淀んだ。愕然と目を見開き僅かに震えている。そして視線を手元に落とし、何度か名前を言おうと口を開閉させる。
「名前……俺は……誰……?」
その場に座り込み、ぽつりと呟かれた言葉。
どれだけ思い出そうとしても、彼は何も思い出せなかった。自分が誰なのか、なぜここにいるのか、ここはどこなのか。
俯き黙ってしまった少年の前にソラがしゃがむ。
「まさかお前……記憶がないのか?」
ソラからの問いかけに少年は小さく頷く。
認めたくなかった。何かの間違いであってほしかった。でも、認めざるを得ない。自分には記憶がない――。
そのことに気付いた途端、少年は恐怖に襲われた。小さな体を更に小さくし、何かに耐えるように唇を噛み締める。
そんな彼の頭を、誰かがぽんぽんと撫でた。顔を上げた少年の目に、自分を撫でている少女が映る。
肩まで伸びた茶髪に水色の瞳。腕は二の腕あたりから鳥のような翼になっている。
「かわいそ、かわいそ」
ぶっきらぼうな撫で方に、ソラが思わず吹き出した。頭を撫でていた少女はピタリと動きを止め、ソラを睨みつけた。
「笑うところ、違う」
「いや、わり……でも、ぷっ。ハーレイ、お前それでも撫でてるつもりかよ……っ」
ついに堪えられなくなったのか、ソラは声を上げて笑った。笑われた少女は、むくれて笑った当人を翼で何度も叩く。
ひとしきり笑い終えたソラは息を整え、牢の中にいる全員を呼び集めた。
「はー笑った笑った。えっとじゃあ、この牢にいる奴ら紹介するな」
ソラは、左にいる少女から順に紹介していく。
白のショートヘアで獣の耳のようなくせ毛を持つペディア。ヒポグリフとケットシーとの混血。
腕が翼になっているハーレイ。ハルピュイアと人間との混血。
黒のロングヘアーに左右で色の異なる翼を持つクレア。天使と悪魔の混血。
そして狼の耳を持つソラ。狼族と人間の混血者だ。
「ちなみに俺とペディアが一番年上。よろしくな……って、名前がないと不便だよな。そうだな……じゃあ、お前のことはゼロって呼ぶな!」
「ゼロ……」
みんなもそれでいいか? とその場にいる者達に問いかけるソラ。その問いかけに、各々が頷き笑みを浮かべた。
「良いと思うよ」
「ゼロ、かっこいい」
「ちょっと安易だけどな」
「うっせ」
鼻で笑うクレアに食って掛かるソラに、もっとやれと煽るハーレイ。ペディアはそんな三人を宥めようと、オロオロと手を彷徨わせる。
ゼロ――。
そんな彼らを余所に与えてもらった名を小さく呟いた少年は、ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。