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第一話 少年の旅立ち

 山道を抜けると一面の田園地帯が広がる。夏めく日差しすら心地よく、シュルト山羊の群れが緑豊かな牧草を食んでいる。丘の斜面に果樹の並木は大きく赤い実りを携え、山間から引き込んだ水路のせせらぎが大地を潤してく。

 真夏でも雪を絶やさぬ万丈の白嶺は、麓下のムスタファル平原に枯れることなき氷河の涼水をもたらす。この山間の盆地が桃源郷と呼ばれて久しい。

 かつて、岩と干からびた灌木しか見られなかったムスタファル平原は、100年ほど前にこの地に根を下ろした『天子』とその弟子たちが施した大規模な灌漑工事や土壌改良によって、いまやこの国でも有数の穀倉地帯となっていた。

 山塊のアイスクリームをスプーンで深く繰り抜いたようにできた領域に、人々は都市と田畑を作り暮らしている。


 都市の名を『ゼフィランサス』という。


 周囲に連なる標高2000メイル級の山々を縫うように運河が流れていた。その運河の堤防の上、長閑な田園の中を延々と続く石造りの街道は、都市を臨む湖へ続いている。

 俺は、その街道を白い髭の老人を載せた驢馬の手綱を引きながら歩いていた。



   *   *   *



 親から授かった髪と瞳は、前世と同じ黒だった。

 この世界に黒髪と黒目の男子は珍しく、モテるかどうかはさて置いて、大変縁起がいいという。

 この黒髪は驢馬(こいつ)もお気に入りで、前を歩いていると、たまにうなじのあたりを甘噛みされる。嫌われてはいるわけではない。こいつが時折甘えてるだけだ。

 要するに、俺はいまだ驢馬より背が低く、気分次第で侮られてしまうのだ。

 

「もうすぐ着くぞ、爺さん。起きろ」

「にゃむ…」

「驢馬の上でよく眠れるな……疲れてないか?」


 新たな生を受けて8年がたった。

 俺は転生しても生まれながらに魔法と魔術が使えた。まぁ、『人並みに』だ。この世界で魔道が使えればいずれ食うに困ることはないのだが、今はそれを大っぴらにするつもりはない。

 うん。俺より魔力があって魔術に長じた連中なんてごまんといるんだからな。


 転生して俺がまず最初にしたことは前世の知り合いを頼ったことだ。文明レベルでいえば、近世ヨーロッパ並のこの世界、子供一人で生きていくのは何かと難しい。

 死後70年以上経って、ほとんどの知人が没していたが、一人だけ生き残っていた。


 シュナイデル・ファルカという名の老人だ。


 俺は前世で最後の数年間、身寄りのない子供たちを引き取って剣術や魔術を伝えていた。シュナイデル・ファルカはその弟子一人である。剣の才に類い稀なる冴えを持った少年であり、魔力抜きの模擬戦でこの俺を何度か負かしたことのある天才だった。

 俺の晩年(といっても不老)の子弟のなかでその才能はピカイチだったかもしれない。平民でありながら、隣国ネリスの王様の名誉騎士の称号までもらってる豪傑である。

 俺は生まれてすぐ、自分の意志でこの老人のもとを訪れた。

 彼は8年前、家の門前で泣き叫ぶ赤子を心よく養子にしてくれた。俺は彼に『保護者』になってもらって、畑仕事や家事手伝いをしながら暮らしている。

 あの時とは立場が逆になったわけだな。


 タクミ・ファルカ

 …それが今の俺の名前だ。


 養父シュナイデルは8年前はまだ赫灼とした姿だったが、いまや歳はもう100に近い。かつての往年の冴えも視る影もなく衰え、もうすっかり要介護老人である。それでも驢馬にまたがり3日間の旅ができるのだから、大したものかもしれない。

 

「大丈夫、何事も…経験…ですぉ ほっほっほっ…」

「ああ、さいですか…」


 老人は暢気に俺に応える。最近は会話があまり噛み合ってない。まぁ、爺さんだからしかたない。俺の頼みで長旅させちまって申し訳ないな。労ってやらんと。


 ボケ老人を驢馬に乗せて街道をたどり、ようやく辿り着いたのはパラディナ湖畔の船着場である。対岸にはゼフィランサスの城塞が聳えていた。この船着場から水門を抜け、あの城壁の中に入ることができる。

 城塞都市の利点は、外敵を侵入を防ぐだけではなく、都市に出入りする人・モノ・金を監督できることだ。

 渡し船を取り仕切っているのは、パラディナ湖水運組合と自由同盟の兵士だ。中年のベテラン兵士の監督のもと、兵士たちが列をなす商人や旅人を、手際よく捌いていた。

 旅人の列は次第に消化されていき、俺達の番がやってた。


「下馬を願いたい」

「あー……ああ…」


 兵士はまず、驢馬の上にいたシュナイデル爺さんに降りるように言った。

 まぁ、一応ルールだからな。俺も下馬を促す。

 自由貿易を歌うだけあって、通行税は高くはない。ただし、おたずね者や御禁制の品などは即御用である。

 

「ほら爺さん、降りて、兵士さんにご挨拶するんだよ」

「……あ?あんだって?」


 シュナイデル爺さんは明後日の方向を向き直る。

 兵隊さんにおしり向けてどうする。


「志村ーうしろーうしろー」

「あっ…ああ!」


 お約束の漫才。兵士たちを苛つかせるかと思ったが、彼らには、「ボケ老人を世話をしようとする8歳の少年」という微笑ましい掛け合いに見えたらしい。中年の兵士は半笑いで諦めたように嘆息した。

 

「ああ、もうそのままでかまわん。降りる必要はない。……許可証はあるかね?」

「はい。通行証です」

「うむ」


 耳の遠そうな老人を相手にするよりは、利発そうな子供(自分で言うのもなんだが)と話したほうが早いと思ったらしい。俺は通行証と、かねてより用意していたもう一通を手渡す。これがあれば通行税を求められることはない。

 直立不動のまま、書類を広げる兵士。


 自由同盟軍は、自由都市ゼフィランサスの保有戦力である。この世界の軍といえば、王国が保有する『国軍』か、諸侯が保有する『諸侯軍』だ。それ以外は基本的に傭兵、私兵、雑軍という扱いになる。だが、この自由都市ゼフィランサスが保有する同盟軍は別格だった。

 崇高な存在に忠誠を尽くしていることこそが、軍人のプライドだ。この世界では通常、軍人の奉仕対象は王侯貴族なのだが、彼ら同盟軍の奉仕対象は『市民』である。それでありながら、士気は非常に高く、一つ一つの身のこなしも様になっていた。

 夜中も市中を警邏し、人々に安寧を与える存在。都市と市民の守護者。ゆえに彼らを『ポリス』と呼ぶ。

 前世の俺の生まれ故郷では当たり前だが、封建主義全盛ともいえるこの大陸で、こういう武装勢力を作ろうと思ったらハードルは高いだろう。


「……え?」


 兵士は俺の差し出した通行証に目を通し始めた。やがて、書類に書かれた名前を見て、血相を変える。

 まぁ、爺さんの本名と添え状をくれた偉い人の名前みたら、そりゃ驚愕するだろうな。

 

「シュ、シュナイデル・ファルカ! あ、あの…伝説の!?」

「……ああ、たぶん、そのシュナイデル・ファルカです」


 兵士は、驢馬の上で眠りかぶっている老人と通行証の名前を交互に確認する。


「第七天子の最後の弟子にして、自由都市独立戦争の英雄! 剣聖シュナイデル・ファルカ様でありますかっ!?」

「にゃむ」

「おーい、じいさーん!!」


 目の前で手を振っても、爺さんは眼の焦点があっていない。


「おいおい、マジかよ? 大英雄だぜ?」

「………ま、まさか、ご存命だったとはっ!」

「嘘だろ? 生きていたら100歳近いはず!」

「間違いないウィドレー伯爵様の添え状まである」


 後方で待機していた兵士たちも騒ぎ出した。

 そういや、この爺さん。俺の死後に活躍して『剣聖』になったんだっけ? 有名になったとは聞いていたがここまで恐縮されるとはな。


「あの、何か書類に不備でもあるでしょうか?」

「い、いえ……か、かか、確認させていただきすが。ほ、本当にご本人なのですか?」

「まぁ、見ての通り死にかけですけどね。爺さん。ギルドカードもってる?」

「……にゃむ、あ……、あいあい……」


 シュナイデル・ファルカ大先生は懐から、紫水晶のような材質でできたカードを取り出し、兵士に手渡した。カードの輝きを見た兵士の喉からゴクリと音が鳴る。


「こ、これは……Sランクのギルドカード!!」


 ギルドカードとは世界中で使われている冒険者のIDカードだ。

 冒険者試験に合格すれば、冒険者ギルドより発行してもらえる。

 だが、この世に冒険者、星の数ほどあれど、Sランクのカードを持ってる奴なんて10人もいないだろう。

 カードは遊◯王カードのホログラフィックレアみたいにキラキラと輝いている。表面をタッチすると空中にシュナイデル・ファルカの固有紋章が浮かび上がる。この紋章も有名らしい。

 自由同盟軍警備隊ポリスであれば、冒険者カードから持ち主の個人情報を読み取ることができる。上級冒険者のカードは、スマートフォンみたいにインタラクティブかつスタイリッシュに動くため、ホログラムを動かす度に兵士たちは感動していた。


 名前    …… シュナイデル・ファルカ 

 種族    …… ヒト

 生年月日 …… 天精暦892年 花月28日 (97歳)

 ランク    …… S (exp : 19133)

 最終更新日時 ……  天精暦964年 氷月10日 11時38分54秒

            ゼフィランサス本部



 ちなみにこのカードは登録者の方向を向けると、本人固有の魔力波動を検知して光を発する仕組みになっている。登録者が遠くにいたり死んだりしてると光らない。

 偽造は不可能だ。なにしろ、カードの個人認識システムは第七天子たる『俺』が作っている。つまり、()()に間違いないということなのだよ。ワ〇ソンくん。


「か、確認しました! シュナイデル・ファルカ様。タクミ・ファルカ様。両名とも、問題ございません!!」

「ああ……あいあい、ご苦労さまぁです……」


 兵士は向き直って最敬礼し、カードを返還する。多少仰々しいかもしれないが、まぁ、無理もないか。聞くところによると、兵士たちにとってウチの爺さんは生きた伝説だという話だしな。

 好好爺はそれを丁寧かつ飄々とうけとった。


「あ、あの!」

  

 俺が驢馬を引き、船着場のほうへと歩み始めたときである。

 船に乗ろうとした寸前で、齢若い兵士が爺さんを呼び止めた。


「あ、あい」

「お会いできて光栄です! 剣聖様!! あ……握手していただけますか!?」


 そう言って深く頭を下げて右手を差し出す。

 うわぁ、とってもジェントル。相当尊敬してるんだな。


「うん、うん……では……」 


 だが意味がわかってないのか、シュナイデル爺さんはニコニコと会釈をし、驢馬に乗ったまま、さっさと渡し船に乗り込んでしまった。


 ………おいおい、そりゃないだろ爺さん。

 大の男が腰を直角になるまで曲げて握手を待っていたんだぞ。

 こんな寂しいスルーされて、どうリアクションすりゃいいんだよ。

 ファンは大事にしろよ。

 ベテラン兵士にポンと肩を叩かれ、若い兵士はがっくりと肩を落とす。

 しかたないので、代わりに俺が握手しておいた。これには兵士たちも苦笑いである。


「申し訳ございません。

 祖父はもうすっかり耳が遠くなっておりまして……

 お気を悪くなさらないでください」


 養父なのだが、めんどいので祖父ということにする。


「……あ、いえ…とんでもない。

 伝説の英雄に一目お会いできただけでも光栄です。

 お祖父様は今、どちらにお住まいなのでしょうか?」


 おや、俺にまで敬語になった。


「山間にある、クルリス村というところです」

「剣聖様はこの都市に何か御用で?」

「ええ、知人を訪ねにきたそうです。ボクはその方の名前まではわかりません。古い付き合いだそうですが……」


 そこで俺は「子供だからよくわからんなーい」という顔。こういう時に子供は便利だな。実は誰に会いに行くのかは知っている。この町にある冒険者ギルド本店のお偉いさんだ。

 だが、そういう偉い人の名前をここでいうのも虎の威を借りるようでかっこ悪い。「知らない」ということにしておこう。


「そうですか……では、道中、お気をつけて」


 若い兵士、再度敬礼して俺を送り出してくれた。

 ま、帰りもここを通ることになるだろうな。

 もしその時もこの人だったら、爺さんを少し話ができるようフォローしておくか。


 渡し船に乗る。

 船を引っ張るのはこの湖に生息する大水亀(オオタイマイ)だ。力持ちだが人懐っこいやつで、デッキブラシを持ってる人間をみると、甲羅を擦って欲しくて近づいてくるという奇妙な爬虫類である。

 飼いならせば荷を満載にして、河だって遡れる。甲羅は亀だが首と手足はフタバスズキリュウ。要するに『のりもの◯ケモン』のようなやつだな。

 編笠にアオザイ姿の女性船頭が手綱を引くと、亀に牽引されて渡し船は岸を離れた。

 都市の入り口は6つ、うち北の2つは水門であり、パラディナ湖につながる。大型輸送船も悠々と出入りできる巨大な岩のアーチをくぐり、俺達は城塞の中に入った。

2014/01/22 修正

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