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光の花園  作者: わた
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第4話 恐ろしい夜

馬車は見慣れた田舎町に入っていく。もう町は眠りに入る頃だった。ただ、こんな時間に馬車が走り去るのを見て、祭りの後片付けをしていた大人の何人かが、ぎょっとしたようにこちらを見た。


森の入り口で、馬車が止まった。ティーゼは急いで馬車から降り、馭者に深々と頭を下げる。


「どうもありがとうございました。本当に、助かりました」

「いえ、私はイゼル様の命令に従っただけですから」


気持ちのよい笑顔で、馭者の青年が答える。


「本当にここでよろしいのですか?馬車は森へは入れませんが、家までお送りしますよ」


心配そうにそう言ってくれる。誠実そうな瞳と目が合い、ティーゼは微笑んだ。


「ありがとうございます。セレウスもいてくれますし、大丈夫です。……イゼル様に、よろしくお伝えください」


青年は気遣わしげに目を細めてから、再び敬礼をして馬に鞭を入れた。これから彼は、王都までの道のりを、再び辿っていくのだろう。

遠ざかる馬と車輪の音を聞きながら、ティーゼはセレウスを見て笑う。


「ね、おばあちゃんへは一緒に謝ってちょうだいね。私ひとりだったら、きっと部屋に閉じ込められてひと月くらい出してもらえないわ」

「たぶんイゼルから聞いた話をしたら、ばあさん腰抜かしてティーゼを怒るどころじゃねえぞ」


セレウスはあくびをしながら言う。つられてティーゼもふわ、とあくびをした。今日は本当に、とても疲れた……。


森に入り、家へと帰る。夜道でも迷いはしない。いつもセレウスに会いに行くために使う道、セレウスと別れた後に使う道を、今は彼と一緒に歩いている。なんだか不思議な気持ちだ。

森はしんと静まり返っていた。ティーゼとセレウスが時おり枝に触れ、葉が鳴る他は何の音もない。首を上げると、黒い木の枝の影越しに、深い藍色の空が見えた。暗い空だ。きっとこの森の影を受けて、ティーゼの瞳も同じ色をしているのだろう。もっと広くて、眩い星の光が輝く空がいい。


やがて、木々の合間にひっそりと建つ我が家にたどり着いた。灯りが点いていない。アンナは怒って、もう寝てしまったのだろうか。いや、扉が少し開いている。こんな小屋に盗みに入る人はいないだろうけれど、アンナはいつだって念入りに戸締まりをしていた。それを忘れて寝てしまうなんて、そんな失敗はしない。なぜ部屋を真っ暗にしているのだろう?

胸がざわつく。ティーゼはおそるおそる扉に手をかけ、思いきって開いた。空気が冷たい。真っ暗で何も見えない。ランプを探して歩を進めるたび、紙を踏んだり何かを蹴ったりしてしまう。なぜこんなに散らかっているのだろう。

やっとランプを探しあて、灯りを点ける。部屋中めちゃくちゃだ。テーブルも椅子も倒れ、食器棚はひっくり返り、鍋は中身をぶちまけた状態で転がっている。ひどい有り様だった。


「おばあちゃん……?」


ティーゼはアンナを探す。嫌な予感がした。


奥にある、アンナの部屋へ目を向ける。アンナの部屋の本棚にはぎっしり本が詰まっていて、ティーゼが小さい頃アンナはいつもその中から、おとぎ話を読み聞かせてくれた。けれどティーゼが大きくなるにつれ、部屋に足を踏み入れることは少なくなっていた。

ティーゼは天井からランプを取り外し、それで足元を照らしながら、アンナの部屋へ向かう。扉が壊れていた。ティーゼはぎゅっと、母の形見の髪飾りを握り直す。ゆっくり、アンナの部屋の中を照らしていく。本が散乱し、そしてそれに埋もれるようにして、部屋の真ん中にアンナが横たわっていた。


「おばあちゃん!」


ティーゼはランプを取り落とし、祖母に駆け寄る。アンナはぴくりとも動かず、その瞳は虚空を見つめていた。抱き寄せたところで、その腹部に刺さったナイフに気がつく。ティーゼは悲鳴をあげた。


「おばあちゃん!おばあちゃん!ねえ、返事をして!」


ティーゼは泣きながら必死にアンナを揺すぶる。


「嫌よ、死んでは嫌!おばあちゃん……」


冷たくなった祖母を抱きしめ、その胸に顔を埋めて泣きじゃくる。

どれくらいそうしていただろう。セレウスが隣に座って、ティーゼを呼んだ。それでもティーゼはアンナから離れず、その上衣を涙で濡らし続けた。


「……ティーゼ」

「……やだ。やだ……おばあちゃん……」

「ティーゼ」

「いやだよ……」

「ティーゼ!」


やがて、無理やりアンナから引き離される。肩を掴まれ、ティーゼはセレウスと向かい合った。


「しっかりしろ、ティーゼ」


ただ、まっすぐ目を見つめてそう言われただけで、水を浴びせられたかのような衝撃を受けた。随分長い間、ティーゼは泣いていたらしい。何時間だろう、その間ずっと、セレウスはそばにいてくれたのだ……。


ティーゼは涙と鼻水でべしゃべしゃになった頬を拭う。そうして落ち着いてからは、ただ重い悲しみが心にのしかかった。アンナが死んでしまった。たったひとりの家族が、死んでしまった……。

茫然として動けないティーゼの代わりに、セレウスがそっとアンナの目を閉じさせてくれる。それで、やっと安らかな顔になった。まるで眠っているかのような。


セレウスがティーゼの肩を抱き、ぐっと引き寄せる。彼に身を預け、ティーゼは声もなくはらはらと涙を流す。セレウスが隣にいてくれる温かさが、何より嬉しかった。きっとひとりでいたら、ティーゼはいつまでもアンナの亡骸に顔を埋めて動けなかっただろう。


「どうしよう、セレウス……おばあちゃんが……」


死んじゃった、と言葉にするのが恐ろしくて、唇が震える。


「……朝を待とう、ティーゼ。大丈夫。俺がそばにいる」


ティーゼはセレウスをぎゅっと抱きしめた。この温もりさえなくなってしまったら、と考えると、怖くて仕方がなかった。そばにいる、という言葉が、どれだけ力を与えてくれたかわからない。けれどそれでも安心できずに、ティーゼは精一杯の力でセレウスを抱きしめる。嬉しいことにセレウスは、それ以上の力で抱きしめ返してくれた。顔をティーゼの首筋に埋め、大丈夫、と繰り返す。


( 私のせいだ。言いつけを破って、お城に行ったから。何も言わずにこんなに遅くに帰ったから…… )


ティーゼは泣きながら、後悔し続けた。


( 約束通り、パレードを見たあとすぐに帰っていれば、おばあちゃんはいつも通り扉に鍵をかけて、きっとそれからもいつも通りだったわ。今頃私と、セレウスと、3人でテーブルを囲んでいたかもしれない…… )


どんなに悔やんでも、時は巻き戻せない。


ティーゼとセレウスは一晩中、身を寄せあっていた。永遠に明けないのではないかと思うほど、長い長い夜だった。アンナの亡骸を前に、ティーゼは闇に押し潰されそうだった。それでもやがて空は白んで、夜空の色が水に溶けたように青くなっていく。赤い日差しが森の木々をすり抜け、部屋の中に光を落とした。そうやって明日が今日になっていく。けれど、アンナの目は、もう開かれることはない……。


もう朝だ。明るくなって初めて、荒らされた部屋の様子がよくわかる。単に暴れたという感じではない。引き出しも棚もひっくり返されているから、何かを探していたみたいだ。いったい誰が、何を探すというのだろう。この家には、盗む価値のあるものなんてないはずだ。


ティーゼは腫れぼったい目をこすって、ふらつきながら立ち上がった。セレウスが肩を支えてくれる。


「……おばあちゃんを、弔わなきゃ」


いつまでも、この荒れた部屋に寝かせておくのは可哀想だ。ティーゼは自分が、ずっと母の形見の髪飾りをきつく握りしめていたことに気づき、それで髪をひとつに束ねた。


セレウスが、家の裏に穴を掘るのを手伝ってくれた。ふたりで土にまみれながらスコップを動かし、やっと墓穴を完成させる。アンナの身体を横たえたところで、


「ごめんね、ちゃんとしたお墓も用意できなくて……」


最後に、その身体に完全に土をかけた瞬間、ティーゼはまた涙を流した。


空は完全に明るくなり、木々の枝の奥には薄く雲のかかった青空が見える。それでも木に囲まれた森は薄暗く、ティーゼの心も重苦しく淀んでいた。


「……おうち、片付けなきゃ」


ぽつりと呟く。


「ずっとあんな状態にしてたら、おばあちゃんも悲しむでしょう。セレウス、手伝ってくれる?」


セレウスは黙って、またティーゼの肩を支えてくれた。


再び家に足を踏み入れ、その荒らされ方に眉をひそめる。この家への敬意など微塵もない。

何度も雑巾をしぼって鍋からこぼれたスープを拭き取る。割れた食器も、転がった野菜も、丁寧に片付けた。テーブルも椅子も、元通りに立たせた。重い棚は、セレウスが動かしてくれた。そうやって手を動かしているうちに、少し冷静になってきた。相変わらず重苦しい悲しみはのしかかっていたけれど、改めてこの状況を見つめ直すことができるようになった。


腹部に刺さったナイフ。アンナは殺されたのだろうか。誰に?強盗?こんな森の中の小屋に、わざわざ盗みに入るだろうか。それに、金目の物を盗むだけのつもりなら、あんなに部屋中がめちゃくちゃになるほど引っ掻き回すだろうか。何か、目的の物があったように思える。隠された何かを見つけ出したくて、手当たり次第探していったような感じだ。食器棚まで荒らされているということは、それは小さな物なのだろうか。小さくて高価ということは、宝石?けれど、この家には宝石なんて……。


「…………あ」


ティーゼは、頭に着けた髪飾りに手を触れる。空色の大きな石がはめ込まれ、細やかな宝石細工が施された、母の形見の髪飾り。

……まさか、これ?

ティーゼは思わず髪飾りをはずして、手の中に隠す。

けれど、これひとつのために家に押し入るというのも変な話だ。美しいけれどとても古い物だし、もっと価値のある宝石はいくらでもあるはずだ。それに、この家にこの髪飾りがあることを知っているのはおかしい。いつもティーゼの部屋の引き出しに、大事にしまわれていたのだから。


ティーゼは首をふり、また髪飾りで髪を束ねて、掃除を再開した。


セレウスが、アンナの部屋の本棚を元通りにしてくれていた。この部屋に入るのはティーゼにとって酷だから、本当に嬉しかった。本の並べ方も、上下も乱雑だったけれど、彼の心遣いに、ティーゼはお礼を言った。本当は笑顔で言いたかったけれど、顔が固く強ばっていて失敗してしまった。


倒れた梯子をかけ、屋根裏部屋に上る。ティーゼの部屋も荒らされていた。タンスから服がほとんど出されているのを見て、腹立たしいやら気恥ずかしいやら、やるせない気持ちになる。セレウスに少しの間待っていて、と伝え、ティーゼはしくしく泣きながらひとつひとつ服をたたんでいった。


やがて、家はかつての姿を取り戻していった。壊れてしまったものはもう直せないけれど、それでもあのまま放っておくよりずっといい。

けれど片付けを終えてしまうと、これからどうすればいいのかまるでわからなくなった。ここで、アンナのいなくなった家で、今まで通り暮らしていくことは考えられない。なぜアンナが殺されたのか、その理由もわからないままにしておくなんて耐えられない。けれど、どうやってその理由を知ることがてきるだろう?


「……おかしいと思わないか、ティーゼ」


セレウスが低い声で言う。


「俺たちが城へ行って、イゼルからあの話を聞いた夜に、ばあさんが殺されたんだぞ。……何か関係があるのかもしれない」

「…………」


ティーゼはじっと、セレウスを見つめた。


「ただの強盗の仕業じゃないってこと……?」

「わからない。でも、偶然にしてはおかしくないか。いっぺんに事が起こりすぎだ」

「わ、私が約束を守って、お城に行きさえしなければ、おばあちゃんは……」

「そしたらティーゼも殺されてたかもしれねえぞ。過ぎたことをくよくよ悩むのはやめろ」


セレウスは腹立たしげにそう言うと、ティーゼの髪をくしゃくしゃとかきまわした。ティーゼはその手を掴まえる。


「セレウス、私、お城へ行きたい」

「…………」

「お城へ行って、何かわかるかって言われたら、それはわからない……。でも、もし私がお城へ行ったことと、おばあちゃんが死んだことが関係あるなら……。私、知りたいの。何かわかるかもしれないなら、すぐにでも行きたい」


声が震える。


「私はおばあちゃんを失って……もうどうしたって、元通りになんかなれないわ」


長いため息が聞こえ、セレウスがティーゼの背中を思い切り叩いた。


「わっ」

「わかったよ。一緒に行こう」

「セレウス……」


空色の瞳が、苦い笑いを浮かべている。ティーゼはほっとして、


「ありがとう。セレウス」


セレウスは黙ったまま、またティーゼの背中をぽんぽんと叩いた。元気づけるように、励ますように。


セレウスがいてくれてよかった……そんな思いが、染み入るように心に広がっていく。この温もりが、見つめてくれる空色の瞳がなかったら、ティーゼは一体どうなっていただろう。ありがとうと言葉にするだけでは伝えきれない感謝が、触れあった部分から伝わればいいのに。そんな思いを込めて、ティーゼは彼の手に手を重ねた。


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