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光の花園  作者: わた
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第2話 舞踏会へ

農夫のソウンは、愛馬のジェナが引く荷車に新鮮な野菜を積んで、毎日王都に運んでいる。市に出すだけでなく、お城の料理に利用される野菜も全てソウンの育てたものだというから驚きだ。王様直々に、その美味しさを認められたことになる。そんな話を、ソウンは上機嫌に繰り返し語る。彼は快くティーゼとセレウスを荷馬車の端に乗せて、王都まで同行させてくれた。


「しかし、セレウスにこんな可愛らしいガールフレンドがいたとはねえ」


ソウンは農夫らしい、立派な口ひげを蓄えた顔をくしゃくしゃにして笑う。


「お嬢ちゃん、森に住んでるっていう女の子だろう?」


ティーゼはどきりとして、おそるおそる頷く。


「俺は町での噂ばかり聞いていたから、もっと陰気で、礼儀知らずな子かと思っていたよ。や、怒らないでくれよ。しかし噂なんてものは当てにならないね。とてもいい子だ。お嬢ちゃんの目を見ればわかる。うん、その目がいいな」


ソウンは、ティーゼの目を見た。


「綺麗な目だ。今度、嫌なことを言われたら、そいつの目をまっすぐ見つめてやるといい。力のある目だよ。夜の色だからかもしれないな」


ティーゼはにっこりする。途端に、この気のいい農夫が大好きになった。ティーゼの夜空の瞳をほめてくれた三人目のひとだ。それは、まっすぐ目を見て話してくれた、三人目のひとでもある。

ソウンはジェナの手綱に意識を戻し、前を見据えながら、こう言った。


「皆何も知らないくせに、勝手なことばかり言う。セレウスのことだってさ。こいつは手癖は悪いし不真面目だが、いつまでも浮浪児に成り下がってるような器じゃねえ。俺にはわかるぞ。大物になるのは、こういうやつなんだ」

「旦那に何がわかるんだ。あんただって全てを知ってる訳じゃないだろう。俺はただの貧乏な浮浪児に過ぎないよ」


そう言いつつも、セレウスは嬉しそうだった。彼と顔を見合わせ、ティーゼも笑った。そうだ、ほめられるって、嬉しいことだ。


馬車はのどかな田道を行く。がたごとと心地よい揺れに合わせて、ソウンが大きな声で歌を歌う。農夫皆が歌う労働歌だ。車輪の回る音とジェナのいななき、そしてソウンの陽気な歌声に耳を澄ませ、ティーゼは馬車にもたれて空を見上げた。山桃色の雲が、西の空に浮かんでいた。もうじき夕暮れがやってくる。


「ティーゼ」


セレウスの指差す先には、きらびやかな灯りがいくつも灯っていた。よく熟れたオレンジのような、綺麗な光だ。


「あれが王都の光だ。今からあそこに行くんだぞ」

「あれが全て街の灯りなの?」

「夜になればもっと美しいぞ。ま、その頃にはお嬢ちゃんたちもあの街の一部になっているわけだ。気分がいいだろう」


ソウンは笑いながら、ジェナの足を速めた。

王都に近づくにつれ、街の姿がよく見えるようになった。石造りの建物にはみんな電飾が施され、街を照らすランプには残らず王家の紋章の装飾がなされている。

馬車は街の中に入っていく。

お祝いの歌が溢れ、踊り子が舞い踊り、人々は皆歌う。仮面を着けた風船売りが近寄ってきて、ソウンの馬車に赤い風船をくくりつけた。


「めでたい日のお祝いだとさ」


ソウンは裏通りの路肩に馬車をとめ、ジェナに労いの干し藁をやる。ティーゼとセレウスは馬車を降りると、親切な農夫に頭を下げた。


「おう。舞踏会に行くんだろ?城は王都の真ん中にどーんとあるから、すぐにわかる。少しくらい街を楽しんでから行くくらいの時間はあるだろう」

「本当に、どうもありがとうございました」


ティーゼはセレウスと手を繋いだ。この街ではぐれたら大変だ。ふたりは大通りに出て、その活気と溢れる光に圧倒される。


「すごいのねえ王都って……」

「まあ、ここがこの国の主役だからな」


突然、うさぎの耳が生えたハットをかぶり、泣き顔のお面で顔を隠した道化師が、ひょっこりと覗きこんできた。ティーゼは飛び上がり、セレウスの後ろに隠れる。道化師は陽気にぴょんぴょんと跳ねた。背中に隠した両手がぱっと差し出され、そこからポンと花束が現れた。


「わっ」


道化師は続いて花束を手の中に押し込め、その手が開かれた瞬間、白い鳩が飛び立つ。


「わあぁ……」


道化師は帽子を取って丁寧にお辞儀すると、また跳ねるようにどこかへ行ってしまった。ティーゼは感激して、セレウスを見る。


「今のひとは魔法使い?お話の中にだけ出てくるひとだと思っていたわ。本当にいるものなのね!」

「あれは手品だよ。ただ手先が器用なだけだ」

「そんなわけないわ。だって花束を鳩にしてしまったのよ。セレウスも見たでしょう?」

「ティーゼ。人間は魔法を使えない。世間知らずもいい加減にしてくれ」

「あっ、待ってよセレウス!」


ふたりは大通りを歩いていく。時折人々はふたりの歩を止め、お祭りの中に誘い込んだ。踊り子たちは手を引いてふたりを広場で踊らせようとしたし、大道芸人はナイフを投げてくれと手伝いを頼んできた。皆、めでたい日の楽しさを、この街の皆で共有しようとしている。その輪の中に入れてくれることが、ティーゼにはとても嬉しいのだった。


「王都っていいところね」


笑顔で言ったその言葉を、近くの酒屋の女将が聞いていたらしい。


「そうさ、ここはいい街だろう」


元気な大声を、彼女は張り上げた。客席からも、陽気な合いの手がかかる。


「これも、王様のおかげさ。皆感謝してる。あたしらのことを第一に考えて、国民のためにって、頑張ってくれているから、皆こんなに幸せなのさ」

「良い方なんですね」


ティーゼは微笑む。


「今は王権が誰に移るかで、ちっとばかし落ち着かないけどね。今にもっといい国になるよ。これは大きな声じゃ言えないが、あたしゃイゼル王子に期待してるんだ。あの王子はお優しい方だよ」

「そう……優しい方が王様になってくれたら、私も嬉しいわ」


気っ風のいい女将さんに挨拶して、ふたりはまたお城を目指して歩き始めた。辺りは暗くなり始め、ランプの灯りが一層煌々と輝く。建物の屋根の合間から、お城の姿が見え始めた。

馬車がふたりの脇を通る。多くの少年少女たちが乗っていた。舞踏会への送りの馬車なのだろう。皆楽しみで仕方がないという顔をしていた。

ティーゼはセレウスの手を強く握った。元気づけるように、セレウスの手も握り返してくれる。


ふたりはお城の目の前まで来た。真っ白な石でできた城壁がそびえ立つ。大きな門が今は開け放たれ、水堀に橋を渡している。大勢の人が出入りしており、そのほとんどが、上等な礼服に身を包んだティーゼと同い年の少年少女たちだ。緊張と期待の中、歩き方ひとつにまで慎重に気を使って歩いていく。初めての社交界に足を踏み入れ、懸命に大人と同じ所作をする。その高揚感が、まだ子どもだった記憶も新しい彼らの瞳を一層輝かせていた。


「こ、ここに入っていくの?」


ティーゼは青ざめた。想像よりもずっとお城は大きく立派で、入っていく人々はまるで光に吸い込まれているようだった。そして、そこに向かって行くには、ティーゼはあまりに小さくみすぼらしすぎた。けれどセレウスは平気な顔をして、


「そのために来たんだろ」

「でも、私、怒られたりしないかしら?こんな格好だし……」

「怒られたら怒り返せ。向こうが招待してるんだ」


セレウスはティーゼの髪から、母の形見の髪飾りを取った。はらりと髪がほつれたので、ティーゼはもう片方結っていた髪もほどいてしまった。こちらの方がお城には似合っているかもしれない。

セレウスは髪飾りをティーゼの手に握らせ、


「ほら。絹のドレスなんかよりずっと上等なもんをお前は持ってるんだ。行くぞ」


ふたりはしっかりと手を取り合った。ティーゼも意を決し、ぎゅっと髪飾りを握りしめる。これだけが、ティーゼがここにいても良いという免罪符のようなものだ。


跳ね橋を渡って中庭に足を踏み入れれば、そこはまるで物語の中の世界だった。宝石で飾り付けられたランプが煌々と光を放ち、それに照らされた噴水が暗闇に光を撒いている。奥に見えるお城の大広間では、今まさに舞踏会が開かれていた。楽隊が美しい調べを奏で、豪奢なシャンデリアの下で少年少女たちがダンスを踊る。皆、紅潮した顔で精一杯「大人」になっていた。少女たちのドレスがまるで花が咲くように翻る。成熟したレディでは決してしないような躍り方だったかもしれないけれど、懸命な姿はとても可憐だった。


ティーゼはセレウスの手を引っ張って引き止めた。


「私、ここでいいわ。王子様が来たら、ここからでも見えるでしょう」

「なんだよ、お前まだ怖じ気づいてるのか?」

「ううん、違うの」


いつのまにか、ティーゼの頬も紅潮していた。


「とても綺麗だから、ここで眺めていたいの」


皆初めての舞踏会に心ときめかせ全力で楽しもうとしている。シャンデリアの光も、それを受ける大理石の床も、踊る少年少女たちを彩っていた。まるで一枚の絵のようだ。ティーゼはしばらくの間、その光景に心奪われていた。


ふっと、音楽が止まった。


広間の階段を降りてくる人物に、目が引き付けられる。絹糸のような金の髪と、麗しい顔つき。そして、燃えるような赤い瞳の王子を見つけたティーゼは、セレウスの手を更に強く握った。嬉しいことに、セレウスは痛いと文句を言わず、同じように握り返してきてくれた。


「皆さま、ようこそ」


怒鳴っているわけではないのに、不思議とよく通る声だった。至って穏やかだが、聞いているとなんとなしに居住まいを正したくなる。


「今夜は貴方たちのための夜だ。心行くまで楽しんでいってほしい」


少年少女たちから歓声があがる。王子を称賛するその声の内から、ティーゼは彼こそがイゼル王子なのだと知った。

ティーゼは勇気を出して、イゼルの瞳をもっとよく見ようと目を凝らす。あの瞳の何を、自分は恐れたのだろう。あの方はきっと良い方だ。皆にほめられる良い王子だ。ティーゼ自身もそう思う。彼のさっきの言葉からは真心が感じられたから。なのになぜ、ティーゼは恐ろしいと思ったのだろう?

イゼルの視線が、一瞬だけ、庭にいるティーゼを通った。瞬間、背筋に氷を投げ込まれたかのような感触が走り、ティーゼは咄嗟に目を逸らす。セレウスの腕にしがみつき、身体の震えをなんとか抑えようとした。


「ティーゼ?」

「……怖いの。なぜかしら、王子様はあんなにお優しそうなのに、私、とても怖いわ。あの赤い瞳が、とても……」


「お前たち!」


突然怒鳴り声が浴びせられ、ティーゼははっと顔を上げた。セレウスがかばうようにティーゼを背中に隠す。

鎧を着た衛兵が、ふたりに槍を向けていた。


「聞いていたぞ。勝手に城に入り込み、あげく王子の侮辱を口にするとは」

「は?何言ってんだ。生憎こっちは招待客だぞ」

「ふん、この王城はお前たちのような者が足を踏み入れてよい場所ではない!身分をわきまえろ、この卑しい……」

「何を騒いでいる。このめでたい夜に」


イゼル王子が騒ぎに気づき、いつの間にかこちらへ来ていた。間近で見るその瞳にティーゼは萎縮したが、不思議ともう怖くはなかった。彼がこちらに向けて、安心させるように微笑んでくれたからかもしれない。ただ、一国の王子がすぐそばにいる、その緊張感に、心臓が激しく波打つ。

衛兵は戸惑ったように、


「王子。この者たちの格好を見てください。明らかにこの城には似つかわしくない……」

「今夜招待されるのは、高価な服を着た者か?私はそんな通達をした覚えはないぞ。君たちは今年13歳になるのだろう?」


問いかけられ、ティーゼは微かに頷く。イゼルは満足そうに、


「なら、立派な招待客だ。無礼な真似はやめてもらおう」

「しかし、イゼル王子。この者は貴方の目を、気高い王族の赤の瞳を侮辱した。私はこの耳で聞いたのです」

「そうか。しかし私は聞いていない。君が言わねば知らないままのことだった」


イゼルは微笑みを引っ込め、少しだけ低い声で衛兵に言う。彼は決して激してはいないのに、その言葉には心の奥まで響き渡るような重々しい力があった。衛兵は一瞬にして青ざめ、固く一礼するとすごすごと引き下がる。


「さて」


またやわらかな笑顔に戻って、イゼルはセレウスとティーゼに向き直る。


「君たちには悪いことをしたね。怪我はないかい?」

「……あの」


ティーゼはそろそろと、セレウスの陰から姿を現す。まっすぐ、イゼルの瞳を見つめた。イゼルの方も、じっとティーゼの瞳を見つめていた。何か確かめるような目つきだった。

やがて、ティーゼは深く頭を下げた。


「ごめんなさい。私が、あなたの赤い瞳を見て、怖いと言ったのは事実なんです。昼間、馬車に乗ったあなたを見て、稲妻に打たれたような思いだったわ。何が怖いのかわからなかった。だからもう一度確かめてみようとここへ来ました。……無礼なことをしたのは本当です。ごめんなさい」


もしかして、牢屋に入れられてしまうだろうかと不安になる。


「あ、あの、このセレウスは、私のわがままに付き合ってくれただけなんです。このひとは何も悪いことはしていません。捕まえるならどうか私だけを捕まえてください」

「ティーゼが捕まるようなことになったら、俺はお前を殴って同じ牢屋に入る」


セレウスが吐き捨てるようにそんなことを言うので、ティーゼはぞっとした。


「セレウス!ごめんなさい、この人に悪気はないんです」

「まあ、待ってくれ。私は君たちを捕まえるつもりはないよ」


ふたりの様子を見ていたイゼルは堪えきれなくなったように、くっくっと笑っていた。

しばらくして真剣な顔つきに戻ると、


「お互い様さ。私の方こそ、君の瞳をおそれたからね」

「え……?」


イゼルの紅色の瞳は、射すくめるような目付きでティーゼを見つめていた。ティーゼの、夜空の色の瞳を。壁に釘打たれたかのように、その視線に動きを封じられる。


「一目見てわかった。君は、私が生涯をかけて探そうと思っていた人物だと」

「どういうことですか……?」

「あの時すれ違えたことは奇跡だ。いや、もしかしたら運命だったのかもしれない」


イゼルは噛み締めるようにそう言うと、ティーゼと、セレウスに向けて手を差し出した。


「どうかついて来てくれ。私がなぜ君を……君たちを探していたか、教えたい」


ティーゼは戸惑い、セレウスの方を見る。セレウスは不機嫌そうにイゼルを睨み付けていた。その上差し出された手を払いのけるので、ティーゼは息が止まる思いだったが、イゼルは辛抱強く、


「頼む……」


その目に浮かぶ悲痛とも言えるような色を見て、ティーゼは決意した。イゼルがどうしてこんなに必死になるのかはわからない。けれどわからないからこそ、知るために彼についていくべきだと思った。元々ティーゼはそのためにここへ来たのだから。


「わかりました」

「ティーゼ!」


セレウスが咎めるようにティーゼを見るが、ティーゼは穏やかに彼の空色の瞳を見つめ返し、


「行きましょうセレウス。王子様にこんなことを言われて、何も聞かずに帰るなんてできっこないわ」

「……」


セレウスは、今まで見たこともないほどうろたえた顔をしていた。はっきりと、行きたくないとその瞳が言っている。ティーゼに向かって、行かないでくれとも。このままティーゼがイゼルについていけば、何もかもが崩れてしまう。そう言いたげなほど、不安に満ちた瞳だった。どうしてこんなに怯えるのだろう。セレウスは、いつも掴み所がなく、どんなときでも澄ました顔をしてティーゼをからかうのだ。こんな顔をする彼をティーゼは知らなかった。


「セレウス……お願い」

「…………わかった」


低い声で、


「わかったよ。ついていく」


ティーゼは微笑んだ。彼は不服そうだけれど、それでもセレウスがティーゼの手を放さずにいてくれたことが嬉しい。

これから何を聞くことになるのだろう。一国の王子がティーゼを探していたなんて、どういうことだろう?ティーゼはただの貧しい少女にすぎない。変わったことといったら、森の中でひっそりと暮らしてきたことだけだ。町の誰とも関わらず……ただひとり、セレウス以外とは。

イゼルは何を話すつもりなのか、恐ろしく、そして何よりも興味深かった。知りたい。かつてセレウスが広げてくれたティーゼの世界。彼は廃劇場から見える広い空を教えてくれた。そしてまた、ティーゼは新しい世界を知ろうとしている。そんな気がしてならないのだ。

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