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光の花園  作者: わた
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第1話 ティーゼとセレウス

ティーゼはいつもよりも余程念入りに身支度をしていた。


鏡の前に座り込んで、じっと自分の顔とにらめっこする。ティーゼの髪は、淡い金色。お月様の光のような色だと、よくおばあちゃんが誉めてくれる。

ティーゼはおばあちゃんとふたり暮らしだ。町外れの森の入り口に、小さな小屋を建ててひっそりと暮らしている。


何度も何度も長い髪にブラシをかけて、いつものようにふたつに結う。そして、狭い屋根裏部屋を駆け回って、引き出しから母の形見の髪飾りを取り出した。いつもは大事にしまっているものだけれど、今日は特別だ。青い宝石の埋め込まれた髪飾りを朝日に照らしてみると、空の色に輝く。ティーゼはそれで、結った髪の束の片方だけを飾った。本当は髪飾りはふたつほしいけれど、持っているのはこれだけだから。


そして、タンスの中を引っ掻き回して数少ない持ち服をすべて取り出した。片っ端から自分の身体に合わせ、鏡の前でポーズなどとってみる。けれど結局は、お気に入りのいつもの服に落ち着く。何度も洗濯していいかげんくたびれた青いワンピースと、白いエプロンだ。一生懸命エプロンのしわを伸ばし、ふうとため息をつく。

もう一度鏡を覗きこむ。前髪をひょいひょいと整えて、紺色の瞳を見つめた。深い夜空のような色。同じ色の瞳を持つ人を、ティーゼはおばあちゃん以外に見たことがない。

 夜空の瞳に、お月様の髪。ティーゼは自分の見た目の中で、それだけは密かに気に入っていた。おばあちゃんと、ただひとりの、ひねくれ屋の友人が素直にほめてくれるものから。


はしごを使って階下に降りれば、祖母のアンナがキッチンでスープをかきまぜていた。


「おはよう、おばあちゃん」

「おはよう、ティーゼ」


アンナはティーゼの髪に光る髪飾りを見ると、眩しそうに目を細め、なんとも言えない複雑な顔をした。それでも何も言わずにお鍋に目を戻したので、ティーゼはほっとする。大事な物だからしまっておきなさいと言われなくてよかった。

ティーゼもキッチンに立ち、お皿とスプーンを棚から取り出す。大事に育てている秘蔵の野菜たちが用意されているのを見て、ティーゼはにっこりした。特別な日のお祝いだ。


今日は、この国を創造したという神様のお誕生日だ。王様のご先祖様でもある。そんなおめでたい日だから、お城では舞踏会が開かれ、今年13歳になる少年少女たちは皆招待される。ティーゼも今年で13歳。けれど、アンナからは絶対に行ってはいけないと言われていた。アンナはティーゼが森から出るのを嫌う。きっと、町でふたりが森に住む魔女の一族だと噂されていることを知っているのだ。大好きなおばあちゃんの言い付けだから、ティーゼもおとなしく従った。それに、そもそも舞踏会に着ていくドレスなんて持っていない。


けれど、素敵なドレスに身を包んで、華やかな舞踏会に出かけるなんて、どんなに素敵なことだろう……そう思ってしまうのは仕方がない。だから今朝は、念入りに身支度などしてしまった。こんな特別な日に、特別綺麗にしておかないなんてもったいないから。


それに、今日は……。


「ねえおばあちゃん。王子さまの乗った馬車はいつごろ町に来るのかしら」

「さあね」


この国に住む女の子ならば皆が憧れる、次期国王候補の王子が乗った馬車のパレードがこの町を通るというのだ。ティーゼも、女の子たちがこぞって噂している王子の顔をぜひ見てみたかった。舞踏会に行けないティーゼにとって、パレードだけが王子さまを目にできるチャンスだから。この国の王族は、皆炎よりも深い深紅の瞳を持っているらしいのだ。神様の子孫と言われても、すんなりと信じられるほど美しいらしい。ティーゼはアンナに何度も何度もお願いして、パレードだけは見に行っていいお許しをもらっていた。遠目からこっそり見るだけ、という条件付きだけれど。


アンナは骨ばった身体を重そうに椅子に置いて、パンをテーブルに転がした。無造作にひとつ掴んでかじりながら、不愉快そうに眉間に皺を寄せている。どんなときでも、アンナはどこか不安げで機嫌の悪い顔しか見せない。


ことこと煮込んでいたスープが出来上がった。今日はたっぷりお野菜が入っているから、いつもより余程美味しくできたはずだ。ティーゼはアンナの器に特別たくさん具材を入れて、お気に入りのスプーンといっしょに渡す。


「ありがとう、ティーゼ」


それから自分の器にもスープを注いで、テーブルにつく。


「どうせ町に行くなら、あの廃劇場の小僧っ子にひとこと言っておやりよ。あんたも今日は身を潜めていないと、牢屋に放り込まれるよ、って」


ティーゼは口に運びかけたニンジンをスープの中に戻した。


「セレウス?どうして?セレウスは何も悪いことはしていないわ」


セレウスは町にある廃劇場を住み処にしている少年だ。たったひとりで暮らしていて、家族の顔も自分の誕生日も知らない。ただ、かつて小さかったティーゼは彼と出会い、お互いにかけがえのない友人となった。


「いいかいティーゼ。今はふたりの王子のどちらが王位を継承するかで争っている。互いの臣下は手柄欲しさに治安にもとんでもなく厳しくなっているだろう。今日は、特に。あの子は生きていくために盗むだろう?立派な罪さ。それでなくても浮浪児なんて町の外観を損ねるだけだしね」

「……だって、セレウスには手を差しのべてくれるひとがいないんだわ。どんなに人に迷惑をかけたくなくても、それしか生きていく方法がないのでは仕方ないわ」

「だったら今日だけでも、捕まらないように知恵を働かせるんだね」


ティーゼは椅子に沈みこんだ。スープをもそもそと食べきり、流し台に食器を置く。


「それなら私、すぐにセレウスに会いに行くわ。気をつけてって言ってくる」

「……ああ、行っておやり」


ティーゼは大きく頷いて、家を飛び出した。アンナはセレウスのことを好きではないのだと思っていたから、こんな風に気にかけてくれるのが嬉しい。

 町までは、木々の間をくぐり抜け、ティーゼとアンナしか知らない秘密の近道を歩いて行く。お化けの木、泣き虫の木、げんこつの木……幼いころからの目印を頼りに、ティーゼはどんどん歩いて行く。セレウスを訪ねるときはいつでも胸が踊った。それに今日は、もしかしたらふたりでパレードが見られるかもしれない。


町は大にぎわいだった。家屋はどれもリボンでドアを飾り、街道にはずらりと出店が並んでいる。大道芸人の一団が広場で出し物をしている。大人たちはまだ朝だと言うのに酒屋で上機嫌に談笑し、子どもたちは小遣いを握りしめて嬉しそうに人混みを駆け回っている。


誰もが皆、特別なお祭りの日を楽しんでいた。音楽が鳴り止まない街道を歩いていると、ティーゼも楽しくなってくる。途中、商店に貼られた貼り紙に足を止めてパレードの時間を確認する。ちょうど正午、この町にやって来るらしい。お城のある王都までは距離のある田舎町だ。この町に王子さまがやって来る機会なんてこれっきりかもしれない。逃してなるものかと、ティーゼは何度も何度も貼り紙を読み返して確認した。


路地をいくつも曲がり、時には塀を伝って屋根を越えた先に、セレウスの廃劇場はある。建物の間にぽっかりと空いた空間は、大きな大きな天窓のよう。セレウスはいつもステージの上に座っていて、まるで人形のようにぼんやりと空を見上げている。その色を映したかのように、彼の瞳は、驚くほど澄んだ空色だ。その瞳は、ティーゼに気がつくと太陽を宿したかのようにぱっと輝く。

夜空の瞳のティーゼと、青空の瞳のセレウス。対になるそれぞれの色が、ティーゼは好きだった。ふたりが出会うべくして出会ったかのような、不思議な縁を感じさせたから。


「セレウス、おはよう」


セレウスは呑気に頭をかきむしる。拾い物のはさみで無造作に切るから、いつもセレウスの髪はぼさぼさだ。いつかティーゼが切ってあげたこともあったけれど、彼はそれを気に入らなかったらしい。きちんと手入れすれば見映えのする黒髪のはずなのに、彼は埃と泥が付いていても気にしないから勿体ない。


「珍しいな。こんな時間に」


アンナがいい顔をしないので、ティーゼが朝から町にやって来ることは少ない。


「今日はお祝いの日よ。セレウス、あなた覚えてないの?」

「まさか。毎年ティーゼがその髪飾りを着ける日だ。特に今年は王子さまを見るんだってうるさかったからな。忘れる方が難しい」


ティーゼはそっと髪飾りに手をやった。セレウスが気づいていてくれたことは嬉しいけれど、自分はそんなにはしゃいでいただろうか。


「一生に一度あるかないかよ。王子さまを目にできるなんて。セレウスも一緒に見に行きましょうよ」

「王族なんて見て何が楽しいんだ。ただ馬車に乗った人間を見に集まるなんて、暇な集団だよな」

「王族の赤い瞳には、皆憧れるのよ。神様の末裔だもの。どんなに美しいでしょうね!」


ティーゼは楽しみで仕方なかったけれど、セレウスはつまらなそうにあくびなどして立ち上がり、ステージから飛び降りた。

セレウスの背はティーゼより少しだけ高い。誕生日は知らないけれど、たぶん彼も今年で13歳だとティーゼは勝手に思っている。


「私たちも、舞踏会に行けたらもっと近くで王子さまを見ることができるのにね。あーあ……綺麗なドレスを着て、素敵なお相手とダンスなんて、それだけでも憧れちゃうのに」

「ま、ただ飯にはありつけるな」

「もう。あ、それでねセレウス。今日はね……」


ティーゼは、アンナから聞いた話をセレウスに伝えた。ふたりの王子の王位争いの話など、ティーゼは初めて知ったことだけれど。アンナはあまり森から出ないのに、どうしてそんなことをよく知っているのだろう。

セレウスが牢屋に入れられるなんて絶対に嫌だ。大切な友人だし、手柄のための材料にされるなんてたまったものではない。そう思って一生懸命気をつけてと伝えたのに、当の本人は顔色ひとつ変えずに、


「なんだ、そんなことか」

「そんなことって……」

「イゼルとディアスの仲の悪さは有名だろ。妾の子であるディアスは元から不利だからな。特にそっちのやり方がえげつない。何人も無実の奴が捕まってる。でもディアス自身は有能な王子ぶっていい顔してるから性質が悪いよな」


ティーゼは目を丸くした。


「セレウスったら、どうしてそんなに詳しいの?」

「ティーゼが世間知らずなんだろ」


言い返せず、ティーゼはぐっと言葉を喉につまらせる。生まれてからずっと森の中で暮らし、ティーゼにものを教えてくれるのはアンナと家にある古い本たちだけだった。知らないことが多すぎる。ティーゼはセレウスの隣に歩み寄った。


「ね、でも、罪のない人を捕まえるのは悪いことでしょう?王子さまがそんなことを許すなんていけないわ」

「どうせ誰も何も言えねえよ。証拠もない。ま、そんな姑息なことをしたところで、王位を継ぐのはイゼルの方だろうけどな」

「どうしてわかるの?」

「言ったろ。ディアスは妾の子なんだ。……今の王さまが、正式な結婚をした相手の子じゃないってこと。異母弟おとうとだしな。どうしても立場は下になる。イゼルが救いようのない阿呆でもなければ、王位はまわってこないだろ」

「ふうん……」


ティーゼにはよくわからなかったけれど、とりあえず悪い王子が王さまになるわけではなさそうで、ほっとした。それより心配なのは、セレウスの身だ。


「あなたが捕まえられては嫌よ。ね、セレウス。今日はうちへいらっしゃいよ」


セレウスはティーゼを見つめる。


「嫌だよ」

「なぜ?」

「魔女の森に俺が入っていけば、今度こそ町の誰からも相手にされなくなるぜ、ティーゼ」

「……今だって相手になんかされないわ。あなた以外には」


町の人にどんな陰口を言われようと、セレウスの身が大事なのに。そんな理由でティーゼを遠ざけようとするなんて。


「お前に助けてもらわなくても、憲兵から逃げるなんて俺にはなんてことない。それより腹が減った。寝床は間に合ってるから、それより食い物をくれないか」

「うちに来ればスープがあるわ。今日はお野菜をたくさん入れたから、とっても美味しくできたのよ」

「なら行く」


調子よくそんなことを言うセレウスに、笑ってしまう。彼は素直だけど、素直じゃない。したたかで聡明だけれど、心根は子どもっぽいのだ。ティーゼにとって、セレウスはただ一人の友人であるだけでなく、兄でもあり弟でもあった。


「うちに帰る前に、パレードを見るのにも付き合ってね」

「だから何が楽しいんだ?赤い瞳なんて不気味なだけだろ」

「見てみればきっとセレウスも美しいって思うわよ」


ティーゼは胸の高まりを止められず、駆け出した。町に溢れる音楽が、お祭りの雰囲気が、降り注ぐ日差しのあたたかさが、何より特別なお祝いの日をセレウスと過ごせる嬉しさが、ティーゼをときめかせた。今は森の中で寂しく暮らすティーゼではない。友人とともに町を歩き、皆と同じように、特別な日をちゃんと楽しめるのだから。


路地を何度も曲がって曲がって、大通りに出る。楽隊が賑やかなマーチを演奏している。道路にはもうテープが引かれ、パレードのための整備がなされていた。

ティーゼは気が進まなさそうなセレウスを呼び寄せ、出店のひとつに足を止める。砂糖をまぶした焼き菓子のお店だ。ポケットから銀貨を出してそれをひとつ買う。あたたかなお菓子を半分に割って、ひとつをセレウスに手渡す。


「はい。せっかくのお祭りだもの。楽しまなければ損よ」


やわらかな甘さとシャリシャリした砂糖の食感が楽しい。ティーゼは大事に味わって食べる。セレウスの方はふたくちでお菓子を食べきり、果物の屋台に目をつけてリンゴにそっと手を伸ばしかけた。その手をあわててティーゼがはたく。


「駄目だったら!」

「いってえ。なんだよ」

「セレウスったら、当たり前のように盗むのね」


鎧を着こんだ兵士がこちらを見ていやしないかと、ティーゼははらはらしながら辺りを見回す。

道の向こう側に娘たちの集団を見つけ、はたと目を止めた。つばの広い帽子を大きなリボンで飾り、ピンクや黄色の鮮やかなワンピースを軽やかに翻している。皆楽しそうに、露店のアクセサリーなど吟味している。ティーゼはその華やかな笑顔に目を奪われ、しばらくぼんやりと娘たちを見つめていた。急に自分のみすぼらしい服が恥ずかしくなり、エプロンの皺を引っ張って伸ばす。そしてなんだかむなしくなり、ため息をついた。


「あんな綺麗なお洋服を着てみたいな。私だったら、ブルーのドレスにするわ。一番好きな色。あなたの瞳の色よ、セレウス。青空の色のドレスをフリルで飾って、頭にはお揃いのリボンをつけるの」

「今日はいやに着るものを気にするな。どんなに着飾ったって、喋れば本性なんざすぐばれるぜ、ティーゼ。祭りの雰囲気に当てられて、くだらないことで落ち込むなんてやめとけよ」

「でも、着飾るのって大事なことよ。前髪がはねている日は、朝からずっと楽しくないもの。それに、大切な贈り物みたいに、綺麗な布に包まれていたら、嫌な気分になるわけがないわ」


ティーゼはもう一度町娘たちを羨んで眺める。


「あの子たちはきっと今夜舞踏会に行くんだわ。今よりももっと素敵なドレスを着て。いいなあ……」


ため息まじりに呟いた言葉を聞いて、セレウスが不思議そうに顔を覗きこんできた。


「確か今年で13歳になれば誰でも行っていいんだろ?」

「ええ、そうよ。でも私、おばあちゃんが駄目だと言うし、ドレスも持っていないし……」

「こっそり行っちまえばいい。行った後で謝ればいいさ。ドレスなんざなくたって平気だよ。ティーゼは頭に宝石を乗せてるじゃねえか」

「ええ?」


ティーゼは驚いてセレウスを見つめた。なんて突飛なことを言うのだろう。アンナの言い付けに逆らうなんて、考えたこともなかった。


「駄目よ。それに、お城は遠いのよ。馬車に乗らないといけないの。そんなお金は持ってないわ」

「毎日王都に行く荷馬車を知ってる。気のいい旦那だ、乗せてくれるよ」

「セレウス。私はやっとの思いで、舞踏会に行きたい思いを我慢しているんだから。そうやっていたずらに誘惑しないで」


セレウスの声を振り切るように、ティーゼは人混みに飛び込んだ。とんでもない。この自分が、お城の舞踏会に行くなんて。本当にとんでもないことだ......。


もう、すごい数のパレードの見物人たちが集まっていた。その中にもまれているうちに、ティーゼは最前列に出てしまった。人に押され、テープを越えそうになり、憲兵に押し戻される。たまらず人混みを出ようとするが、とても身動きが取れなかった。セレウスを呼ぼうにも、人が多すぎて声が届きそうにない。


その時、高らかなラッパの音が鳴り響き、人々の歓声が一層強まった。王子を乗せた馬車が、大通りに到着したのだ。

赤馬に乗った兵士たちに続いて、立派な鎧を着こみ槍を携えた兵士たちが厳かに行進する。その後ろに、美しい白馬に引かれた馬車が続いた。まるでお菓子で出来ているかのように真っ白な車体に、王家の紋章であるペガサスが宝石で飾り付けられている。窓枠の隅に至るまで細やかな細工が施され、その窓からひとりの青年がにこやかに手をふっていた。

絹糸のような金色の髪が、太陽の光を受け彼が動くたびにきらめく。表情は穏やかで、形のいい唇には常に微笑みが浮かべられている。肌は陶器のように滑らかで、生まれてから一度も日に焼けたことなどないのではないかと思うほどだった。


あまりに、あまりに綺麗な青年だった。けれど、何より目を奪われたのは、その美しさよりも、力ある深紅の瞳だった。

炎よりも、血よりも深い。一瞬、おぞましいとさえ思った。けれど、やはりその瞳に惹き付けられ、そこに秘められた力の在りかを見つけようと、目を離せなくなってしまう。その視線が、ティーゼの視線と交わされた。稲妻に射すくめられたように、ティーゼは動けなくなる。なぜだかとても恐ろしかった。青年の方も、今まで浮かべていた笑顔を引っ込め、呆然とティーゼを見つめていた。何だろう、変な感じだ。今彼はティーゼを見ているのだろうか?なぜあんな顔をするのだろう。叫びだしたくなる。


「ティーゼ!」


肩を掴まれ、振り返る。セレウスの空色の瞳を見つけ、言葉に言い表せないくらいほっとした。


「い、今、王子さまと目が合ったわ」

「そうか。よかったな。ならもう行くぞ」

「待って、セレウス」


ティーゼはセレウスの腕を掴まえる。きっと、彼が隣にいてくれたら、あんなに恐ろしいと思うこともなかったのだ。


王子の瞳を見てから、ティーゼは落ち着かず、もうお祭りを楽しむどころではなくなってしまった。セレウスの腕にすがりついて歩き、ついには彼を怒らせてしまった。


「おい。一体どうしたんだよ、いい加減にしろ」

「な、なんだか怖くて……」


あの紅色の瞳の力が、まだ目の奥に残っている感じだ。セレウスは呆れてため息をつきながら、


「何が怖いんだ?」

「わからない。でも、王子さまの目を見てからなの」

「何が怖いのかはっきりしないから余計怖いんだ」


苛立ったようにそう言ってから、セレウスはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「ティーゼ。余計に舞踏会に行く理由が増えたじゃねえか。行って、もう一度王族の目を見て、確かめてこようぜ。何が怖い?案外次は平気かも知れねえぞ」


ティーゼは泣きそうな思いでセレウスを見つめる。ずっと憧れていた舞踏会だ。行きたくないはずがない。けれど、アンナの言いつけはティーゼにとって絶対なのだ。それに、きらびやかな世界に、くたびれたワンピースで行くなんて。


「ティーゼ。ドレスがなくたってばあさんに怒られたって、お前が行こうと思えば行けるんだ。それでも行かないなら、うじうじ羨むのをやめろよ」


どきりとした。

舞踏会は、少年少女たちが成人になる前の、社交界の予行練習としての意味合いも兼ねている。大人になるための第一歩だ。そんな日に、子どものように誰かを羨ましがってばかりいることが恥ずかしくなる。


「……うん。私、お城に行ってみたい」


きっとアンナは怒るだろう。それでもいい。ティーゼが、行ってみるべきだと思ったのだ。王子は確かにティーゼに目を止め、笑うのをやめたのだ。その意味を確かめてみたい。アンナには、後で謝ろう。


「セレウス、付き合ってくれる?私、ひとりではとてもたどり着けないと思うの」

「ま、そうだろうな」


セレウスは笑いながら、ティーゼの手を引っ張って自分と向き合わせた。


「よし。反抗期記念だ。今日のところはお前のわがままを叶えてやる」

「ありがとう、セレウス」


行くと決めたら、とてもすっきりとした気持ちになった。初めての王都、初めてのお城、初めての舞踏会だ。まさかくたびれたワンピースで踊るわけにはいかないけれど、それでもお城は綺麗だろうし、音楽に溢れているだろう。


セレウスは大空だ。いとも簡単にティーゼを大きな世界へ連れ出してくれる。ティーゼに足りない勇気と度胸を、彼が余りある力ではめ込んでくれるのだ。

彼の瞳は、何よりも、王族の赤い瞳よりも、ずっと力のあるものだと思った。太陽の輝きを閉じ込め、いつも快活に前を見据えている空色の瞳こそ、自分の知る限り最も美しいと、ティーゼはそう思うのだ。


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