お見通し
そっと離れたケルの前髪がリヴの頬をくすぐって、改めて距離の近さを実感する。
近すぎて見えなかったケルの顔が視界に収まると、リヴは思い出したかのように頬を赤くした。
「あ、う……。」
何か言おうとしたのに言葉にならず、変な声が出てしまってさらに顔が赤くなる。
思わず口を押さえようとして、指先にしっとりと濡れた唇を確認してしまい、リヴは恥ずかしさに俯いてしまう。
頭上で、ケルがくっと笑った。
「バーカ。」
「っ!」
ひどい、キスしておいて馬鹿とは何だ。
リヴは必死に顔を上げてケルを睨み付ける。ケルはリヴと違って、悔しいくらいいつも通りで、ますますリヴはやるせない気持ちになる。
「な、なん…!」
「待てって。あー、もう。」
言い負かしてやろうと口を開きかけたリヴの頭を、乱暴に自分の胸に押し当てて黙らせたケルは、ふぅーっと大きく息をついた。
「お前、俺を煽ってんのか?」
それからそうっとリヴの頭を持ち上げて顔を覗きこんできる。
「全快してねえ体のくせに、ベッドの上で、そんな頬赤くして誘うように視線絡ませてくるな。襲ってくださいって言ってるようなもんだろ。」
「はっ!? ち、ちが!」
「前言ったろ? 抱くぞ。」
「なな、な!!」
驚きのあまり言い返す言葉すら出てこず、黙りこくってしまったリヴに、ケルは最高に憎たらしいうすら笑いを浮かべて言った。
「バァァーカ、冗談だよ。」
「!」
ケルに翻弄されている事実に、リヴは悔しさで唇をかんだ。
「なによ、何よ、ケルのバカ。キライ!」
両手の拳で、トストスと目の前のケルの胸板を叩く。鍛えられたそこは、しっかりと筋肉に包まれて堅かった。
「バカバカ! ひどい!」
感情が高ぶって、リヴの目が潤んできた。
「ひどいって何が。」
ケルがあやすようにリヴの髪を撫でて、本当に何のことだかわからないという口調で答えたので、リヴはますます憤る。
「わたし、わたしはじめてだったのよ!」
今まで適度な距離感を保ってくれていたケルだから、告白とかファーストキスだって大事にしてくれると思っていたのだ。なのに、こんな悪戯みたいに奪われて。
リヴはドンっと強くケルの胸を叩いた。感情が高ぶりすぎて、リヴの水色の瞳からコロンと涙がこぼれ落ちる。
ケルが片方の眉を上げて、なんだそんなことかという顔をした。
「あー………。ま、悪かったよ。」
がしりともう一度、リヴの頭を抱き締めて、ハァーっと深いため息をついた。適当にあしらわれたリヴは、悔しくてケルの胸でじたばた暴れながら、涙をこぼした。
「バカ。ケルのバカ。キライ。大キライ。」
「はいはい。………あーもう! お前ってほんと面倒くさくて可愛い奴だな。」
「はぁっ?」
突然の言葉に、ひくっと喉をならして動きを止めたリヴの頬を、ケルが自分の袖で乱暴にぬぐった。
「お前が泣くのは、感情が処理しきれないくらいどうしようもないときだけだって、俺にはお見通しだかんな。」
涙でめちゃくちゃのリヴの顔を覗いて、ケルがにいっと笑った。
「いいから、俺の前ではいつでも好きなだけ、気が済むまで泣けって。リヴのことなら全部受け止める。強がりのお前もカッコイイけど、俺には弱いところも見せろ。」
左肩にリヴの頭を押さえつけるように抱き締めて、優しく撫でられた。
ケルの突然の言葉に、感情が乱れているリヴはひどく動揺した。
意地悪にからかわれて、可愛いなんて普段絶対言わない言葉をかけられて、リヴ自身でもどうしようもない性格をわかった上で受け入れてくれて。それが思いを寄せているケルだからこそ、胸の奥がぎゅうっと締め付けられるように甘く疼く。
「ごめんな。お前が生きて戻ってきたって、実感したかった。」
だからキスしたのか。その言葉はとどめとなり、リヴの心の奥深くに甘苦しく突き刺さる。リヴの両目に再び熱い涙が浮かんだ。
「……怖かっただろ? あんなところにひとりで残って、さ。」
あの気配を感じ取り、危険だと察知したケルだからこその言葉に、リヴのプライドも何もかもが屈服した。
「……わよ。」
「ん?」
「怖かった、怖かったわよ……!」
言葉に出せば、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「全然攻撃は効かないし、魔力は尽きるし! ケルのバカ! もっと早く助けに来てよ! わたし、わたし……!」
ぎゅうっと首に抱きつけば、ケルもリヴの背中に回した腕に力を込めて、応えてくれた。
「だよな。悪かった、リヴ。」
感情の波が押し寄せて、声を上げて泣くリヴを、ケルはいつまでも優しく抱き締めた。
「次にピンチの時は、絶対俺が助ける。約束する。」
泣き疲れて眠りについたリヴをそっと横たえ、返事がないリヴの頬をするりと撫でる。
「リヴ………。」
名前を呼んで、リヴが完全に眠りについたことを確認する。それから部屋の入り口に視線をやり、誰もいないことも確認した。
眠ったリヴの髪を整えて、ケルの服を掴んだままだった手を取ると、その指先に口付け、そっとシーツの中へしまう。
「リヴ………お前なしの世界なんて、もう考えられない。」
その呟きは誰の耳にも届くことはなかった。
最後に、名残惜しむようにもう一度、一瞬だけ唇が重ねられたことを、リヴは知らない。