ほんのイタズラ
「リヴ。さっきから何をニヤついているの?」
馬車に揺られるリヴの頬が勝手に緩んでいることは、レイアにばれていたようだ。
「別に、何でもないですわよ。」
そっけなく言葉を濁しながらもリヴの頬はさらに緩む。
(イタズラ名目とはいえ、頬とはいえ、私自分からケルに…)
思い出して胸の奥が温かく波打った。
なんだかんだ言ってもケルが好きだ。
知らないところで自分のことを美人だと言っていたなんて知って、リヴの気持ちは本人が気づかぬまま、心から溢れ出していた。
(ケル………。)
右手を胸に当てて、ゆっくりと目を瞑る。
(今日私に頬にキスされて、どう思ったかしら?)
あの瞬間だけでも、ケルの頭の中がリヴのことで一杯になってくれていたら、もうそれだけで良かった。自己中心的な考えなのはわかっている。でも、止まらない。
明日や明後日がどうなるか、気まずくならないか、そんなことは頭のどこか隅の方に追いやられて、ケルへの愛情でリヴは満ちていた。
馬車の速度が落ち、ゆっくりと停止した。
(あら?)
リスト家についたのかと思い窓の外を見るも、見覚えのない景色。リヴは疑問に思いながら、隣に座るレイアを見る。
「少し待っていて。」
リヴの表情の意味を読んだのだろう、レイアがニコリと笑みをくれて馬車の外へ消える。
彼が外へ出るために開いた扉から、外の景色が見えた。鬱蒼とした木々が繁る中に、舗装された狭い道が続いている。私有地か公園だろうか。
しばらくして戻ってきたレイアに外へ出るよう促され、リヴは疑問符を浮かべながらもそれに従う。
「ここはどこ?」
「うん。」
リヴの問いには答えず、レイアは道の先を示した。
「その角を曲がって、右手を見て。」
「?」
意味がわからないまま歩を進め、言われた角を曲がって右手に視線を移したリヴは、はっと息を飲んだ。
小さな木製のベンチに、闇夜に目立つ赤毛のケルが座っていたのだ。
戸惑いがちにレイアを振り返ると、笑顔で手を振っている。どこから現れたのか、レイアの隣にはエドワードもいて、ぐっと親指を立ててみせていた。
(行け、ってこと……よね。)
二人にゆっくりと会釈をしてから、ごくりと唾をのみこんで、リヴはそっとケルのもとへ足を進めた。
足音だけでリヴだと判ったのだろうか。
地面をのぞきこむかのように、膝に両肘をついて身を屈めていたケルが、がばりと体を起こし、恐ろしいものを見るかのようにリヴを見た。
その表情を見て、リヴはようやく、さきほどのラウンジでの行動を、後悔した。
ほんのイタズラのつもりだった。
でもそれは、軽率な行動にちがいなかった。
リヴの顔を見て言葉を失っているケルが、何よりの証拠だった。
「あの……。」
視線に耐えきれず、考えもなく言葉を発したが、その先が続かない。
再び気まずい沈黙が訪れる。
どうしたら良いか分からず、リヴはその場に立ち尽くした。
沈黙を破ったのは、ハァーっというケルのため息だった。
「………………隣、座れよ。」
聞いたことのないケルの低い声に、リヴは背中がゾクリと震えるのを感じながら、黙って隣へと腰を下ろした。
怒っている。
それも、リヴの知っている怒る、とは次元が違う。ケルは本気で、心の底から怒っているのだ。
「ケル、あの…」
謝罪しなければという気持ちが先んじて言葉を発したが、ケルが右手をすっと上げてそれを止める。
謝罪すらさせない、許さない。そういう重い空気をケルは発していた。
「………お前は、ずるい。」
重々しく発せられたその言葉に、ビクンとリヴは肩を震わせる。
ケルを見たが、彼は真っ直ぐ前を向いていて、リヴとは視線をあわせてくれなかった。
「……最後まで黙って聞けよ。」
変わらず低く固い声でそう言うと、ケルは視線を前へ、どこか遠くを見ながら言葉を紡ぐ。
リヴは全身を緊張させながらケルの言葉に耳を傾けた。