ラウンジ
外はすでに太陽が沈みかけている。
夕焼けから夕闇に変わりそうな時間帯だ。
(うー、うー…)
そんなラウンジで、リヴはひとり悶々としていた。
(失敗ですわ。もう、バカバカ、私のバカ!)
"今日一番になったら、ご褒美にチューしてあげますわよ?"
数刻前の自分のセリフが頭の中で延々と繰り返されている。
リヴの瞼の裏に、夏合宿の時のバートンが浮かんだ。日焼け止めがどーとかこーとかいう、あれだ。
(あの時はケルが勝ったけど、バートンをからかって終わったのよね。)
ぴん、とひらめいた。
(そう、そうよ! 何事も無かったかのように、別のことに置き換えるっていうのはどうかしら! うん、名案よ! そう例えば…バートンのチューとか!)
リヴはぱっと笑顔になって隣を見、がくりと肩を落とした。
今日はリヴひとりだ。バートンは居ない。
リヴの少し遠くに座っていた女子学生が、ぶんっと振り向いてきたリヴを不思議そうに見ながら、鞄を持って席を立った。
気づけば、ラウンジにいるのはリヴひとりになっていた。
はあ、とリヴはため息をつく。
レポートは全然進んでいないし、頭の中はぐちゃぐちゃだし、全然だめだ。
こういうときに考えるだけ考えて落ち込むのがリヴの悪い癖だ、というケイン教授の言葉を思い出し、リヴはすっと立ち上がった。立ち上がった拍子にかたんと椅子が音を立てる。
リヴは気分一新しようと、窓際の席へと移動した。机の向こう側には窓があり、窓の外にはキャンパスが広がっている。席に座ってバッグの中から"氷魔術の歴史"の教科書を取り出す。
考えても無駄なら別のことをしよう。そう思い至って、元々の目的だったレポートを始めた。
一心不乱に教科書を読みながら、片手でバッグの中をあさってレポート用紙を取り出す。だいたい頭の中でレポートのあらすじを纏め終わると、今度は自動筆記のようなスピードでペンを走らせた。
元々座学は得意だ。
リヴの頭はあっという間に勉強モードになった。
「…これでよし。」
自分の文字の並ぶレポート用紙の束を持ち、机の上でトントンと整えると、リヴはうーんっと伸びをする。ペンを持っていた右手をぐにぐにと揉み解し、左手で指先を反らして筋を伸ばし、首を右に左にぐっと曲げる。
整えたレポートをしまおうと、隣の椅子に置かれたバッグに手を伸ばすと。
「おつかれーい。」
「ひゃ!」
伸ばした手をぎゅむっと握手をするように握られて、リヴは慌てて隣を見た。
「や!」
整った顔立ちの黒い長髪の青年が、にっこりと笑顔を浮かべてリヴに手を上げた。
「!?」
驚いて言葉を失ったリヴに、その青年がリヴの手を握り笑顔のまま話しかけてくる。
「君さっき廊下でケルと話してた子だろ? 俺はエドワード。奴とは近接戦の講義で一緒なの。」
「あ、ええ。リヴよ。」
勢いに押されて、名を名乗った。ケルと一緒の講義だといわれて思い出せば、ケルを待っていた友人の片割れがこんな雰囲気だったかもしれない。
名乗ったリヴに嬉しそうにしながら、エドワードがぶんぶんと手を振り、握手のようになった。
「というかリヴちゃん、俺と付き合わない?」
「は?」
突然のエドワードの発言に、リヴの目が点になった。
「はは、その顔も可愛いわー。どうせケルのことだから手も握ってこないんでしょ? 俺にしとけって!」
ね?と言いながら、エドワードはリヴの手を握りなおし、貝結びのように指を絡めてきた。
「ちょ、ちょっと!?」
「リヴちゃん可愛いわー。」
すりすりと手の甲に頬ずりされて、リヴは狼狽する。
男慣れしたといっても、ウェスパーもリードもバートンも、こういうことは絶対にしてこない。もちろんケルもだ。
「や、やめてください。」
手を引っ込めようとしても、ぎゅっと握られてしまっているものだから、なかなか外れない。
「つれないなぁ。」
「つれないって…。今日初めて会って、話したこともない人と付き合えるわけないでしょう?」
「あれ、もしかしてリヴちゃん俺のこと知らないの?」
エドワードが少しむっとした顔をする。
「ちぇ。これでも結構人気者なんだけど…。ちょっとだけ自尊心傷ついた。」
「はい?」
どこかで会ったことがあったのだろうか。リヴは2秒考えたが、無いと判断した。会ったことがあれば忘れるはずがない。多分、口ぶりからしてこの大学内で有名人なのだということなのだろう。
「エド、その辺にしろ。」
背後から違う男の声が聞こえて、リヴはぱっと笑顔で振り向いた。そして、落胆した。
ケルが来たかと思ったのだが、そこに立っていたのはケルではない。銀髪の端整な顔の青年だった。
「やべ。」
エドワードが彼の顔を見るなり、ぱっとリヴの手を離して小さくバンザイをする。銀髪の彼は、全く…と言いながら近づいてくる。ケルではなかったが助けにはなったので、リヴはほっと肩の力を抜き、彼にお礼を言おうと…
「お前、趣味悪いぞ。」
「……」
――前言撤回。お礼は無しだ。
リヴのこめかみに、ぴくりと血管が浮き出た。
「レイア、お前…、酷いな。」
「は?」
エドワードに指摘された銀髪が、何か?という顔でリヴを見てきた。じろっとにらみ返してやると、銀髪は少し固まった後、大きく目を見開いて、あああ!っと叫んだ。
「ちがう、誤解!」
「……悪うございましたね。趣味が悪い女で。」
「いやそういう意味じゃない! こいつだよこいつ、エドのこと!」
銀髪は大あわてでエドワードを指差した。
「こいつ、すっごい良い奴なんだけど、人の女にばっかり手を出す厄介な奴なんだ。だからそういう趣味は悪いぞ、という意味で。」
「は?」
リヴは首をかしげた。リヴは誰かの女ではない。リヴ自身がそう思っているのだから、そうに違いないのだ。
「レイアその言葉撤回しろよ。彼女絶対、フリーだ。あのボンクラ野郎と彼女が付き合ってるはずがない。」
「ボンクラ?」
誰のことだろう。リヴが首をかしげた丁度その時、バーンと大きな音をたててラウンジの扉が開いた。