夏合宿、終幕。
「おーい、お前ら、着いたぞ。起きろ。」
教授の間延びした声に、リヴの寄りかかっていた何かがもぞもぞと動き、それによってリヴも目を覚ました。
コレ何だったかしら?と思いながらゆっくりまぶたを上げると、筋肉質な大きな腕。ケルだ。
「あら、失礼。」
「ズッシリ重たいオツムを支えてやっていた俺にかける言葉はそれだけか?」
「ひがみはみっともなくってよ、オツムの軽いバカケルちゃん。」
「っとにお前は、かわいくねーな!」
「ほほほほ…。」
「ブス! この性格ブス!」
優雅に手をそえて笑って見せた後、リヴはぽっと心の中を暖かくする。
(うん、これでいいわ。家族みたいなそんな関係でいるって決めたもの。)
ぶちぶちと小言を漏らしながら、ケルが荷物を持って馬車を降りていった。リヴの荷物を持とうとはしない。これで良い。リヴは後姿を見ながら頷いた。
「リヴちん、持とうか?」
リードの気遣いを、感謝を述べながら辞退する。リヴだって大分体力がついた。このくらいの荷物を持てないでいて、この先どうする。
(ケルの腕、合宿で一段と逞しくなったみたいね。)
額に残る感触を忘れまいと、リヴはそっと髪を直すふりをして、自分の頭を撫でた。
想いを隠したままでも、この仲間達と親しく付き合っていける。
馬車を出ると、すぐさまケルが近寄ってきて、リヴに耳打ちした。
「お前んとこの最強ねーちゃん、来てるぞ。」
「は?」
一緒になってくっついてきたバートンが情報追加する。
「久々に見た!リヴちんのお姉さま、むちゃくちゃ美人さんだよねー! 俺の水着着てくれないかな?ダメかな?ダメかな?」
「間違いなく破滅させられますわよ?」
リヴの冷たい目線に、バートンがうっと黙った。
ケルに促された方角を見ると、白い清楚なワンピースとつばの広い帽子を身にまとった、美人の姉が立っている。すらりと背の高く色白の姉は、立ち姿も絵になる。"リスト家のヒーラー"を絵に描いたような、父自慢の一の姫だ。ただし、口を開かなければ、という前提付きだが。
「姉さま、ただいま戻りました。」
リヴが駆け寄って礼をすると、姉は驚いたように目を丸くした。
「ま、まあリヴ! 何てこと! 貴方の真っ白だったお肌がこんがりと…!」
リヴの肌は、過酷な海の日差しによって小麦色になっていた。日焼け止めを塗っていたからそれほどでもなかったのだが、姉は両手で頬を覆い悲壮な顔をした後、鬼の形相でつれてきた侍女たちを振り返る。
「誰か! 至急屋敷に戻って、エステの準備をなさい。リヴの肌が元通りになるまで、毎日みっちりとお肌の手入れをするのよ! それから料理長に言ってビタミンを多く含んだーー!!」
激しく侍女に指示を飛ばし、最強状態をスタートさせた姉を、リヴはにこにこと笑いながら見つめる。相変わらずの過保護ぶりに、懐かしさを感じて嬉しくなった。
「はは、君は相変わらず、妹贔屓だね。」
教授のささやかな言葉に、リヴはぴくりと反応する。
(相変わらず? 姉さまと教授って、知り合い?)
そっと姉の顔を確認すると、あの最強姉がむっと頬を膨らめていた。
「い、いけません? リヴは本当に可愛い私の自慢の妹なのよ!」
「はいはい。そうだね、リヴは頑張り屋で、利口で、本当に良い子だよ。」
「はっ! …貴方、まさかリヴを……!」
何か危険な想像をしたらしい姉が、ぶるぶると肩を震わせる。ないですないです!と仲間たちが手を顔の前で左右に振っているが、姉は一切見ることなく怒りをあらわにした。手の中の扇が、みしりと音を立てた。
(こ、この状態の姉さまを止められる方は、この世に誰もいませんわ…。教授、皆、ふがいない私をお許しくださいませ…。)
心の中で合掌しつつ、何とか静まらせようと姉の手を取ろうとした瞬間、ぽむっと姉の頭の上に、教授の手がのった。
(あら?)
そのまま、教授の手がぽんぽんと、姉の頭を優しく叩いている。さわやかな笑顔のまま、教授は言った。
「そんなわけ無いでしょう。落ち着きなさい。」
「ふあ!」
姉は変な声を出して、固まっている。
(あら?)
姉が止まったことに、リヴは驚いて目をぱちくりさせる。
「貴方は相変わらず思い込みが激しくて、激情家でいけませんね。ああでも、そういうところも魅力のひとつですけれど。」
にっこりと笑った教授に、姉がぎゅっと口を引き結ぶ。心なしか目が潤んで頬が赤いような…。
しばらくして、姉が口を開いた。
「し、しし失礼ね! リヴ、帰りますわよ!」
リヴの手をぐんっと取って、姉は唐突にきびすを交わす。その腕を、おっとと言いながら教授が素早く取った。
「まあ待ちなさい。貴女も軍のヒーラーなら多忙でしょう。折角来たのだから、用事を済ませていったらどうですか?」
「よ、用事?」
「ええ、リヴの合宿参加の許可保護者は貴女でしょう? 成績表へのサインと、ああ、あとご希望なら彼女の合宿中の様子をご説明致しますが?」
にっこりと微笑む教授に、姉はぐっと押し黙った後、ぷいっと顔を逸らす。
「わ、わかりましたわ。リヴのためですもの。わたくしの貴重な時間を割いて、お話を伺ってあげてもよろしくてよ!」
「そうですか、ではこちらへ。」
教授はすっと姉を研究室の方へとエスコートする。教授ははたと振り向くと、学生達にむかって解散を告げた。
「…驚いた。あの姉さまが完全に制御されていましたわ。」
ぽつんと呟く。
しかも。
姉の表情のひとつひとつを思い出し、リヴはぽっと頬を赤くした。
(お二人の間に何があったのか知りませんけれど…。姉さま、教授がお好きでしたのね。…でも姉さま、あれでは判りやすすぎです! 失格ですわ!)
思わぬ姉の恋愛事情に、リヴは隠れてにんまりと笑うのであった。