もうひとつの気づき
「ケルさん、何かあったんですか?」
「うるさい、知るか!」
「知るかって…、ケルさん自分のことじゃないっすか。」
「ほっとけ!」
バートンの胸をドンと強く押しのけて、ケルはダスダスと砂を踏みしめて砂浜を走っていく。
昨日の急接近について茶化そうと思ったら、マラソン後に何故か教授に捕まっていて。今ようやく水着姿でやってきたので、解放されて海水浴しつつ話が聞けると思ったのに、砂浜に下りてきたとたん、足場の悪いそこで走りこみを始めていた。何が何だかわからない。
バートンは頭をかきながら、同じく遠巻きにケルを見つめているリードとウェスパーのもとへと戻った。リードはどよーんと沈んで、砂に"の"の字を書きながら、ウェスパーに昨日のことのあらましを話しているところだった。
「うああ…やっぱり俺の昨日のアレがまずかったに違いない…。かくかくしかじか…。」
「うわーうわーうわー。」
ウェスパーは言葉を失って、走り込みをしているケルを遠い目で見つめた後、リードに視線を戻す。
「ケルさん勘違いしてリヴちんに迫りまくった結果、フラれたか…。」
「多分そういうことかなと…。」
ちらりと二人がケルを見ると、一心不乱に灼熱の砂浜を走っている。
どんよりなリードにウェスパーも加わって、二人でどんよりと砂に膝を突いている。バートンはきょとんとした。
「え? ケルさんふられてないっしょ?」
「はい?」
バートンの声に、二人が息ぴったりにバートンを見上げてきた。
「だってさ、リヴちん、ケルさんのこと好きじゃん。」
「…いやいや! バートン、そういう好きじゃなくって…」
「え、まじで? 二人とも気づいてなかったの? ケルさんとリヴちんって、両想いだよ。」
「はぁ?」
バートンのきょとん顔に、二人が顔を見合わせた。
「バートン、リヴちんの好きなのはケイン教授で…」
「リード言ってたじゃん、リヴちんの好みの男はケイン教授って。別に好きな人とは言ってないんでしょ? あのリヴちんがそう簡単に"私の好きな人はケイン教授ですわよ"なんて言うわけないでしょ。」
「いや、でも昨日その"ケ"のことが……………」
間。
「"ケ"? …ええっ、ケルさんの"ケ"!?」
「リードもウェスパーもにぶちんだなぁ。俺は昨日のテラスでの一瞬と、今朝のマラソンの時の教授の顔で、全てを察したね。」
「おいおいおい! バートン何を察した? …バートン様おしえてっ!」
バートンがにやりと笑う。
「最近のケルさん、ずうっとリヴリヴリヴリヴで、練習に全然身が入って無かったじゃん。マラソンも手合わせも、いつもなら俺らの中でダントツ一位だったのにさ。マラソンは俺と同着ゴールが増えてたし、手合わせも前ほど切れ味無いっていうか。」
「ああ…それは確かに…。」
「でしょ? 手抜いてるとは言わないけど、リヴちんのことに集中しすぎなんだよ。」
「俺らのリーダー、不器用だからなぁ。」
うんうん、と三人が頷く。
「あー、今日なんで教授があんなんだったか、俺わかったかも。」
ウェスパーがぽんと手を叩いた。
「え、まじ? 俺そっちはさっぱりなの。教えて!」
バートンが身を乗り出した。
「今日のリヴちんの寝坊の原因は、絶対昨日のアレじゃん?」
「うっ」
リードが胸を押さえたので、バートンがよしよしお前は悪く無いぞ、と頭を撫でた。ウェスパーは落ち着いたところで話を続ける。
「教授って結構鋭いからさ。ケルさんの気持ちはもちろんのこと、リヴちんの気持ちも判ってたんじゃないかな。」
「ほう、それで?」
「二人が両想いなのは良いとして、ケルさんもリヴちんも練習に身が入って居ないのは教授的にマズイと。」
「ほう。」
「寝坊の罰ってことにしたら、リヴちんは真面目だから必死に答えて走る。」
「うん。」
「その苦しむリヴちんをケルさんに見せる。」
「…あ、やばい、それやばい。」
バートンとリードが顔をあわせて、しかめ面になる。リードが全然似て居ないケルのまねをした。
「"リヴが俺のせいで苦しんでる!"」
「そう、それだ! 全然似てないけど!」
ウェスパーがリードを指差し、大きく頷く。
「そう言って教授に噛み付くはずのケルさんを、ガツン!と一発。」
「うわ! その光景が目に浮かぶわ。」
リードが、あちゃーといいながら額に手をやった。ウェスパーは満足そうに頷く。
「だろ? そしてさらにさらに、延々走らされている真面目なリヴちんは、いつもどおり独りで悶々と考える。"私、アタッカーになるために、自分を鍛える為にここへ来たのに、何をやっていたの!"ってね。」
バートンがええーっと大声を上げた。
「ちょっとまってよ、その予測だと、二人は練習路線へは戻るけど、両想いフラグ全然回収されないじゃん!」
あ、とリードが顔を青くする。何か思い当たるふしがあったようだ。
「回収されないどころか、リヴちん、自分からそのフラグ叩き折ってたりして…。」
三人は、黙って目を見合わせ、くるりと振り向き、ケルを見つめた。
しばらくケルを見つめ、そしてゆっくりとまた視線を合わす。
「折られてるな…」
「リヴちん真面目だからな…」
「"弱っちいケルなんてオサラバですわ!"って?」
「バートン、洒落になってない。」
「ごめん。」
ひそひそと話し合う三人に、おい!と怒号がかかった。ケルだ。三人はビクリと肩を震わせる。
「お前らさ、悪いけど俺と手合わせしてくれよ。」
「え、は、はい。」
三人は顔を見合わせる。今の会話が聞かれていたわけではないらしい。セーフだ。
「完全に練習モードだ。」
「いや、あれは修羅モードだ。」
「ウェスパー、うまい、一本。」
こめかみから汗を一筋たらしたリードがゆっくりと口を開いた。
「…てかさ。練習に身が入らなくてリヴリヴ状態のケルさんに一度も勝ててない俺らって、かなりヤバくね?」
しん…と静かになる。
「…行こう。遊んでる場合じゃねえ。」
「俺まじでやるわ。」
「俺も。」
ぱんぱんと体の砂をはらって、三人はゆっくりとケルの元へ向かった。顔からいつものけだるい笑みは消えていた。
「うん、薬が効きすぎたかな。俺も気合入れないと。」
高台の上から、教授が砂浜を見下ろして、楽しそうに呟いている。午後の手合わせを始めようと降りてきたところである。ケルだけ自主練習してるだろうと踏んできた砂浜では、学生全員が手合わせをしていた。
「リヴの奴も、3周で終わりにしようと思ったのに、まさか自ら5周走るとは…。相変わらずの真面目っぷりだなぁ。」
屋敷を仰いで、ケイン教授は目を細める。5周走ってヘロヘロのリヴは、屋敷で食事を取ってゆっくり休むよう言った。今日はもう使い物にならないだろう。そう思って視線を外そうとした瞬間、驚いて練習用の剣を取り落としそうになり、にやりと口元だけで笑う。
水色の髪の娘が、ゆっくりとこちらに向かって走ってきているところだった。
「リヴ! 休んでいいと言っただろう?」
大声でその主に声をかけると、あわてて走るスピードをあげ、ケイン教授の傍へと駆け寄る。筋肉痛なのだろう、走り方はすっかりぎこちなくなっていた。
「大丈夫です。やれます。やらせてください。」
「…ったく、仕方の無い奴だな。」
教授の言葉を、参加OKと取ったリヴは、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。何かとご心配おかけしました。もう大丈夫です。」
ケイン教授は、破顔した。砂浜に下りていくリヴの後姿を見て、誰にも聞こえぬよう言葉を漏らした。
「あいつ…何が可愛い妹に手を出すな、だ。ちょっと罰マラソンさせたくらいで状況全部整理して、殻破って、クラスの士気をまるまる全部上げちまう妹姫ってナニモンだよ。こんな軍人中々いねえぞ。」
そうしてふと空を見上げた。青い空がまぶしい。
「…そうか、ずっとああして一人考えることで答えを出してきた…、ってことか。」
水色の髪の毛が、ぎらつく太陽の下、潮風に踊っている。想いを封じた歳若い娘が、甲高い声で想い人に軽口を言って鼓舞している。つられて士気を上げるクラスメイト達に、勝気な笑みで答える。その表情が、誰かと重なった。
「…もっと早く気づいてやれ。バカ姉め。」