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気づき

休憩時間は一瞬で終わる。リヴの三週目がスタートした。

休憩時間があったことすら信じられないほど、膝がガクガクとふるえ、左右のバランスを取るのにも必死だ。心臓を吐き出してしまうんじゃないかと思うほど、体中が激しく脈打っている。

ふと、ケルの顔が頭に浮かんだ。

(ケルだったら、このくらい軽々こなしちゃうのかしら…。)

毎日リヴの隣に並んでくれるケルや皆は、一周半は走っている。それなのに、リヴに話しかけたり、冗談を言いながら小突き合う余裕があった。

(皆と私、同じアタッカーなのよね?)

ぎゅっと手を握りしめたいところだが、リヴはもう体中どこにも力が入らない。逆走して、リヴの元にやってきていた皆の顔ひとつひとつを思い出す。


(皆、私より余裕があった。なのに、それを毎日見せ付けられて、私は何をしていた?)



さっきリヴが思い出したのは、楽しい思い出ばかり。部屋でも水着選びに悩んだり、ケルのことを考えたり。

(私、これっぽっちもアタッカーとしての有り方なんて考えなかった。レベルの違いを見せ付けられたのに、これっぽっちも疑問や悩みを感じなかった!)

バカな自分に気づき、リヴは泣きそうになった。自分への仕打ちとばかりにペースを上げる。

(バカよ、私は。ただだらだらと時間を過ごしていただけじゃない!)


楽しい海水浴の時間が待っているから、とだけ考えて、ただただこなしてきただけのマラソン。教授がペース配分をしてくれたおかげで付いた体力を、自分で身に着けた力とすら誤解していた。

リヴは歯を食いしばり、どんどんペースを上げていく。林を抜け、一気に下り坂を駆け下りる。足の裏がじんじんと痺れる。

(これは罰なのよ。自分のレベルの低さも、目的も忘れて、ただ楽しいことばかりに目を向けていた私への罰なの!)

あっという間に坂道を下りきり、三度玄関前へ飛び込んだ。

「リヴ、10分休け…」

「いえ!…ハァッハァ…このまま、行きます…!」

リヴを見て、教授がぴくりと眉を動かした。

「…そうか。じゃあ水分補給だけしてすぐ行け。」

「はいっ……!」

ゼエゼエと喉を鳴らしながら、リヴは教授から水筒を受け取ると、口をすすぐ。ゆっくりとふた口だけ水を飲み、すぐに教授の手に水筒を押し戻した。

「ありがとうございます!行きます!」





気づくとリヴは、タオルに包まれて玄関前に横たわっていた。ハアハアという自分の呼吸音に徐々に頭がはっきりしてくると、一気に酸欠の苦しさが襲う。

四周目が終わってここへ戻ったとたん、倒れこんだことを思い出し、リヴは必死に起き上がろうともがいた。

「…すい、ませっ……」

情けなくも気を失いかけていた自分を恥じて声をあげたが、貼り付いてはっきり声が出せない喉に、苛立ちを感じる。体を起こそうと地面に突っ張った右腕が、かくりと力を失って、タオルの中に再び倒れこむ。顔中から吹き出た汗が、たらりたらりとリヴの頬を伝う。

誰かの叫び声が聞こえた気がした。


「甘やかすな。今リヴは今、自分の限界を抜け出そうと必死にもがいている。」

「教授! でも…!」

「ふざけるのもいい加減にしろ!」

初めて耳にするケイン教授の怒鳴り声に、リヴは全神経を総動員して、意識を戻す。タオルの中からうっすらと目を開くと、教授が自分より背の高いケルの胸倉をつかんで、睨みつけていた。

飄々とした教授の面影はそこにはない。厳しい、軍人としての顔だけがあった。それに対峙するケルも、燃え盛る炎のような目で、教授を睨みすえている。

「お前は戦場で、常にリヴの側に立って守ってやろうとでも思っているのか? リヴを守るべきか弱い女子とでも思っているのか? それとも…愛しい愛しいリヴには、危険な前線には出ず後方に控えていて欲しいとでも?」

「…俺はっ…そんなつもりは…!」

教授を睨みつけていたケルの燃えるような目が、ふと曇る。

「そんなつもりはないか? しかし俺の目にお前は、甘ったれで女のことで頭がいっぱいの、恋愛ボケしたクソガキにしか見えない。」

ケルがぎりりと歯噛みして黙った。



ばしゃん、という水音に、にらみ合う二人がはっと視線を動かした。

リヴは空っぽになった右手の水筒を、地面に転がす。からんという金属音が響いた。リヴの頭から、自分でかけた水筒の水が雫となって、ぽたぽたと地面へ落ちていく。

「こうして水を被るのって…気持ち良いですわね。」

そう呟いて、乱れ濡れた髪をさっと結いなおすと、リヴはゆっくり立ち上がる。

(私は、アタッカーよ。だから…)

切なく締め付けられる胸に言い聞かせながら、リヴは二人を見つめた。


「教授、まだ走れますわ。」

リヴの言に、教授は驚いたように目を丸くする。ケルが何か言いたげに牙をむいたので、リヴはそれを先に制す。

「あら…バカケルは、余裕たっぷりね。私に追い抜かれるわけないとでも思っていて?」

にんまりと笑みを浮かべて、ケルを睨んだ。

「…!?」

ケルは弾かれたように表情を硬くし、リヴを見つめてきた。

「私は皆に比べて体力が劣っていますわ。でも、体力強化に才能なんていらないの。ただ体をいじめたおすだけなのだから。」

リヴはゆっくりと、ケルの目の前まで歩を進めた。疲れ切った膝が震えて挫けそうになるが、必死にそれを押し留める。


目の前まで来ると、背の高いケルが山のように見えた。そんなケルが、リヴの一挙一動に緊張を露わにしている。リヴはぐっとつばを飲み込んだ。

(ケルが好き。大好きなの。)

心が叫ぶ。昨夜のテラスで、もし本心を言えていたらまた違ったのかもしれない。心の叫びを、リヴは押し殺した。(言わなくて良かった。まだ、間に合うから。)

そして、勝気な瞳でケルを見上げ、ぴしりとその鼻先に人差し指を突きつけた。


「今の私は体力が無いから…悔しいけど何もかも貴方に適わない。でも、オツムの方は私の方が上よ! 実力だってすぐに追いついて、手合わせでこてんぱんにのして差し上げますわ! ケルは私のよきライバルですからね。首を洗って待っていらっしゃい!」

ほーほほほ、とわざとらしく笑って見せた後、リヴはゆっくりと歩を進め、教授に一礼をして、そして五周目を走り始めた。




(上手く言えていたかしら?)

逃げるように飛び出した。胸が苦しい。目頭がじんわりと熱くなる。

(ケルが好き。いつもみんなの真ん中で笑っているところも。乱暴なのに優しいところも。体が大きくて、優雅な夜会やお茶会が全然似合わなそうなところだって、全部好き。)

きっと坂道の上の方を睨む。


(でも、今のままのケルじゃダメ。今のままの私はもっとダメ。)

疲れ切ったリヴの目には、坂道の上の方に、いつも見つめているケルの筋肉質な背中の幻影が見えた気がした。幻影のケルが振り向いて立ち止まり、リヴを待っているとばかりににいっと笑う。

(ダメ、違う。そうじゃない。)

リヴの心が強く願い、その甘い幻影を掻き消す。

ケルに想いを告げるのは簡単。でも、そうなったことでケルがリヴだけを守ろうと小さく纏まってしまうのは許せなかった。もっともっと、彼には大きく羽ばたいて欲しいし、その力がある。なのに今の幻影のように立ち止まって、逆走して、リヴを待つ。歩みの遅いリヴを待って並ぼうとする。それはケルの力を殺す、愚かな行為だ。


(私の存在なんかにペースを乱されているようなケルはダメ。ケルは常に一番先頭で、強く強く輝いて、帝国軍一のアタッカーになる人よ。)

ぎゅっと目を瞑った。汗にまじって涙が一筋だけ、頬を伝った。

(私は、そのケルのパートナーになるの。誰にもこのポジションを譲りたくない。だからもっともっと強くならなくちゃダメ。魔法も、体力も、心も全て!)

再び開いたリヴの目の前に、走り続けるケルの幻影が見えた。振り向かず、ぐいぐいとリヴを引き離していく。リヴを置き去りにする。

(好き。大好きよ。だから今は言わない。私は、意地っ張りで生意気で可愛くないブスのままでいい! 私が強くなって追いついて、自分で隣に並んでみせる!)

リヴは歯を食いしばって、その背中を追った。


夏の日差しが、リヴの肌をじりじりと焦がす。

甘い思い出を閉じ込めるように、リヴは必死に歯を食いしばって、長い長い坂道を登っていった。


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