事件?
途中のリードの発言で、リヴは会話の歯車が間違って噛み合っていることに気付いた。どうやらリードは、以前浜辺で話した"好みの男性"であるケイン教授のことを言っていたらしい。
自分の想いに気づかれていたわけでないと知ってほっとしながらも、リードの口から出た情報に、勝手に体温が上がる。
(ケ、ケルが、私のことを大事に…?)
そう思ったとたん、心臓がドキドキと鼓動を早めた。もっと知りたい、聞きたいとリヴの心がうずく。
「ケル、が? ほんとう?」
ゆっくり確かめるように言葉を紡ぎ、リードを見上げた。
「ん? ケルさん?」
「…だいじ、って。」
「ええ?」
リードは不思議そうに首をかしげる。
ケルほどでないにしろ、リヴより背の高いリードの顔を見上げていると、夜中にケルと二人っきりで過ごしているような錯覚に陥る。
ドキドキしながら答えを待つリヴの手を、リードがすっと取った。ケルにそうされたような心持ちになったリヴは、ぴくりと身を震わせる。夜の潮風が、下ろされたリヴの髪をさらった。リードの手がゆっくりと伸びてきて、リヴの横髪をそっと耳にかけた。
「そーだよ、リヴちんのこと…」
ようやくリヴの質問の答えを口にしかけたリードの一言一言に、まるで恋をしているかのようにリヴは胸をときめかせる。そのリードが突如、リヴの目の前から消えた。
否、吹き飛んだのだ。
「!?」
状況についていけないリヴは、突如目の前に現れた人物を見、ぎゅうっと両手を握った。
(どうして…?)
胸がぎゅうっと締め付けられたように痛んで、ドキドキと高鳴る。
はあはあと息を荒げ、髪を振り乱して怒りを露にするケルが、すぐ目の前にいた。少し離れた場所に、イテテと呻き声をあげるリードが転がっている。彼はケルの右拳によって殴り飛ばされ、吹き飛んだのだ。
普段のリヴなら、すぐに怪我をしているかもしれないリードに駆け寄って状況把握するところだが、頭の中は突如現れたケルでいっぱいで。完全に、動くことを忘れて立ち尽くしていた。
「リヴ!」
怒りの形相のケルに、大声で名前を呼ばれる。
(なまえ……!)
ドキリと胸が踊った。
おいとかブスとばかり呼ばれているリヴの心は、名前を呼ばれただけで感激を受け踊る。
そのまま何も答えず、ただただケルを見上げた。ケルがいる、という事実だけで、感情の高ぶったリヴの瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
「リヴ!? …っリード、てめえふざけるな! 俺のリヴに何しやがった!」
何に怒っているのか、ケルは大声で名を呼びながらリヴに近寄る。そうして、乱暴に、ぎゅうっとリヴを抱き締めた。
ひくっとリヴの喉が音をたてた。
「忘れろ、何もなかった、いいな!」
リヴの顔はケルの大きな両手で包まれ、真剣な顔をしたケルに覗き込まれた。彼の顔が、視界いっぱいに広がっている。
ケルの顔が近すぎて、何を忘れろと言われているのか判らなくて、その直前の発言で完全に混乱しきったリヴはその手を押し退けようと身を振った。
そのリヴの頭は、強引にケルの胸に押し付けられた。
(えええっ!?)
心臓がバクバクと音を立てる。顔面にはケルの硬い胸板。後頭部には大きな手。
(な、なんでこんなことに……!)
ケルの大きな胸の中で固まったリヴは、じわじわと頬に血が上っていくのを感じた。真っ赤になっているはずだ。傍らには、唖然としてこちらを見つめているリードもいるはず。もう、何がどうなっているやら、リヴの頭はパニックに陥っていた。
(ケルが、俺のリヴって?)
ばくばくと心臓が脈打ち、目がぐるぐると回る。
「う、うわああ! 大変だ!」
その空気を打ち砕くような、何とも悲痛な叫び声が三人の耳を突き刺した。続いて、誰かが勢い良く扉を開閉する、バタンという大きな音。バタバタと慌しい足音が廊下に響き、テラスへの出入りが出来るガラス戸の前を、汗まみれのバートンの横顔が通った。手に何か長いものを持っている。
「うえ!?」
思わずもらしたリードの声にバートンが気づき、立ち止まって、すぐにテラスにいる人物をケルだと認識する。
「け、け、ケルさん! 大変ですっ!!」
どうやら大柄なケルの胸の中にいるリヴには気づいていないらしい。夜ということもあるのだろう。リヴは、どうしたものかと固まった。
「……チッ…。」
そんなリヴの頭上で、小さくケルが舌打ちしたので、リヴはビクンと肩を震わす。そうとも知らないバートンは、動揺を隠さずガラス戸を開くと、手にした長い棒のようなものをケルに見せて、大変だ大変だと騒いでいる。
頭上のケルと、それから近くにいるはずのリードが無言なことが気になって、リヴはそっとケルの腕の中からバートンを確認した。そして、固まった。
バートンが大声で説明をしている。
「だ、だ、誰かが俺のセクシー水着を磔にしたんです! 何かの呪いですかコレ!」
バートンの手に握られた棒の先に、例のヒモ水着がつる下がっていた。先ほどリードが、リヴを呼び出すために振っていたアレだ。
もっていかれた。リヴの恋愛ムードも混乱も、全てバートンによってクリアされた。
「…? あれ? リヴちん?」
「っ!!」
恋心も何もかも吹き飛ばす破壊力のそれを持ったバートンに気づかれ、リヴの混乱はピークに達した。
「きゃ、きゃああああああっ!」
大声で叫ぶと、ケルを突き飛ばしてテラスを飛び出し、光のごときスピードで階段を駆け上る。自室へ真っ直ぐ飛び込むと、バタンと後ろ手にドアを閉めて、へなへなとその場へ座り込んだ。
(なに、なに、今日は一体何ですの!?)
静かな部屋に、心臓の音がやけに大きく響く。
(俺のリヴって…)
ぼわんと顔が真っ赤になる。
(だって、ケルが、ケルが…)
ケルの真意は不明だが、期待して良いのだろうか。
(両想い…?)
とたんに先ほど抱きしめられたケルの腕の力や、胸板を思い出して、ぎゅうっと自分を自分で抱きしめた。
今まで、条件抜きにして好ましく思ってきた人物…、家族や家庭教師たちの顔がみるみるうちにかすんでいく。ケルの姿形だけが、はっきりと頭の中に浮かんでくる。
家族への想いとは違う。ケルへの想いは、恋だ。
(どうしよう…)
ケルの顔も声も匂いも、その全てがリヴをときめかせる。
(…大好き、なんだ。)
その晩、リヴは寝付けなかった。