気づく
夏合宿も、日数の半分を過ぎたある日の朝マラソン。
リヴは毎度のことダントツの最下位を走っていた。隣を、こちらも毎度のこと気楽顔のケイン教授が走っている。
はぁはぁと荒い息を上げてゆるい坂道を登っていくリヴの足取りは、最初に比べて軽くなっている。体力もだいぶ付いて、ペースもかなり上がった。
「おいリヴ、ヘバってるぞ。もっとスピード上げてみろ。」
教授が激を飛ばす。
「リヴ以上に、他の奴らもレベルアップしてる。もっとペースを上げて体を苛め倒すんだ。」
教授がペースを速めた。リヴは必死にくらいついて、教授の隣を走る。今日は今まで以上にきつい。
折り返し地点を過ぎて暫く。あと4分の1というところに差し掛かって、前方にちらりと人影が見え、リヴは目を細める。こちらへ向かって軽快に走っているようだ。汗で濡れた赤毛が、一歩踏み出す度に揺れている。ケルだ。
「あれ? ケルじゃないか。どうした?」
マラソンコースを逆走して戻ってきたケルに、教授が何かあったのかと問いかける。
「いや、こいつのゴールを待ってるのも退屈なんで、もうちょっと走ろうかと。」
ケルは何事もなかったかのように言うと、リヴのとなりに並び、同じペースで走り始めた。
一度ゴールしたケルが逆走して、リヴがあと4分の1のところで捕まるということは、半周遅れくらいの差があるということだろう。悔しいが、すでに限界なリヴは弱々しく睨むことしか出来ない。
「お前。」
「はぁっ…なに、よ…」
「結構いいペースで走ってるじゃん。」
「!?」
嫌みを言われると思っていたのに、誉めるようなことを言われ、リヴは目を丸くした。
(す、すこし嬉しいかも…。す、少しだけよ!)
暑さで上気する頬にさらに血が上る。
お礼を言うのも気恥ずかしく、リヴは黙ったまま二人に並走されてゴールまで踏ん張った。
「リヴ、頑張ったな。今日は結構ペースを上げたんだが。」
「ありがとうございます。」
リヴにも実感があった。何故だか今日は、いつもよりも短い距離を走ったような、あっという間に終わったかのような、スムーズさがあったのだ。
翌日も、その翌日も、ケルは毎日ゴールしてから逆走して、リヴと一緒に走るようになった。
相当体力があるらしく、言葉を発すことのできないくらい消耗するリヴに、ぺらぺらとくだらない雑談を話しかけてくる。リヴは走ることで精一杯なので、ジロリと睨んだり、頷いたりする程度の反応しか出来ないのだが。
今日も半分を過ぎて、あと少しというところになり、リヴは無意識に前方にケルの姿を探している自分に気づいた。
(やだ、まるで待っているみたいじゃない。)
急に変に意識してしまい、リヴはペースを乱して咳き込んだ。一旦スピードを緩め息を整えると、再び走り出す。
(あんな体力バカの気まぐれで、乱されてたまるもんですか!)
ぐっと腕に力を込めて振る。
「リヴどうした? ペースが早いぞ。」
並走してくれている教授に言われ、リヴは怒りでペースが早くなっていることに気づく。
(やだ、どうしたのかしら。)
完全に心を乱されている自分に気づき、リヴは一端足を止める。その場でぴょんぴょんとリズムを取ってから、再び走り始めた。
何とかいつものペースを取り戻したリヴに、教授がよし、と短い言葉をくれた後、前を見てハハハと笑った。
向こうの方から、あの赤毛が走ってくるのがリヴにも見えた。
「はは! あいつら。」
ケイン教授が笑うのでよく見ると、ケルの後ろに他の人影も見える。
「リーヴちーん!」
汗まみれの三バカが走りながら手を降っている。
「リヴは人気者だな。」
嬉しそうにケイン教授が笑いかけてきたので、リヴも少しだけ笑って見せた。
ケルと三人はリヴを捉えると、そのまますうっと隣に並び、走り出す。
「うわ、ケルさんの言った通り、結構いいペースっすね。」
「あっちー。リヴちん是非とも水着で走りませんか! いえ、走ってくださいお願いします。」
「教授、バートンは落第で。」
「うむ、残念だったな、バートン。」
「げ!教授がいた!」
一気に賑やかになり、リヴは自然と頬を綻ばせた。気持ちの折れそうだったマラソンも、仲間たちのお陰で乗り越えられそうだ。
わいわいと声を出し、小付き合いながら走る仲間たちの後ろ姿を追いながら、リヴは心の中で感謝する。
(みんな…………ありがとう。)
そうしてから、皆の中心にいる赤毛の大男の横顔を見た。すこし俯いて、頬を赤らめる。
(ケル…。)
大きな背中に汗でシャツがぴったりと張り付いて、逞しい背筋がうっすらと見えた。
(いつからこんな風になっちゃったんだろう。)
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。きゅんと胸が苦しくなったのは、マラソンのせいだけではないと、もうリヴは自覚している。
(ケル。)
もう一度視線を向けると、丁度ケルが振り向いて、視線が交錯した。にいっとケルが笑って、前を向く。
ドキンとまた心臓が動いた。
(私…、ケルのことが…………好き。)
ついに、リヴは自分の恋心を認識した。