塗る
二人で浜辺に戻ると、ウェスパーが興奮気味に駆け寄って来た。
「ケルさん、リヴちんに説明しました!?」
ケルが、あーと呟いて一瞬だけリヴに視線を寄越した。リヴの心臓が、小さくトクンと脈打つ。
(あ、あら? どうしたのかしら…。)
意味のわからない心臓の鼓動にリヴは戸惑ってしまい、ウェスパーの怪しい発言をスルーしてしまう。
遅れてやってきたリードがリヴを見るなり、心配そうに
「リヴちん、顔が赤いけど大丈夫? 日射病?」
と声をかけてきた。
「え、ええ? なななにかしら、日焼け…かしらね?」
「そう? ならいいけど…。うん、パラソルがいるな。」
最後の呟きに、リヴは心の中でリードに感謝する。何かとお調子者のリードだが、細かな気遣いをいつもしてくれているのだ。
と。誰かのバカ笑いが聞こえてきた。
「バートンちゃん、イイヨイイヨー!」
囃し立てる声に、リードがくくっと喉で笑った。
「? リード、バートンがどうかしたの?」
「ああ、もうすぐわかるよ。」
「?」
騒がしさがリヴに近づいてくる。ようやく元凶を見て、リヴは真っ赤になって顔を覆った。しかし気になって指の間から盗み見つつ、叫んだ。
「ちょっと、何をやっているのよ!」
騒ぎの中心に、リヴに着せようとしていたヒモ水着をまとったバートンがいる。ご丁寧に、いつも後ろでひとつ結びにしている彼の長い髪はハーフアップにされていた。間違いなくリヴを意識してのことだろう。鍛えられた胸板に小さな三角形の布が笑える。しかし下半身は危ないことこの上ない。
「うはははは! おいバートン、これ巻いてみろ!」
ケルがタオルを投げ渡すと、バートンもピンと来たようで、それを腰に巻いて悩ましげなポーズを取った。一番危険ゾーンが隠れ、何とかそれっぽくなる。
「ウフン、だれかアタクシと今晩いかが?」
バートンの裏声に、全員が大笑いする。
「もう、こういうお下品なところがイヤなのよ!」
リヴが真っ赤になって怒鳴り付けるも、調子に乗った男たちは止まらない。
「おい、ブス!」
「へ? きゃぁ!」
突如呼ばれ視線をうつして、投げつけられた小さいものをキャッチしたリヴの頭の中は、疑問符でいっぱいになった。リヴの手の中に落ちてきたものは、例の憎たらしい日焼け止めの小瓶。
「ああ、リヴちーん!」
バートンがリヴに向かって駆け寄ってくる。
「バートン、ここへ!」
ウェスパーがリヴの足元に、ざっとシートを広げた。嬉しそうなバートンが、滑り込むようにそこへ寝転ぶ。リードがリヴの手の小瓶を取って蓋を開き、中身をリヴの手に開けた。ぬるりとした日焼け止めが、リヴの手のひらを滑る。
「な、何?」
状況についていけないリヴに、ウェスパーが解説した。
「賭けの勝者のケルさんによって内容が変わったんだわ。ビリだったバートンが例の水着を着れば、リヴちんに日焼けを塗ってもらえるって。」
「はぁ!?」
「リヴちん、さぁ……!」
バートンが、寝そべったまま背中のヒモをするりとほどいた。手つきが妙に色っぽいのも腹立たしい。リードがリヴの手首をつかんで、バートンの背にあてると、バートンが熱っぽいため息をついた。
「あぁん、リヴちんの手、柔らかくて気持ちいいよぉ…!」
(ひ、ひぃぃぃ…!)
「い、いやだ! もうこんなのやめましょうよ! ね!?」
リヴの手は、リードによって勝手に動かされているので自由が効かない。必死にリードに訴えるが、リードがすうっとリヴに顔を近づけて、耳元で囁く。
「だぁーめ。」
「ひゃっ!?」
リヴは顔を真っ赤にして飛び退こうとし、背中を何かにぶつける。振り向けばケルの逞しい胸板がそこにあった。
「ケ…むぐっ」
口をケルに塞がれ、むぐむぐと唸ると、そっと彼の手が口から外れる。そしてそのまま、バートンの背中にあるリヴの手を押し退ける。
「こいつをからかってやろうぜ。」
小声でリヴに囁くと、ケルはバートンの背中をするすると撫で始めた。手つきはリヴのそれより何十倍も色っぽい。つつつ…とバートンの背中の丘をケルの指がなぞる。
「ぁ…、う、リヴち…ん。」
バートンが変な声をあげたので、リヴは驚いて指の主を見た。ケルはにんまり笑って小声でリヴに、ある台詞を言うように促す。
(えええ!?)
リヴは困惑するが、ケルは早く言えと急かすばかり。渋々、バートンにその台詞を放った。
「あ、の、バートン……」
リヴの台詞を待っていましたとばかりに、ケルの指がバートンの腰の辺りをゆっくりと撫でた。
「あハっ!…リヴちん、大胆…!」
腰をピクンと震わせたバートンに、リヴは赤面する。
(ちょ。ちょっと! これ、私がやっていると思われてるのよね!?)
ケルの表情を伺うが、さも楽しいと言わんばかりの目で、リヴにもっと言えと訴えている。
(い、言えばいいんでしょう! 言えば!)
半ば自棄っぱちになったリヴは、喉を整えてから、そっとバートンに向かって言った。
「……ちょっとだけ、サービスね………。」
言い切った瞬間、ケルの手がするりとバートンの脇腹に添い、ゆっくりお腹の方へ潜っていく。
「え、り、リヴちん!? あ、え!?」
バートンの声が上ずり、ウェスパーとリードが声を殺しながら涙を流して笑い転げている。
(いやあああ!)
それ以上見ていることができず、リヴは目をそらした。と、ケルの声が耳に届いた。
「バートンちゃん、あたくしの手はどーぉ?」
「…ええ!?」
ざあっと砂のまき上がる音がして、リヴはそっと様子を見る。呆然とするバートンと、したり顔のケルが目にはいる。ウェスパーとリードが、ぶぶーっと大きく吹き出した。
「え? あれ?」
バートンが目をぱちくりさせたまま、自分の体にあてがわれた手を見、ゆっくりとその出所を探る。もちろんのこと、5秒後には手の主=ケルという答えに辿り着いた。
「ケ、ケルさん……………!? え、リヴちんは?」
バートンがキョロキョロと辺りを見渡して、少し離れた位置にいるリヴを発見する。その距離で自分の背中に触れることは出来ないと察したのだろう。バートンは悲痛な面持ちでケルに飛びかかった。
「ケルさんひでえよ! 俺の純情がぁぁ!」
「うるせーな、お前がビリだったから罰ゲームなんだよ!」
わいわいと組み合う男二人に、ウェスパーも加わる。
「バートンちゃぁん!」
切羽詰まった声で、勿論わざとだが、バートンに飛びかかった。浜辺の上で見事に怪しい世界が広がる。
「きゃあぁ、誰かがアタクシの胸を!」
バートンが黄色い悲鳴を上げた。
「ぐっへっへっへ。ほれほれここがええのんか!」
ウェスパーが何を演じているのか、ダミ声で笑う。
「…………何なんですの。」
バカすぎる。リヴは額に手をあてながら、そっとその人だかりから離れた。