リスト家の誇り
姉の侍女に連れられて、リヴは部屋に戻った。くつろいだ服の上にコートを羽織っただけのリヴは、姉の侍女からの指示を受けたリヴ付きの侍女によって身支度をさせられた。
出された服を見て、リヴはハハと笑い出しそうになる。それは更衣室のゴミ箱に捨ててきた、あの、舞い上がった自分が用意したアタッカー用の衣装だったから。
何でこれがここに戻ってきているのかわからないが、滑稽な自分には一番ぴったりだということなのか。自虐気味になって、準備されるがままそれに身を通した。
父の部屋に入ると、父と姉だけがいた。めずらしく父が、執務机の前のソファーに姉と並んで座っている。入ってきたリヴを見ると、父は存外に優しい声で、
「リヴ。座りなさい。」
と声をかけてきた。その優しい声を疑問に思いながらも、父と姉が隣り合って座るソファの前に、リヴは静かに腰を下ろした。
「リヴ、すまなかった。」
少しの沈黙の後、父の発した言葉にリヴはえっと顔を上げる。父は心底傷ついた表情で、目を伏せていた。姉が「私が代わりに」と言って説明をかって出た。姉は静かに、諭すような口調でそれを口にした。
「リヴ、お父様も私も、貴方にヒーラーの素養が無いことを知らなかったの。いいえ、違うわね。素養ありと、聞かされていたのよ。」
「……なんですって?」
リヴは驚いて、姉の顔をまじまじと見た。
「そんな。前期の成績表と一緒に、魔法検診結果をお父様にお渡ししたわ! あの日、お父様の執務机の上にあったじゃない!」
姉と父の顔を交互に見ると、姉は忌々しそうに眉を寄せる。
「エスメロードよ。あの女、改ざんをしてお父様に報告をしていたの。」
「か、改ざん?」
リヴの唯一の味方だった彼女が何故? 何が起きているのだ。
「リヴ、これを。」
黙っていた父が、おもむろに差し出したものを見て、リヴはさらに混乱する。そこには、リヴの前期の成績表があったからだ。あの日、怒り狂った父によって床に叩きつけられたそれは、エスメロードの手からリヴに戻り、今はリヴの自室の本棚の中に保管されているはずだった。
「開いて中を確認してみなさい。」
「…。」
無言で開いて中を見て、リヴはぐっと息を呑んだ。そこに書かれた成績は、治癒魔法の素養がゼロなのだからもちろんのこと「可」「不可」の文字。そこまでは知っているリヴの成績表だったのだが、教授が手書きした連絡欄にはつまり、「ヒーラーではあるが成績は低い」「素養はあるのに努力を怠っている」と取れる事柄ばかりが並んでいた。リヴが直接自分に配られたものとは全く違う。なぜならリヴが受け取った本物のそこには「ヒーラーの素養が無いから氷属性の攻撃魔法への転向を進める」という内容だったから。教授からわざわざ呼び出されて、リスト家の事情も判るが一考してごらん、と言われたくらいだから、間違いようがない。
「一体、何がどうなっていますの…?」
へなへなと体から力が抜けていくのを感じながら、リヴはソファに深く身をうずめて、その成績表を見つめる。
「お父様がエスメロードから受けていた報告は、"リヴには素養があるのに薔薇にばかり興味を持ち、魔術の鍛錬を怠っている"ということだったそうよ。それに加え、その内容と一致する成績表を見て、貴女のことを叱っていたの。」
つまり、エスメロードの、リヴの唯一の味方だと思っていた彼女の、裏切りなのか。
突如聞かされたリヴは、全身から力や、今までの思い出など色々なものが抜けていくのを感じた。
「でも。なぜ? なぜ先生は?」
エスメロードの顔が脳裏に浮かび、リヴは切ない気持ちになる。これまで長いこと、自分の一番の理解者だと思っていたエスメロードが、自分を苦しめる現況だっただなんて。そんな悲しい事実、突然聞かされても信じられない。信じたくなかった。
姉が、怒りを顔に表して言った。
「あの女はね。」
みしり、と姉の手に握る扇が音を立ててしなる。
「エスメロードにはアタッカーメイジを育てる素養が無いの。貴方がアタッカーメイジだとしたら、彼女ではなく別の家庭教師をつけることになったのよ。彼女は夫に先立たれて、女手一つで一人息子を育てなければいけない環境だったから、父上がリヴの家庭教師にと取り立ててくださったのに。愚かにも、職にすがり付いてとんでもないことをしたようね。もう二度と、あの不愉快な女を見ることはないわ。」
エスメロードの家庭環境はリヴも知っていた。ここを追い出されたら苦しむことだって想像に容易い。面と向かって酷い言葉をかけられたこともないし、未だに優しいエスメロードの姿しか思い出せないリヴは、苦労をするだろう彼女を思うと、少しだけ胸が痛んだ。
話がひと段落ついたところで、家令である執事が中に入ってきて、なにやら資料を父に手渡した。それを見た父は、ほう、と目を丸くして姉に資料を見せた。姉はまあ、と笑って、その資料をリヴに見せる。それはリヴの、アタッカー転向後の講義で貰った成績だった。ケルとペアを組んで行った模擬戦の成績が書かれたプリントだ。そうあの、70点のプリント。
父は目を輝かせて、もう一度資料を見る。何度も何度も舐めるように見て、5回ほど見ただろうか。プリントからリヴに視線を移し、嬉しそうに笑うと姉に言った。
「何ということだ! 見ろ! リヴはリスト家初のアタッカーメイジだ! しかも優秀な!」
その父の嬉しそうな言葉に、リヴは驚いて目を上げる。その様子に姉が優しく微笑んだ。
「それにしても、リヴ、ちょっとその衣装を見せて御覧なさいな。ほら立って。」
姉の言葉に、リヴはおずおずと立ち上がる。短いスカートにニーハイソックスとロングブーツ。リヴが自分で用意した、アタッカー専用の自分の衣装。
「ステキよ! 私も前線で華麗に舞うアタッカーメイジに憧れたわ。リヴはまるで氷上の妖精のように、華麗に舞いそうね。」
姉がにこにこと言うと、父も嬉しそうに目を細めた。
「お前がアタッカーメイジなら、誰か一族の者から優秀なヒーラーをペアでつけてやらねば。誰か良い者が居たか?」
家令に向かって聞く父に、姉があら、と悪戯っぽく微笑む。
「お父さま、アタッカーアタッカーというペアもありだと思いませんこと?」
姉の言葉に父とリヴが、ん?と目を見張る。何か含みのある言い方ではなかったか。
姉は二人の顔を見て満足げにうふふと可愛らしく笑って、執事に声をかける。しばらくしてから入ってきた人物を見て、リヴは驚いて目を逸らした。
赤毛の大男。あの日リヴに怒鳴りつけた、リヴのペア。ケル・ロアその人だった。
「お父さま、リヴの学友のケル・ロア様よ。リヴが学校を休んでいるのを心配して、来てくださったの。リヴの衣装も彼が大事に持ってきてくださったのよ。」
思いがけず男が登場したことに、父は返事を濁しながら、難しいような困った顔をした。
「ほら、このプリントの講義でリヴとペアを組んでいた方ですわよ。自分の心無い言葉で傷つけてしまったから、謝罪したいと仰って。で、何を言ったのか私が問い詰めて…リヴがヒーラーでないと彼に聞いて初めて知ったの。」
単純に謝罪しようと来ただけなのに、思わぬ事態に巻き込まれたケルは、居心地悪そうに頭をかいていた。その犬のような様子に、リヴはくすりと笑った。
「…ごめんなさい。ありがとう。」
「いや…、なんだ。お前にそんな風に謝られると調子狂うんだけど。」
気まずそうに目を反らしたケルを見て、リヴの氷の心は優しく解けていく気がした。
「あ、ご当主殿、姉上殿、ひとつお願いをして宜しいでしょうか?」
話が纏まったところで、ケルが父に話しかけた。二人が何だ?と、ケルを見る。
「今日この家に押しかけて、リヴにひどいことを言った奴らのことなんすけど…」
姉がにっこりと微笑みを浮かべた。ひとりひとり身元を調べて破滅させますわ、と顔に書いてある。リヴは身震いした。姉の行動力をナメてはいけない。
「あいつらの今日の行動、全部芝居なんで、許してやってください。」
「え?」
三人がケルを見る。リヴも、驚いて目を丸くした。あの言葉は全部、嘘だったのか?
「あいつらの行動は芝居ですが、ああいった言葉をリヴが受けていたのは事実です。ヒーラーでないリヴが必死に家の期待にこたえようと、リスト家の立場を守ろうと努力した結果、ああいう心無い言葉を受けることに到ったんです。その事実をきちんと見てもらいたくて、俺が友人に頼んだんすよ。」
「なんてこと!」
ケルの言葉に、リヴは声を荒げてケルを睨んだ。
「あなたって人は! もし誤解が解けなかったりしたら、みんな退学になって一生棒に振るところでしたのよ!」
ケルはうんと答える。
「その危険を承知で引き受けてくれたのが、あの三人なのさ。まあ、万一の場合は俺の父上に口添えしてもらったりとは考えてたけど。」
リヴは絶句した。はあ、と息をつく。その様子を見て、ケルは楽しそうに父と姉に言った。
「こいつ、あ、いえ、リヴさんは自分の魅力が全然わかってないんすよ。リスト家とかヒーラーとか関係なく、力になってやりたいと思ってる奴はいっぱいいるのに、私は偽リストよ、っていって突っぱねちまう。…天性の男泣かせです。」
ほーうと父が笑った。
「君もその一人、というわけか?」
「うえっ!?」
ケルが素っ頓狂な声をあげた後
「…まあ、そういうのは追い追いってことで…。」
と答えたので、リヴは力いっぱい立ち上がって、真っ赤な顔で叫んだ。
「へへへ、へんな冗談はやめてちょうだい!!」
そのリヴの様子に、父と姉とケル本人が声をあげて笑ったので、リヴはさらに真っ赤になって、爪先立ちになる勢いで叫んだ。
「も、もう! なによなによ! みんな、みんな嫌いよ!!」