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肌をなでる風

裏話 夕暮れの帰り道

掲載日:2011/02/25

 西日がオレンジに空を染める帰り道。


 思いついたかのように、突然ちぃは叫んだ。

「おなべが食べたい!」

「お鍋?」

 ちぃは私の手をぎゅっと握って、にっこりと頷いた。

「ちぃと、ママと、リョウちゃん!」

 つまり、三人で食べたい、と言いたいみたいだ。

 なんだかおかしくて、自然と口許が綻んだ。

「そうね。冬になったら食べようね。まだ少し季節が早いから」

「えー」ちぃは不満げな顔をした。

 プンスカ、という顔だ。

「ちぃは嫌いな椎茸、食べられるようにならなきゃね」

「やー。ちぃ、あれキライ!」

 そう言って唇を尖らせる。その姿が本当に可愛かった。


 少し、いじわるをしてみたくなった。


「じゃあ、いーこ、いーこ、はなしね」

 すると、ちぃは一瞬悲しげな目をした。

 だがすぐにその色を変えて、そっぽを向いた。

「……いいもん、ママの、いーこ、いーこ、いらないもん」

 意外だった。意地を張っている感じでもなかった。

「どうして?」

 ちぃは、まだ余裕よと言うように、ふふと笑った。

「リョウちゃんしてくれるもん。リョウちゃん、やさしいもん」

「――ちぃ、リョウちゃんのこと好き?」

「うん! 大好き」

「そっか」


 不思議な気持ちだった。

 ほっとしたような、どこか後ろめたいような。


「ママは?」

「え?」

「ママはリョウちゃんのこと、すき?」

 ちぃがじっと私を見上げてきた。


 何もかも見通してしまいそうな、とても澄んだ瞳だった。


「好きよ。大好きよ」

 ちぃが不安そうな顔をした。

「ちぃも、すき?」


 私は買い物袋を地面に置いて、ぎゅっと娘を抱きしめた。


「ママは、ちぃのことが一番大好きよ。当たり前でしょ」

 少し、嘘が入った。

 もう、どちらのほうがどちらより。

 関係なかった。区別が付かなくなっていた。

 それくらい、私はちぃも良介も愛していた。


「……パパ」

「え?」

 ちぃは俯いていた。

「ちぃのパパ、いない。……リョウちゃん、パパじゃない?」


 言葉が出なかった。

 ちぃはもう、父親を意識していた。


 ちぃは賢い。親の嘘を簡単に見破る。

 パパがいないことが「普通」でないことを、もう見破っている。

 誰に似たんだろう。私は、小学生になってからもずっと親の嘘を信じていたのに。

 父親がもともといないだなんて、ありはしないのに。

 私は、あの母よりも嘘が下手だ。

 苦手だ。


「パパはリョウちゃんじゃないよ」

 声が掠れた。


 この子には父親が必要なのだろうか。

 たとえ、血の繋がりがなくても……。


 動揺を隠すように、できるだけ明るい調子で言った。

「ちぃ、パパほしい?」

 ちぃは首を横に振った。

「パパ、いらない。リョウちゃん、じゃないなら、いらない」

 ちぃは肩を上下させて、懸命に涙を堪えようとしていた。


 この子にとって父親は一人だと、ずっと思い続けていた。

 でも本当にこの子のことを考えたとき、父親はあの人でなくてもいいのかもしれない。

 本当に、娘のことを愛してくれる人なら、彼でもいいのかもしれない。

 片親でないほうが、いいのかもしれない……。


 ちぃの上唇に、透明な鼻水が垂れる。

 それを拭ってやりながら、私は言った。

「――リョウちゃんが、ママのお婿さんでもいい?」

「おむこさん?」

 きょとんとした瞳が返ってくる。

 私はもう一度、言葉を繰り返した。

「うん。ママのお婿さんが、ちぃのパパになるの」


 すると、キッとちぃは顔を上げた。

「いや! リョウちゃん、ちぃのおむこさんなの!」


 ……この反応は、どう受け取ったものだろうか。


「じゃあ、パパになれないよ?」

「リョウちゃん、ずっといっしょだもん! ママ、とらないで!」


 あ、そうか。

 思わず、笑ってしまった。

 どうやらもう、ちぃの中で良介は空想の父親以上の存在らしい。


 先日、良介は言ってくれた。

『いつか、三人で暮らせたらいいな』


 それは簡単なことじゃない。

 まだ早い。

 でも、今はその気持ちだけで充分だった。


 年下の彼。笑顔が少しあどけなく見える、やさしい彼。


 最近、ちぃとよく笑っている姿を見るようになった。

 まるで家族のように、彼はやさしい眼差しでちぃを見守ってくれている。


 その気遣いが有難くて、そんなところもまた愛おしく思う……。


「ごめん、ごめん。リョウちゃんは二人のものよねー」

「やー、ちぃの!」

「あら、そんなこと言っていいの? 今日の晩ごはん、せっかくリョウちゃんを呼ぼうと思ってたのにー」

「え、ダメ! リョウちゃん、リョウちゃんよぶの!」

「じゃあ、二人のものでいい?」

「………………うん」

「はい、仲直り」

 私はにっこり笑って、娘の指に小指を絡めた。

「指切りげんまん、」

「うそついたらはりせんぼんのーます、」

「指切った。――さ、早く帰ってハンバーグの用意しなくちゃ」

 ちぃの目が輝いた。

「ハンバーグ!」

「ちぃも、リョウちゃんも好きだよね。ちゃんと手伝ってよー?」

「うん! ちぃ、こねこねする!」

 ちぃはにこにこ顔で、両手を握ったり開いたりした。



 とても幸福な時間。


 大切に、大切に、

 思えば思うほど、

 あっという間に時間は過ぎていく。


 幸福は一瞬。

 でも、その思い出は永遠。


 もし、三人で暮らせたら……


 その一瞬、一瞬を重ねて、

 その思い出を共有して、もっと笑顔になることができるだろうか。


 なれたら、いいな。




読んでいただきありがとうございました。


夕暮れの中の親子のシーンを書きたかったのか、ただ千春視点のものを書きたかったのかはよくわかりません。


ただ、千春の中で「母」として「女」としての「娘」や「恋人」に対する想いがあったことは書きたかった……んですが、

うまくいったかは微妙です。


次回、『裏話』第3弾は『胡蝶の夢』という短編です。

よろしくお願いします。

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