下
この村で少し前から謎の奇病が流行りだした、と少女――カティは言う。
村で蔓延したのは人が人を襲い、食べようとする謎の病気だ。最初は村の男たちの努力によって納屋への隔離に成功していた。しかし麓の町に報告する前に、病気に罹った家族が心配で、夜中にこっそり様子を見に行った奴らが噛まれたことから感染が爆発したらしい。何人もの感染者が逃げ出し、村中がパニックになったということだ。それでカティの母親はそのパニックで行方不明、父親は麓の町に助けを呼びに行ったが未だに帰ってきていない――とカティは疲れた表情で言う。
「それであの老婆が家に逃げ込んできた所為で部屋から出られなかったわけか」
カティと言う名前の少女は無言で頷く。その表情は暗く、顔には生気がない。何日もまともな生活をしていないのか、頬は痩せこけ、目の下には隈が出来ている。本来ならば村の少年や青年たちに人気の出る、可愛い顔の部類だろう。極度の恐怖と疲労が彼女をここまで追い詰めたのだ。
「麓の町までどれくらいの距離だ」
「え、町から来たんじゃないの?」
「いや、逆だ。関所の方から」
「……バカじゃないの?」
カティが呆れたような顔をして言う。どうやら、シュウが通った冬の山道は地元民ですら入らない危険地帯らしい。吹雪が厳しく、崖や谷がそこかしらに存在する上、人食い熊が出没するので立ち入り禁止になっているということだ。
「通行料の為に命かけるとかバカだよ」
「まったくだ。後悔している」
シュウは腕を組んで頷く。何処か人事なシュウの様子に、カティは若干引いている。しかし久々の人間同士の会話により、どうやら普段の調子らしきものは戻ってきたようだ。
「まあいいよ。えっと、麓の町までは冬だと大体二日ぐらいかな」
「親父さんが家を出たのは?」
「たぶん七日前」
カティの表情は暗い。恐らくこの時間の経過の意味を理解しているのだろう。助けや父親がいつまで経っても帰って来ないということの意味を。
「麓の町までなら送ってやるぞ」
拳銃の分解、整備をしながらシュウが言う。
シュウは善人ではないが、悪人でもない。気まぐれだが拾える命があったら拾う主義だ。
「考えとく」
カティが言う。「そうか」とシュウは頷く。
銃の整備を終えたシュウは暖炉の前に移動する。この寒さから二人を暖めるためだ。暖炉を覗き込むと薪は入ってなかった。シュウがカティに振り返る。
「カティ、薪は?」
「切れたよ。取りに行くにも雪で埋まってるし」
「この寒さの中で過ごしていたのか」
「ここら辺ではまだマシな寒さだよ?」
「なるほど」
雪国の人間の寒さ耐性に感心しつつ、仕方がないので手持ち最後の大型固形燃料で暖をとる。瞬時に火が点き、部屋の温度が上昇する。身体に熱が戻り、指先の感覚が戻るような感じがした。これで少なくとも凍死は免れるだろう。次は食事が必要だ。
「飯を作る。材料借りるぞ」
「いいよ。勝手に使って」
カティが疲れた表情で言う。親がどちらも生死不明で自暴自棄になっているのだろう。人間的にまずい兆候だ。
この部屋はカティの私室ではあるが、暖炉や鍋を吊るす道具など、一通りの設備は整っていたのでこの場で調理することにした。流石に老婆の肉片や血が飛び散った部屋で調理する気にはならない。
まず最初に火酒を使ってナイフや鍋をアルコール消毒をした。この病気が血液感染か飛沫感染か空気感染なのかは分からない。ウイルスなのか細菌なのかカビなのかすらも分からない。もう手遅れかもしれないが、用心に越しておくことはないだろう、とシュウは考える。テーブルに板を敷いただけの急造調理代にも満遍なくアルコールを散布する。
「材料は、トマト缶と豆缶と調味料だけか」
「居間に芋とか干し肉とか色々あるよ?」
カティが不思議そうな表情を浮かべて言う。シュウは感染経路のことを言うべきか迷ったが、結局自分の考えを言うことにする。
「病気の原因が分からない以上、カティは密閉保存されたもの以外を口にしないほうがいい」
「ふーん」
カティが目を細めて言う。
この発言は「お前たちが作ったもの、仕留めたものが病気の原因かもしれないから食わない」と言っているようなものであり、機嫌を損ねる可能性がある。しかしカティは大して気にした様子もなくベッド下の箱の中を漁ると、シュウに向かって何かを投げた。それを受け取る。
「缶詰は非売品だから、うちにしかない。それならへーきでしょ」
シュウは受け取ったものを見ると、それはこれまた古い熊肉の缶詰だった。味付けはされていないらしく、「本来の味!」と可愛くデフォルメされた熊が吹き出しで喋っている間抜けなラベルだ。動物保護団体が見たら激怒しそうだな、とシュウは鼻で笑う。
「なら缶詰は感染源ではなさそうだ」
「缶詰、日用品。全部で金貨一枚にまけとくよ」
「金とるのか」
「とーぜんだよ。うちは雑貨屋だからね。お父さんは猟師もやってるけど」
「うむむ」
「そもそも泥棒しようとしてたのを金貨一枚で許してあげるんだから」
「それを言われると何も言えない」とシュウは小さくなる。
「硬貨はない。古いドル紙幣じゃだめか?」
「まあ多めに払うならいいよ」
結局、関所代と対して変わらない額を払ったシュウは、気落ちした様子でメニューを考え始める。身体が暖まるものといえばスープだろう。コンソメがあるからコンソメスープ――いや、トマト缶があるからトマトスープにしよう。とシュウは一人頷く。
作るものが決まったシュウは調理を開始した。まず鍋に水を入れる必要があった。
「カティ、水を」
またもや難題に気づく。水をどうやって確保するのか。
自身の水筒の水はそもそも量が足りない。水瓶の水は安全なのか分からない。外の雪を溶かすという手段もあるが、これも安全かどうか分からない。
悩んでいるシュウの様子を見て、椅子に座っていたカティはため息を吐きながら水瓶を指さす。
「そこの水瓶の水なら私が飲んでもだいじょーぶだったよ。まあ、時間差があるだけかもしれないけど」
「……まあ、それなら大丈夫か」
カティの好意を無碍にする訳にもいかないので、シュウは水瓶の蓋を取る。薄っすらと表面が凍っていたが、ナイフの柄で叩き割る。なみなみと入っている水を鍋の中に移していく。
水の溜まった鍋を火にかけると、シュウはナイフで豆の缶詰を開け始めた。ギコギコと音を鳴らして開けていく。すぐに開き終わった。匂いを嗅ぐ。どうやら腐ったりはしていないようだった。保存料がしっかりと働いているのだろう。シュウは複雑な気持ちになりながら豆を鍋に投入する。
次に熊肉を炒める。別に炒めなくても鍋に入れれば食えるのだが、どうせなら美味い物が食べたいという、シュウの生きる上でのこだわりがあった。炒めるために油やバターがあればいいのだが、あいにくとシュウは持っていない。
「バターか油もってないか?」
ダメもとでカティに尋ねる。するとカティは箪笥から何かを取り出し、それをシュウの元へ持ってくる。それは厚い紙に包まれたバターだった。ただ端っこに齧ったようなあとが残っているのはご愛嬌である。
「単体で食ったら身体壊すぞ」
「おなか減ってたんだもん」
「いや、缶詰」
「この部屋に開ける道具がなかったの」
「薪割り斧でも出来そうだが」
目の鱗が落ちたような表情をするカティにシュウは苦笑する。もちろん表情筋は動いてないので傍から見ればただの無表情だ。シュウは熱したフライパンに受け取ったバターを入れようとする。しかしカティが突然それを阻止した。
「待って」
そう言うとカティは、シュウのナイフを使って自身が齧ったところを切り落とした。
「私が齧ったとこなんて使いたくないでしょ?」
そう言ってカティは切り落としたバターを自分の口の中に入れると、ナイフとバターをシュウに返す。シュウはカティの行動を不思議に思ったが、思春期の女の子はそういうものか、と妙に納得する。
「別に気にしないけどな」
「私は気にするの」
シュウは首を傾げつつ熊肉の缶詰を開けた。腐敗したような臭みは感じなかった。これまた香辛料やら保存料が大量に使われているのだろう。熊も数百年後に食われるとは思っていなかっただろうな、と考えながらそれをフライパンに入れる。
熊肉とバターの混ざったいい香りが食欲をそそる。コレ単体でも十分にうまそうだった。スープに入れる分とそのまま食べる分に分けようとシュウは言う。カティも匂いに釣られたのか、いつの間にかかなり近くで調理を眺めている。
しばらくして鍋が沸騰し始めた。そろそろか。トマトの缶詰を先ほどのようにナイフでこじ開けて、ペースト状になったトマトを鍋に入れる。トマトの強い酸味の匂いが部屋中に広まる。人によって好き嫌いが分かれる匂いだが、シュウはこの匂いが好きだった。真っ赤に染まった鍋に炒めた具材を投入する。
「おいしそう」
カティがボソッと呟く。目分量の大雑把な料理だが、しばらくまともな食事をしていないカティにとってコレはご馳走に見えるだろう。
最後に塩、胡椒、齧りかけコンソメを適量入れて。出来上がった。渾身のトマトスープだ。
「完成だ」
「おぉ」
思わず身を乗り出すカティ。しかしシュウは鍋の蓋を閉じる。
「味が染みるまで煮込む」
「……この匂いは『ごーもん』だよ」
そう言うとカティが椅子に崩れ落ちた。シュウは駆け寄って呼吸を調べる。
死んではいないようだった。
♢
「おいしい」
「そりゃよかった」
先ほどの死んだような状態が嘘の様に元気になる。空元気も混ざっているだろうが、久々のまともな食事はカティの冷え切った身体と心を暖めることに成功したようだ。
スープ掬って飲む。豆もまだ多少硬かったが、許容範囲以内だ。よく出来たほうだろう。トマトペーストの酸味も疲れた身体に染みこんでいくようだ。シュウは一人満足気に頷く。
熊肉を齧る。簡単な味付けしか施してないのだが、獣肉特有の癖はほとんど感じなかった。やはり大昔の保存技術は凄いな感心しながら食事を続ける。
黙々と食べ続けるシュウとカティ。結構な量を作ったのだが、一時間もしないうちに全部無くなってしまった。
「食べた食べた」
ある程度の心の余裕を取り戻したのか、満足そうな笑みを浮かべてベッドに飛び込むカティ。埃が舞い上がる。カティがむせた。
シュウは食器や道具の後片付けをしながら、カティに尋ねる。
「現実的な話に戻して悪いが、これからどうするつもりだ」
「今それ聞く?」
「悪いな。人の心がよくわからないものでな」
カティは顔を隠すようにベッドに顔を押し付けたまま動かない。口の上手いやつだったらもっと機転の利いた言い方が出来るだろうが、あいにくとシュウは不器用な男だった。基本的に直球でしかものを尋ねることが出来ない。
「麓の町で住み込みの仕事を探すくらいなら手伝ってやる」
「うん」
「麓の町が嫌だったら気に入る町が見つかるまで俺について来てもいいぞ」
「それもいいかもね」
「もっとも自分の食べる分は自分で稼いで貰うけどな」
「はは、私は『商人』と『猟師』の娘だからその辺はよゆーだよ」
カティが眠そうな声で返事をする。無理もない。親の生死も分からないまま、ずっと一人ぼっちで何日も過ごしていたのだから安心して眠れなかったのだろう。久しぶりの会話、久しぶりの温かい料理を食べたことで疲れが一気に吹き出したわけだ。人間は極限状態の時に一人でいると心が折れてしまう。
シュウは寝息を立て始めたカティに毛布をかけてやろうと近づく。すると突然カティが飛び起きた。シュウが驚く。
「変な音がする」
そう言ってカティは顔を青くして挙動不審に辺りを見回す。唐突な行動をシュウは不思議に思ったが、その理由はすぐにわかった。身体の動きを止めて全ての神経を研ぎ澄ます。
窓の外に動く影が見えた。月明かりだけじゃ殆ど見えないが、確実に何かがいた。
シュウは素早く消えかけの固形燃料に灰を掛け、カンテラの明かりを消す。素早く拳銃を抜き、窓を警戒しながらカティの側に行く。
「シュウ?」
左手の人差し指を唇につけ、「静かに」のポーズを取る。カティからは殆ど見えてないだろうが、なんとなく雰囲気で察したようだ。シュウの服の裾に掴まって怯えている。
カティの手を引いて窓際に張り付く。外を見る。人型の影が村中で蠢いていた。
それはかつての村人たち――感染者たちだった。彼らは空ろな瞳で辺りをゆっくりと徘徊している。
「耳がいいな」
「う、うん。昔から耳と目だけは良かったの」
窓から外の様子を見たカティが狼狽している。さっきより強くシュウの服の袖に掴まる。その時、カティの髪の毛から先ほど食べた夕食の匂いがほんのりと香った。
シュウはハッとする。匂いか。煙や料理の匂いに集まって来たのか。
「まずった」
シュウは自分の軽率な行動に後悔した。しかし、集まってしまったからにはどうしようもない。
「幸い奴ら、俺たちには気づいていない。このまま篭城して朝を待とう。夜の雪山は危険すぎる」
暗闇に目が慣れたカティが頷く。シュウは木製の内窓をそっと閉める。これで姿は見えないはずだ。
安心したのも束の間、突然何かを叩くような音が聞こえた。嫌な予感がして二人は音の聞こえた玄関の方に向かう。
「うそ」
奴らは家の入り口を力任せに叩いていた。その音に反応して更に他の感染者が集まってくる。そしてまた叩き始める。負の連鎖だ。物量でドアを突破されるのも時間の問題だった。
「篭城中止。荷物を集めろ。村から出る」
急いで必要な荷物を集めさせる。村から出るか、カティの答えを聞いていなかったが、どうやら出る気のようだ。もっともこの状況で村から出る気がないとしたら、それはただの自殺志願者だ。
元から村を出る準備はしていたのか、缶詰や日用品、薬が詰まった体格に合わないほど大きい背嚢を背負ってやってきた。玄関に掛かっていた外出用の外套を羽織る。
「準備いいよ」
「よし。向こうの部屋の窓から出る」
別の部屋の窓から辺りを窺う。こっちにはまだ殆ど感染者たちはいないようだ。
今がチャンスだ。シュウとカティが窓から飛び出すと突然、太陽のような光球が空へとあがり、村を照らしだした。
♢
何が起きた?
シュウは突然起きた事態に珍しく動揺する。まるで昼間の様に村中が明るくなった。
光? 太陽じゃない。照明弾だ。
「カティ伏せろ!」
空が光って数秒後。連続した何かが弾ける様な音が村中に響き渡る。明かりに照し出された傷だらけの感染者たちが次々と血を噴き出して倒れていく。
銃だ。
悲鳴のような声をあげ、音の発信源に向かって感染者たちが一斉に走り出す。数十人を超えていた。それをガスマスクをつけた男たちが狙い撃ちにする。
銃を持った男の一人に感染者が噛み付いた。男は感染者を撃ち殺すと、パニックになった様子で怒鳴り散らす。他の男たちは一言二言会話を交わすと、噛まれた男に銃を向けて撃った。男は抵抗する間もなく頭を撃ち抜かれ、その場に倒れる。恐らく噛まれてしまえば助からないと分かっていたのだろう。
「こっちだ」
騒ぎに便乗してカティを近くの木の陰に引きずり込む。太い木なので流れ弾ぐらいなら防げそうだ。シュウは顔だけ出し、脱出のチャンスを窺う。
「ひっ……!」
かつての村人たちが、頭や身体を吹き飛ばして死んでいく様子を見て、カティが顔を青くする。シュウはこれ以上この光景を見せないように、カティの頭を自分の身体に抱き寄せた。カティも抵抗することなくシュウに身体を委ねる。震えていた。なんて小さい背中だろうと、シュウは思う。
あの男たちはどう見ても救出部隊ではなかった。初めからガスマスクをつけているということは、この村の惨状が分かってやってきたのであろう。なら――
「動くな」
突然後ろから銃を突きつけられる。
油断した。
ガスマスクの男は古い散弾銃を構え、二人を威嚇する。シュウは銃を捨てて、抵抗の意思は無いことを示す。
「待て。俺たちは感染していない」
「村の連中の服じゃないな。旅人か」
くぐもった声で話す男。シュウは頷く。どうやら直ぐに殺すつもりはないようだ。ならまだチャンスは有る。
「最悪なときに来たな、町もこの病気で大騒ぎだぜ」
「町でも奴らが?」
男は「そうだ」と言う。苛立ちを隠せない様子で事の詳細を話し出す。
「二日ほど前、雑貨屋にこの村の猟師が現れたんだ。いつも通り毛皮や肉を売りに来たのかと店主は警戒せずに近づいた。そしたら突然首に噛み付いてきやがった。店主は殺され、猟師も射殺された。それで店主の死体を店から運び出そうとしたら店主も突然生き返って噛み付いてきやがった。それでこれが感染する病気だとわかって、町から山村の掃討命令が出されたわけさ」
男は話したがりなのか、興奮した様子で一気に捲し立てる。話を聞き、カティの顔が凍りつく。恐らく町に現れた猟師とはカティの父親のことだろう。感染、発症、射殺。なんとも惨い話だった。
「話は終わりだ」
男はカティの頭に銃口を向ける。射殺するつもりだ。
「ちょっと待て。俺たちは感染してない」
「念のためだ」
冗談じゃない。念のためで殺されてたまるか。
シュウは咄嗟に男の方に駆け出す。男はカティから狙いを外し、シュウに向かって撃つ。腹に散弾が直撃した。カティが悲鳴を上げる。それでもシュウは止まらない。
「クソ、防弾ベストか!」
男が悪態をつく。懐に飛び込んだシュウは男の顔面を掌底を叩き込んだ。掌底を打たれた男はまるで車に轢かれたかのように吹き飛ぶ。十メートルは飛んだだろう。男は木に激突すると動かなくなる。背骨が逆向きに折れ曲がっていた。確実に生きてはいないだろう。
シュウは自分の銃を拾って、座り込んだカティの手を引っ張る。
「行くぞ」
「シュウ! 傷が!」
「大丈夫だ。俺は人造人間だからな」
シュウはそう言うと服を捲り、撃たれたところを見せる。腹部には散弾の穴が空いていたが、確かに出血をしている様子はなかった。唖然としたカティを半ば引きずるように連れて夜の森の中に逃げ込む。少しでも遠くに離れなければならなかった。
銃声が遠ざかる。その後しばらく虐殺の音は山々に鳴り響いた。
♢
銃声が止んでから二時間。空は薄っすらと明るくなり始めている。
雪を掘って作った小さな雪洞の中。二人は身を寄せ合って暖をとっていた。カティは父が死んだという実感がないのか、泣きもせずにボーっとしている。シュウは時折顔を出し、辺りを窺いながら仮眠を取る。感染者も兵士たちも、今のところ姿を見せなかった。
「もう諦めてたんだよね。お父さんのこと」
カティが突然喋りだす。シュウは振り向き、カティの顔を見る。儚げな笑みを浮かべているカティは今にも壊れてしまいそうだった。何か気の利いた言葉を言えない、人造人間である自分の不器用さをシュウはもどかしく感じる。
「下手に希望を持つと裏切られたときにつらいから」
「ああ、よく分かるよ」
相槌を打つ。やはり言葉は浮かばない。
「でしょ? でもね、心のどこかでは期待してたんだ。まだ生きてるって」
カティの声が震え始める。
「けど……こんなのって……あんまりだよ」
涙がぼろぼろと零れた。堰を切ったかのようにあふれ出る涙。そのカティの様子に、シュウは気が利いた言葉が思いつかなかった。自分に貸せるのは胸だけだ。そう思ったシュウは不器用ながらもカティの頭を自分の胸に押し付ける。
今まで我慢してきた分、泣き叫ぶカティ。黙ってそれを受け入れるシュウ。
その光景はしばらく続いた。
◇
太陽が山を照らす。
雪の照り返しにより、まるで地面全体が太陽の様に光り輝いている。
「ダメだな。町に行ったら間違いなく殺されそうだ」
麓の町を見下ろせる位置にある、小さな林の中。シュウは高倍率の双眼鏡を覗き込む。視線の先にある町では、銃や槍で武装した町人や兵士たちが慌しく動き回っている。昨日殺害した男の死体と足跡から俺たちの存在に気がついたのだろう。不安材料は確実に消し去りたいのか、彼らは山狩りを行う準備をしていた。かなり殺気立っている。
ふと、シュウの後ろで切り株に座っていたカティが何かに気づいた。山の尾根の方を指差す。
「シュウ。あそこに何かいる」
シュウは立ち上がり、指差された方角を見る。確かに誰かがいた。双眼鏡を覗き込む。
「感染者だ」
シュウは言う。金髪の女性の感染者がゆっくりと町の方に向かって歩いている。このまま進めば町の人間に射殺されるだろう。別に放って置いてもいいかと思ったが、カティが悲しそうな声色で言う。
「シュウおねがい。楽にしてあげて」
双眼鏡を下ろしてカティの顔を見る。何かに気づく。もう一度感染者を見た。またカティを見る。
あまりにも似ていた。向こうにいる感染者とカティの顔のつくりが瓜二つだった。恐らく行方不明になっていた母親だろう。これはカティに言うべきか。葛藤する。するとカティが弱々しい笑みを浮かべる。
「悩まなくてもいいよ、シュウ。私は目も良いって言ったでしょ。あれがお母さんなんだな、って家族ならわかるから」
シュウは驚愕する。自分の親だと分かっているのに『殺してくれ』と頼むのにどれほどの覚悟がいるのだろうか。ましてやこんな小さな少女が。
人造人間である自分でもわかるくらいの強い意志を持って言っている。ならば自分もカティの想いに答える必要がある。そう感じたシュウは狙撃銃に弾を込め、狙いやすい位置に向かう。
「ありがとう」
伏射姿勢をとると、背嚢の上に銃身を乗せる。大口径のボルトアクション式の狙撃銃だ。
標的までの距離は約五百メートル。山風はすぐ向きが変わる。だから風が止まったところを撃つ。
深呼吸する。標的は自分の位置より下にいるから、弾丸が通常より落ちないことも想定する。正確に射撃をするならば本来色々な計算しなきゃいけないが、この距離ならあまり気にしなくてもいいだろう。今はただ風に注意すればいい。
スコープを調整をして深呼吸する。まだ風が強い。
感染者の長く、綺麗な髪が風で揺れる。カティの髪は母親譲りだな、とシュウは思った。
深呼吸する。風が弱くなった。
引き鉄に指を掛ける。両目でしっかりと標的を視界に捉える。
苦しませたくない。頭か脊髄に命中させる必要がある。胴体では駄目だ。
風が止まった。
息を吐ききったところで呼吸を止める。
そして、撃った。
銃弾は緩やかな放物線を描いて飛翔する。朝の冷たい風を切り裂きながらカティの母親の下へと。
「おやすみなさい。お母さん」
カティが目を閉じて言う。遠くで銃声が木霊した。




