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「そのとおりです。スギは現在、別の場所にあります」
その返答にホッと胸を撫で下ろす。ツキさんもまた安堵の表情をしていた。
「どうして伐採したなんていう嘘を……?」
「実は、以前、売買目的で近づいてきた人に騙されかけたことがありまして、警戒していたんです。樹木医という職業もあまり聞き慣れなくて…。本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、警戒されて当然です……!」
悲しいことに、樹木を金銭に換えようとする人は少なくない。特にツキさんやここのスギのように千年を超える樹木は希少価値が高く、世界自然遺産に登録されるほど貴重だ。
「五年前に亡くなった父の遺言だったんです。『高倉酒蔵を長年守ってきたスギを、次は未来を担う子供たちの元へ届けてほしい』と」
「子供たち、ですか?」
「ほら、ちょうど聞こえてきた」
耳に届いてきたのは、心地いい鈴の音だった。
誘われるように門の外に出ると、子供たちが小さな提灯を手に歩いていた。揃いの法被には『ススギ祭り』と書かれている。私たちもその後ろに続き、歩みを進めると、辿り着いたのは小学校のグラウンドだった。
「こうやって大切な人の安全を祈りながら町を練り歩くんです。祭りの日にスギに会いに来るなんて、双葉さんはすごいですね」
「いえ、私はなにも。きっと彼が呼ばれたんですよ」
「彼、ですか?」
私は総一さんの質問に、にこりとした。
子供たちが囲んでいる先に、息を呑むほど堂々とした千年杉が立っていた。
尖った針状の葉は綺麗な三角形を描き、見る者を威圧させる重量感と、波打つような樹肌がさらに美しさを際立たせている。遠くからでもはっきりわかる瘤がいくつも刻まれ、優しさと逞しさを兼ね備えたスギがそこにあった。
そんな中で、体格のいい男性が子供たちの中に混ざっていた。短く跳ねた髪と、日焼けをしている肌。私たちに気づいた彼は漫画のように二度見をした後、大きな声で叫んだ。
「あれ、ツキ? ツキだよな! おーい、俺だ!」
グラウンドに響き渡るほどの声なのに、私とツキさんにしか聞こえていないようだ。草履の音を軽快に鳴らし、彼は大胆に近づいてきた。
「久しぶりだな! 何年ぶり? あれ、何千年ぶり? まあ、なんでもいいけどよ、俺のこと覚えてるか?」
「スギだろ」
「そーそー、スギ!」
どうやらツキさんとは違い、彼はそのまま「スギ」と呼ばれているらしい。ツキさんと話している以上、彼が友人で、精霊であることは間違いない。
スギさんはまるで杉の木そのものを思わせるほど豪快でどっしりした雰囲気だ。もしかすると、精霊の性格や見た目は、宿る樹木の性質とどこか繋がっているのかもしれない。
「元気そうだな、ツキ」
「お前もな」
「へへ、会えて嬉しいぜ!」
やっぱり精霊にとって千年という月日はそんなに大きな数字ではないようで、ふたりはあっという間にその年月を飛び越えてしまっていた。
ツキさんの願いを叶えることができて本当によかった。あまり感情を表には出さないようなタイプに見えるけれど、今だけは心から嬉しそうに笑っているのがわかった。
「それよりツキ! 嫁さんを連れてきたなら早く紹介しろよ!」
「嫁、さん?」
「ツキの嫁さんだろ?」
スギさんが明らかに私を指してニヤニヤしている。
「ち、違いますよ! 私は樹木医です! 木のお医者さんです!」
思わず大声で否定した。別に強調することじゃないのに、「嫁」という言葉があまりに衝撃的で、つい過剰に反応してしまった。
「バカ。こいつは人間だ」
「え、人間なのに俺たちのことが見えてんの? すげえ!」
スギさんは終始テンションが高かった。人間味がありすぎて、精霊だと言うことを忘れてしまいそうになる。
「申し遅れましたが、双葉縁と言います。初めまして」
「縁ちゃん! 俺はスギ、よろしくな!」
スギさんは白い歯を見せて笑い、力強い握手をしてくれた。