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高倉酒蔵の当主は、高倉総一さんという方だった。私たちが突然訪ねたにもかかわらず、総一さんは快く本家の庭へ案内してくれた。重厚な門をくぐると、風情あふれる日本庭園が目に飛び込んできた。
「わ、モチノキにモッコク、ユズリハまで!」
四季折々に彩りを添える木々が、丁寧に手入れされて美しく輝いている。きっと庭師が定期的に管理しているのだろう。石畳の小道を進むと、鹿威しの軽やかな音が響き、紅白の錦鯉が優雅に泳ぐ泳いでいた。
「きっとツキさんのご友人も大切にされていますよ」
総一さんに聞こえないよう、そっとツキさんに囁いた。この生き生きとした庭を見れば、どれだけ丁寧に扱われているかがわかる。ツキさんから小さく「ああ」と返事が返ってきたその時、総一さんの足がぴたりと止まった。緑に囲まれた庭の先に、ぽっかりと土がむき出しになっている地面が広がっていた。
「スギはここにありました」
総一さんがくるりと私たちのほうに顔を向けた。その過去形の言い方に心臓がざわついている。
「ありましたとは……どういうことでしょうか?」
「そのままの意味です。スギはもうここにはありません。管理が難しくなり、五年前に伐採しました」
「ば、伐採って……」
覚えがある胸の痛み。隣のツキさんを見ると、驚きや悲しみの表情はなかった。でも、彼の拳が固く握りしめられ、怒りを抑えているのが見て取れた。
「せ、千年杉は日本の宝ですよ? それを伐採してしまったなんて、なぜそんなことを……」
「先ほども言ったとおり管理が困難になったためです。近年台風も多いですし、万が一倒壊したら大変ですから」
「スギは深根性で、根を深く張るから災害にも強い樹木です。ちょっとやそっとじゃ倒れませんよ!」
「そうなんですね。知りませんでした」
どんなに訴えても、総一さんの返事は事務的だった。人の手で植えられた樹木が、人の手で切り倒される。千年杉にも、ツキさんと同じように精霊が宿っていたはずだ。もしかしたら、声は届かずとも総一さんに語りかけていた日もあったかもしれない。
「あいつは死を選べなかった。選べなかったんだな……」
ツキさんがぽつりと呟いた。静かな声に、深い悲しみが滲んでいる。精霊の声は人間には届かない。どちらも心を持っているのに、すれ違ってしまう。それでも、私は変えたいと思う。
「総一さん。もう一度確認しますが、スギを伐採されたんですよね?」
「ええ」
私はふと地面にしゃがみ込み、土に触れた。この場所に着いた瞬間から感じていた違和感――周りの土と比べて、ここの地面だけ色が違う。まるで一度掘り返して、丁寧に平らにならしたかのようだ。
「伐採したなら、なぜ切り株がないんですか?」
「え?」
「木を切り倒すとき、まず『受け口』を作って倒れる方向を決めます。特にスギのような大木なら必ずそうします。だから、切った後には地面から10センチほどの切り株が残るはずなんです」
それなのに、ここには清々しいほどなにも残されていない。
「伐根という方法もあるだろう?」
ツキさんの問いに、私はゆっくり首を振った。
たしかに、依頼者が望めば切り株の周りを掘り、深く張った根ごと取り除く伐根という方法もある。でも数々の樹木を見てきた私には、千年杉が伐採されていないと断言できる理由があった。
「先ほど伝えたようにスギは根を深くまで伸ばして、枝の範囲と同じように横へ広がることが特徴です。切り株を残さずに伐採したとしたら重機も必要ですから、相当な時間がかかるでしょう」
なによりここは、連日たくさんのお客が訪れる店の裏側だ。重機の騒音や作業のリスクを考えると、伐根までするとは考えにくい。では、なぜ伐採されてしまったスギの切り株が残っていないのか。掘り返された地面の跡を見る限りここに千年杉があったことは間違いないだろうし、総合的に考えられることは……。
「もしかしてスギは伐採したんじゃなくて、別の場所に移動したのではないですか?」
その推測なら、すべてが腑に落ちる。地面の色が違う範囲を見ると、根を傷つけないよう丁寧に掘り起こしたに違いない。
「総一さん。お答えいただけますか?」
もう一度問いかけると、総一さんは観念したように少しだけ笑った。