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 鳥居に一礼をしてくぐると、拝殿の脇に息を呑むほど見事なケヤキが聳えていた。まるで箒を逆さにしたような美しい樹形は、圧倒的な存在感を放ち、この神社の御神木に違いないと感じさせた。

 かつて武蔵御嶽神社を訪れた時、参道の途中に鎮座しているケヤキを見たことがあったが、このケヤキはそれよりもはるかな巨木だった。

 幹周はおよそ十五メートル。高さも二十五メートルは軽く超えている。そこから推測するに、樹齢は千年近くに及ぶだろう。千樹の森に根ざす千年のケヤキ、ひょっとすると森を守り続けてきたのは、このケヤキかもしれないと思った。

 しばしケヤキに見とれ、感動と興奮に浸っていたかったが、すぐ異変に目が留まった。本来この時期なら若々しい新芽が息吹き、小さな雄花と雌花が咲き誇るはずだ。そして、役割を終えた雄花や受粉しなかった雌花が樹下に落ち、ゴールデンウィークの頃には緑の実が地面を彩るのが自然の姿のはず。なのに、このケヤキはまるで季節を間違えたかのように、枯葉ばかりが目立つ。

 ……ど、どうしてこんなことに?

 急いで原因を探らなければと、ケヤキに近づいたその瞬間――頭上から突然、声が響いてきた。

「俺に触るな」

「……え?」

 突然、バサッと大きな影が目の前に降り立った。一瞬、鳥かなにかと思ったが、音もなく地面に着地したその人物は、薄茶色の瞳で私をじっと見つめていた。

 身長は180センチを超えるだろうか。黒髪を糸のように滑らかに後ろで結び、柳鼠色の着物をまとった姿は、秀麗、端麗、美麗、どんな言葉でも表現しきれないほど美しい男性だった。

「……あ、あなたは?」

 森の中はつねに空気が清んでいるが、この人が現れた瞬間にまるで水を注がれたように瑞々しく、洗礼された空間に変わった。

「お前、俺のことが見えるのか?」

「……え?」

「そうか。見えているのだな。まったく稀にこっち側と繋がってしまう人間がいるからほとほとに困る」

 彼の吐くため息さえ美しく感じるほど、その存在感は特別で、まるで別世界のオーラを纏っているようだった。私は彼が降りてきたケヤキを見上げた。あの高さは簡単に登れるものではない。容姿も、雰囲気も、どこか人間離れしている。

「あなたは一体……?」

「俺はこのケヤキの木霊だ。精霊とも呼ばれているが」

「せ、精霊……!?」

 はしたなく声が上擦ってしまった。

 日本では古来から万物に神が宿るという考えがある。特に山や岩、樹木には目に見えない力が宿り、精霊が存在するという話を本で何度も読んできた。まさか本物の精霊を目の前にするなんて――思わず体が震えた。

「怖いのか? まあ、当然だ。大抵の人間は俺たちのことを恐れ……」

「お会いしたかったです!!」

「……は?」

 これは俗に言う武者震いだ。樹木に魅せられた日から、私はずっと精霊の存在を信じてきた。だからこそ、樹木が粗末に扱われたり、病気に侵されて放置されたりするのを見過ごせない。一本でも多くの樹木を守るため、私は樹木医になったのだ。

「あの私、ずっとお礼を言えたらいいなと思っていたんです。だって樹木は二酸化炭素を吸収し、綺麗な酸素を発生させながら私たちに供給してくれているでしょう? 人間が生きられるのも地球という星が在り続けられているのも、全て植物たちのおかげです!」

「…………」

「わーなにを話したらいいんですかね? 精霊さんにお会いできるなら伝えたいことや聞きたいことをメモしておけばよかったです。私、勝手に精霊さんって手のひらサイズの小さな存在だと思っていたんですけど、全然違いますね! お姿は私たち人間とあまり変わらないように見えますが、お耳が少し尖られていますか? やはりそれは北ヨーロッパの民間伝承に登場するエルフという種族が関係したりしているんでしょうか? えっと、あとはあとは……」

「なんだ、お前」

 興奮のあまり一方的に喋ってしまっていたことに気づき、ドクターコートの胸ポケットから名刺を取り出した。

「申し遅れました。私、この町のみどりの診療所という場所で樹木医をしている双葉縁と言います!」

「樹木医?」

「はい! 樹木のお医者さんです!」

 彼は私のことを凝視するように、上から下へと視線を動かした。

「お前みたいな子供が医者なはずがない」

「こ、子供じゃないですよ! ちょっと幼いと言われることもありますが正真正銘の二十三歳です!」

 それでも彼は疑わしげに、眉を寄せて鋭い表情を崩さなかった。

「あの、お名前を聞いてもいいですか?」

「…………」

「差し支えなければ教えていただきたいです」

「……ツキだ」

 ――ツキ。それはケヤキの古名でもある。由来は諸説あるらしいが、読んだ本では強い樹木という意味で、ツキだと記されていた。

 そう、ケヤキは本来、力強くたくましい木のはずだ。なのに、ツキさんのケヤキは触れると樹皮が剥がれそうなほど弱っている。

「どうしてツキさんはこんなに枯れかけているのですか? なにか異常が起きている証拠です。今すぐ私に診察させてください!」

「悪いがお前は用なしだ。俺は医者の世話になるような病気にはかかっていない」

「そ、そんなはずは……」

「なあ、人間というのは死を選べるんだろう?」

「え?」

 ツキさんは私の声を遮ったあと、まるで独り言のように語り始めた。

「昔、この場所は人で溢れ、活気に満ちていた。無病息災、商売繁盛、学業成就を願って、八百万の神に昼夜を問わず祈りを捧げる者が絶えなかった」

「…………」

「俺も御神木としてずいぶんと崇められたよ。神聖なものとして紙垂(しで)がついた注連縄(しめなわ)で囲われ、長寿の効果があるとして不老のケヤキと呼ばれる時代もあった。しかし時の流れとともに足は遠のき、今ではこの神社の存在すら忘れ去られている。だから、俺はもうここにいる理由はないのだ」

 ツキさんはそこで言葉を切り、「話を戻そう」と本題に入った。

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