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Pt. 忘れられた御神木


 ――春。寒さを耐え抜いた植物と湿った地面に落とされた種子たちが目を覚ます季節。

 双葉(ふたば)(ゆかり)こと私は、ドクターコートを揺らしながら勤務先の扉を開けた。

「おはようございます!」

 ここは【みどりの診療所】。日本で唯一独立した樹木の病院である。私は緑地に関する研究や教育をする緑地環境学科で樹木のことを学び、在籍中に樹木医補の認定を受けた。一年の実務経験を経て、現在二十三歳。このみどりの診療所で新米樹木医として働いている。

「おや、双葉さんおはよう。今日も元気だね」

 野崎(のざき)先生は診療所の医院長であり、樹木研究者の教授でもある。年齢は七十歳。物腰が柔らかく、樹木に対して真摯に向き合っている私の大尊敬する人だ。

「元気ですよ! 光合成をたっぷり浴びながら歩いてきましたから」

「なるほど。だからいつもにも増して上を向いてるわけだ」

「……?」

 野崎先生が見てごらんと、壁にかけられた鏡を指さした。そこには見事なまでに直立している私の前髪が映っていた。

「わわ、どうしてこんな……」

 手で抑えつけても直りそうにないので、今日もアメピンのお世話になりそうだ。

 私は自分で自覚しているほど、抜けているところがある。自慢ではないけれどよく転ぶし、よく傷も作る。料理をやらせたらフライパンごと焦がしてしまうし、部屋の片付けは大の苦手。ちなみに私服もダサいことで定評がある。でも私には誰にも負けないことがあり、それは生き甲斐とも言えるほど樹木のことだ。

 〝樹木(じゅもく)()

  樹木の診断および治療、その育成や保護に関する指導を行う木のお医者さんのことである。

 その歴史はまだ浅く、樹木医の前身である樹木医学研究会が設立されたのは二十五年ほど前のこと。残念ながら世間的にはまだ認知度が低い職業であり、樹木医だけを生業(なりわい)にしている人はごく僅かだ。

 ほとんどの人が本業の(かたわ)らで依頼があった場合のみ樹木医として従事するという働き方をしている中、この樹木専門の【みどりの診療所】を開業したのが他でもない野崎先生なのだ。

「そういえば、この前の依頼者さんと連絡取れた?」

「いえ、まだです……」

 野崎先生の問いかけに、わかりやすく口を濁した。

 先日、梶原(かじわら)ふみさんというご年配の女性が樹木の相談に乗ってほしいと依頼してきた。しっかりと問診をした後に樹木の診断を行い、診断書を作成した。そうなるともちろん診察料を支払ってもらわなければいけないのに、いくら連絡をしても繋がらずに音信不通が続いている。

「僕の時にはそんなこと起こらないんだけど、双葉さんはこれで四回目だよね?」

「は、はい。すみません……」

 もしかしたら私が若いということが関係しているのかもしれない。樹木医資格取得者の平均年齢は四十歳以上とされ、私のように最短で樹木医になり、こうして実務に就いている例はまだ少ない。

「これは代金を払わない無銭飲食と同じだからね。刑法上では詐欺罪に該当するだろうから警察に届け……」

「な、なにか事情があるのかもしれないですし、警察だけはまだ待っていただけませんか?」

「きみのそういうところが、足元を見られてしまう原因になってるのかもね」

「うう、すみません。本当に……」

 結局今回も支払いが滞っている分は立て替えとして、私の給料から差し引かれることになった。

 ……ああ、今月も頑張って節約しなくては。

 医者は安定した仕事と思われているが、樹木医に限ってはそうでもない。うちの診療所は日給月給制で、日給の積み重ねが月の給料日にまとめて支払われることになっている。正直、依頼が来なければ生活は苦しい。でもそれ以上にやりがいしかないこの仕事は、私にとって天職と言えるだろう。

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