第五章:旅路の師と知識の融合
僕とアルベール教授の旅は、学院の結界の外、未知の世界へと僕を連れ出した。
表向きは、学院長からの「特別実習」という名目。
目的地を知る者は、学院長と教授、そして僕だけだ。
最初の目的地は、深い森の奥にあるという、忘れ去られた古代遺跡だった。
「月光苔」は、その遺跡の特定の場所、月の光が差し込む時にだけ発生すると言われている。
森は深く、足を踏み入れるとすぐに昼間でも薄暗くなった。
魔物も生息しており、旅は危険と隣り合わせだった。
アルベール教授は、道中、僕に様々な魔法の実践的な知識を教えてくれた。
それは、学院の授業で習うような、定型的な詠唱と魔法陣による固定された魔法ではない。
自然界に遍在する魔力を肌で感じ取り、それを自身の魔力と共鳴させ、状況に応じて最も効率的な魔法を編み出す、より本質的な技術だった。
「魔法とは、ただの術式ではない、レン君。それは、この世界の根源的なエネルギーとの対話だ。感じ、理解し、そして導く。それが真の魔法使いというものだ」
教授は、僕の微弱な魔力を感じ取りながら、僕にしかできない魔力の感知方法や、それを無理なく身体から引き出す方法を指導してくれた。
それは、僕が一人で試行錯誤していた方法とは全く異なっており、教授の知識と経験に基づいた、理にかなったものだった。
「君の魔力は、確かに『出力』は少ない。だが、『感知』する力は、並外れているかもしれん。まるで、大気中の魔力の流れを、微細な粒子レベルで感じ取っているかのようだ。それは、君の『魔法科学』の視点が成せる業かもしれん」
教授は、僕の『魔法科学』の概念にも興味を示し、僕が説明する前世の知識とこの世界の魔法理論の類似点について、熱心に耳を傾けてくれた。
「物理学…化学…工学…。なるほど、君の言う『科学』とは、この世界の理を、魔力という要素を含まずに分析し、体系化したものなのか。しかし、君がこの世界の魔法を『魔法科学』として捉え直した視点は、実に興味深い。特に、魔力回路を電子回路として捉えるという発想は…」
教授は、僕のアイデアを頭ごなしに否定せず、むしろ探求心を刺激されたようで、僕の説明に多くの質問を投げかけてきた。
時には、僕の科学知識と教授の魔法理論がぶつかり合い、新しい知見が生まれることもあった。旅は、僕にとって最高の学びの機会となった。
遺跡に到着したのは、出発から五日目の夜だった。
月の光が、崩れかけた神殿の柱の間から差し込み、特定の石畳に当たる。
すると、そこには、微かな青白い光を放つ苔が、幻想的に浮かび上がっていた。それが月光苔だ。
月光苔の採取は、容易ではなかった。
苔の周囲には、月の魔力に引き寄せられた夜行性の魔物が集まっていたのだ。ゴブリンの群れが、唸り声を上げながら僕たちに襲いかかってきた。
「レン君、実戦訓練だ! 君の知識と、今までに学んだ魔力制御の技術を試してみる時だ!」
教授は短く言い放つと、強力な防御魔法でゴブリンの突進を防いだ。
僕は震える足を叱咤し、教わったばかりの、最小限の魔力で効果を最大化する魔法を試みた。
(魔法陣は効率的な回路…詠唱は起動コマンド…最小のエネルギーで、最大の干渉を…!)
前世の物理学、特に力学と波動に関する知識を応用する。
ゴブリンの動きのベクトルを予測し、地面に微かな魔力場を発生させて、そのバランスを崩す。詠唱は最小限の音節に削ぎ落とし、魔力消費を抑える。
「大地よ、僅かな揺らぎを…!」
ドォン!という派手な音ではなく、地面が微かに、しかし計算されたタイミングで揺れた。
最前列にいたゴブリンたちが、予想外の揺れに足を取られ、次々と転倒した。後続のゴブリンもそれに巻き込まれ、一時的に動きが止まった。
「ほう…見事なものだ、レン君! 最小の力で、敵の態勢を崩したか!」
教授が感心した声を上げた。
その隙に、教授が強力な範囲攻撃魔法を放ち、ゴブリンの群れを蹴散らした。
危険はあったが、僕たちは月光苔を無事採取することができた。
それは、触れるとひんやりとして、微かな月の香りがする、不思議な感触だった。
二つ目の素材、「星涙石」を求めて向かったのは、人跡未踏の霊峰だった。
山頂には、夜空に最も近い場所があり、そこでしか見つけられない鉱石だという。
山の空気は薄く、常に冷たい風が吹き付けていた。
急峻な崖や、足元の覚束ない雪道が僕たちを阻んだ。
ここでは、僕の前世の知識である「工学」と「物理学」が役立った。
教授が魔法で足場を作り、僕はロープワークやクライミングの技術、重心移動の理論を応用して、安全に登るためのルートを見つける。
凍結した滝は、教授が熱魔法で一部を溶かし、僕はそこを登攀するための道具を即席で作った。
「君は、本当に不思議な知識を持っているな、レン君。魔法を使わずとも、この自然の驚異を乗り越える方法を知っている」
教授は、僕が作る即席のピッケルやハーネスを見て、感心したように言った。
「これは…僕が前世で学んだことなんです」
僕は、旅の途中で、教授には前世の記憶があることを打ち明けていた。
教授は驚きながらも、僕の話を否定せず、むしろ興味深く聞いてくれた。
「前世…輪廻転生か。この世界でも稀に聞く話だが、確かな証拠はない。しかし、君の持つ知識の体系を聞いていると…なるほど、あり得る話かもしれん。我々の魔法が、君の知る『科学』の法則に当てはまる部分が多いというのは、単なる偶然ではないのかもしれんな」
山頂にたどり着いたのは、星々が最も輝く夜だった。
空は墨のように黒く、星々は宝石のように瞬いていた。
山頂の特定の岩肌に、夜露に濡れたように輝く小さな石が散りばめられていた。
それが星涙石だった。
触れると、微かな星の光のような暖かさを感じた。
最後の素材、「陽溜まりの雫」は、隠された洞窟の奥、日の光が差し込む特定の場所にあるという。
その洞窟は、強力な幻覚魔法で入り口が隠されており、内部には古代の番人がいるという噂もあった。
幻覚魔法を破るために、僕の『魔法科学』が再び役に立った。
前世の知識で、光の屈折や脳の錯覚に関する理論を思い出し、教授と共に幻覚の仕組みを解析する。
教授が解析した魔法陣の構造と、僕の科学的な視点を組み合わせることで、幻覚の「盲点」を見つけることができた。
「君がいなければ、この幻覚を破るにはもっと時間がかかっただろう。魔法を論理的に分析するという視点は、儂にはなかったものだ」
洞窟の内部は迷宮のように複雑で、様々な罠が仕掛けられていた。
物理的な罠は、教授の魔法で解除するか、僕の工学的な知識で回避する。
魔力的な罠は、教授が感知し、僕がその構造を解析して無効化する方法を提案した。
そして、洞窟の最奥部。
そこには、巨大なゴーレムが立ちはだかっていた。
噂の古代の番人だ。ゴーレムは、強固な魔法装甲に覆われ、強力な物理攻撃と魔法攻撃を繰り出してきた。
教授がゴーレムの攻撃を引きつけ、僕はその隙にゴーレムの構造を観察する。
前世のロボット工学や機械工学の知識が頭の中で駆け巡る。
(動力源はどこだ? 装甲の弱い部分は? 動きのパターンは…?)
ゴーレムの動きには、特定のパターンがあることに気づいた。
そして、装甲の継ぎ目に、微かに魔力の流れが集中している部分がある。
そこが、動力源か、あるいは制御システムの中核に繋がっている可能性が高い。
「教授! ゴーレムの右腕の付け根! そこに魔力の流れが集中しています! おそらく弱点です!」
僕の叫びに、教授が反応した。
教授は一瞬でその場所に強力な破壊魔法を放つ。
轟音と共に、ゴーレムの右腕が砕け散り、動きが鈍った。
さらに集中攻撃を加え、僕たちはついにゴーレムを撃破した。
ゴーレムの背後には、洞窟の天井に開いた小さな穴から日の光が差し込み、その光を受けて輝く小さな水たまりがあった。
水面には、太陽の光が集まってできたかのような、黄金色の雫が浮かんでいた。
それが陽溜まりの雫だ。それは温かく、甘い香りがした。
数週間にわたる旅を終え、僕たちは必要な素材を全て揃えて学院に戻った。
旅を通じて、僕の魔力制御能力は、以前とは比べ物にならないほど向上していた。
微弱な魔力を意識的に引き出し、ある程度意図した通りに操ることができるようになったのだ。
そして何よりも、アルベール教授との旅は、僕にとってかけがえのない経験となった。
教授は僕の師であり、理解者であり、そして友人でもあった。
僕の『魔法科学』という異端な概念を受け入れ、共に探求してくれた唯一の人物だ。
「よくやった、レン君。これで、『覚醒の秘薬』を作る準備が整った」
教授は、集めた素材を前に、静かに言った。
その声には、旅の成功を喜ぶ気持ちと、これから行う作業の重大さを理解している静かな緊張感が混じっていた。




