第二章:運命の転換点
◆第二章:運命の転換点
ある日、俺の人生は音を立てて崩れ、そして組み直された。
孤児院に、見慣れない馬車が乗り付けてきたのだ。
紋章入りの、それは貴族学校の生徒でも滅多に乗らないような立派な馬車だった。
中から降りてきたのは、執事と思しき初老の男性と、その傍らに立つ、いかにも高貴な雰囲気を纏った女性。
「リヒト君ですね? お迎えに上がりました」
男性の言葉に、俺は戸惑った。
迎え?
一体何のために?
男性は丁寧に自己紹介をした。
彼は侯爵家の執事で、その傍らの女性は侯爵夫人だという。
そして、彼らが持ってきた書類は、俺の出生に関する衝撃的な真実を突きつけた。
俺は、孤児ではなかった。
俺の父は、この国で最も力を持つ公爵家の一つ、アルビオン公爵家の当主だった。
そして、俺は、その「落胤」だというのだ。
母は平民だったらしい。
父は母を深く愛していたが、公爵家の跡継ぎとして別の貴族令嬢との結婚を強いられた。
母は俺を産んですぐに病で亡くなり、父は俺の存在を公にできなかった。
しかし、最近になって父の健康状態が悪化し、公爵家の後継ぎ問題が持ち上がった。
父は死ぬ前に俺の存在を明かし、俺に後を継がせることを望んだという。
あまりにも現実離れした話に、俺は呆然とするしかなかった。
公爵家の落胤?
自分が?
孤児院で育った、ダメ学校の生徒である俺が?
だが、突きつけられた証拠は明確だった。
母の遺品、父の署名が入った認知の書類、そして何よりも、侯爵家の執事と夫人が俺に対して見せる態度は、それが真実であることを物語っていた。
「今日から、あなたはアルビオン公爵家の子息として、ロイヤル・アカデミーに編入していただきます。すべて手配は済んでおります」
翌日、俺は孤児院を後にし、アルビオン公爵家の屋敷へと移った。
広大で豪華な屋敷、仕立てられたばかりの真新しい制服、そして周囲の自分を見る目の変化に、俺はただただ圧倒されていた。
そして、そのさらに翌日。
俺はロイヤル・アカデミーの正門を潜った。
昨日までフェンスの向こうから眺めていた、あの輝かしい世界に、俺は今、中にいる。
周りには、見るからに裕福そうな生徒たち。
彼らは俺を見て、囁き合っている。
公爵家の落胤が編入してきた、と。
彼らの視線は、以前俺が向けられていた蔑みのそれとは違っていた。
それは、興味、好奇心、そして計算高さを含んだ視線だった。
新たな公爵家後継ぎ候補への、品定めのような視線。
俺の新しい生活は、混乱と不慣れさの中で始まった。
それでも、俺は持ち前の探求心と負けん気で、貴族学校の授業や貴族社会の慣習について猛烈に学び始めた。
この新しい世界で、俺は生きていくのだ。
その頃、ロイヤル・アカデミーの一室で、エレノアは目の前の人物に深々と頭を下げていた。
「申し訳ございません、これ以上はお待ちできません」
学園長室に呼ばれたエレノアに告げられたのは、無情な宣告だった。
滞納していた学費が、ついに許容範囲を超えたというのだ。
「ヴァレンシュタイン嬢。貴女の成績は素晴らしい。それは認めよう。だが、学費を納められない者に、この学園に籍を置く資格はない」
学園長の言葉は冷たかった。エレノアは必死に食い下がった。
「お願いです、もう少しだけ時間をください! 母は必死で働いています! きっと、きっとすぐに……」
「無理なのだ、エレノア嬢。ヴァレンシュタイン家の状況は私も把握している。
もはや、貴族の身分を維持することすら難しいだろう」
その言葉に、エレノアは息を呑んだ。
爵位剥奪。
それは、貴族にとっては死に等しい宣告だった。
家の借金が、ついに爵位までをも危うくするほどになっているというのか。
「貴女は、明日からヴェリタス学園に転校してもらうことになる。手続きは既に済ませてある」
ヴェリタス学園。
ダメ学校。
エレノアは頭が真っ白になった。
あのフェンスの向こうの世界。
自分が最も縁がないと思っていた場所に、行くことになるとは。
「そんな……嫌です! 私が、ダメ学校なんて……!」
「選ぶ権利はない。これが、没落した貴族の末路だ」
学園長の言葉に、エレノアは絶望した。
貴族学校で必死に積み上げてきたものが、一瞬で崩れ去った気がした。
努力しても、どうにもならないことがある。
お金がなければ、何もかも失う。それが、エレノアが突きつけられた現実だった。
その夜、エレノアは母と抱き合って泣いた。
母は何も言わず、ただエレノアの背中をさすっていた。
母もまた、娘を貴族学校に通わせられなくなったことを悔いているのだろう。
翌朝、エレノアはロイヤル・アカデミーの制服を脱ぎ、ヴェリタス学園の制服……というにはあまりに自由な服装に着替えた。
母が仕立ててくれた、唯一まともなブラウスと、古くなったスカート。
重い足取りで家を出て、エレノアはヴェリタス学園へと向かった。
ロイヤル・アカデミーとは真逆の、活気のない、それでいてどこか荒んだ雰囲気が、校舎に近づくにつれて濃くなっていく。
フェンスの前まで来たとき、エレノアは立ち止まった。
昨日の朝まで、自分はこのフェンスの東側に立っていた。
それが、今日は西側に立っている。
たった一日で、世界が逆転したのだ。
深い喪失感と、未知の世界への不安に押しつぶされそうになりながら、エレノアはヴェリタス学園の校門を潜った。
そこには、自分がこれまで一度も関わったことのない世界が広がっていた。
同じ朝、俺はロイヤル・アカデミーの正門を誇らしげに潜った。
真新しい制服の感触が心地よい。
周囲の生徒たちの好奇の視線にも、どこか優越感を感じていた。
ダメ学校から、貴族学校へ。俺の人生は、間違いなく好転したのだ。
だが、その時、俺は知らなかった。
フェンスの向こう、すぐ近くで、かつて自分がいたのとは逆の方向へと、人生を大きく舵を切った少女がいることを。
そして、その少女との出会いが、俺の人生をさらに予測不能な方向へと導くことになることを。




