無人の廃村は天国です 7
なぜだ! なぜいない?
オレの勝ちだった。
角無しがオレの『風』を『風』で受けたり『土』を真似てみせたりしたのを見て、頭のあるやつだとわかった。だから罠を張った。あいつの攻めを横に躱し続けてみせて機を窺った。そしてここぞという時に上に跳んだ。勝った!
あいつの眼はもう生を映していなかった。半分もうオレの牙の間に入っていた。それなのにいない! 消えたようにいない!
あいつはどこに行った!
「あっつ! つか、沁みる沁みる沁みる!」
朔也は情けない声を上げて温泉プールから転び出た。
角森狼に食べられそうになったと思ったら温泉に入っていた。熱かった。傷が沁みた。まだ沁みる。
夢……なわけないよな。
温泉に入っているうちに寝てしまって狼に襲われる夢を見たという可能性は、家と家の狭い間に見える青灰色の尻尾と背中によって無情にも否定された。
だいたい服着たまま入るわけないし。
ほかほかと湯気を上げる濡れた服にげんなりしながら朔也は考えた。
確か温泉に入りたかったって思ったら温泉に入ってた。あそこからここまで一瞬で移動した? これってテレポーテーション?
転移魔法や空間魔法の知識が無い朔也にはそれで十分だった。
「すげぇな。魔法って超能力も使えるんだ」
ちょっと何を言っているのかわからないが、朔也は既に臨戦態勢に入っていた。角森狼がこちらに気づいて警戒するように唸っていたからだ。
数秒の睨み合いの後、角森狼が角を地面に突き立てた。そして土の礫が朔也を襲う。
いけるか?
朔也は角森狼がいる傍の家の屋根を意識した。
「テレポート!」
フッと息を吐くほどの間があった。そのタイムラグのせいでいくらか礫をくらったが、朔也の体は狙った屋根の上にあった。庇った手に当たって握り込んだ土の礫も一緒に。
なるほど。
朔也は手の中の土の塊に希望が見えた気がした。
「おい、こっちだ!」
朔也を見失ってきょろきょろしている角森狼に向かって大声をかけた。人に向かって声をかけるのが苦手なコミュ障でも動物相手なら平気なのだ。
角森狼の視線を確認すると、朔也は角森狼の向こうの屋根にテレポートした。そしてすぐに手に持っていた礫を投げつけた。
視界の外からの攻撃に角森狼はギャンっと鳴き声を上げる。振り返り見上げる角森狼を朔也は煽るように手招く。家屋は平屋だ。あの巨体と運動能力なら十分に飛び上がってこられるだろう。
案の定、角森狼は朔也のいる屋根にひらりと飛び上がってきた。殺意の籠った眼が朔也を鋭く睨む。
朔也はビビる心をぐっと押さえてテレポートする。角森狼の真後ろへと。
見えるのは直前まで朔也がいた場所に顔を向けている角森狼の後ろ姿。
朔也は目の前にある長い尻尾をガシッと掴むと、
「いっぺん飛んでみる?」
とテレポートを発動した。
角森狼が牙をむいて振り向くと同時に、その背景は屋根の上から茜色の空に変わった。沈んだはずの夕日が一人と一頭を照らす。
朔也はしっぽを掴んだまま角森狼とともにはるか上空にテレポートしていた。そしてミニチュアのように見える集落へ向かって自由落下が始まる。それに付き合う気は朔也には無い。なんとか朔也に喰らいつこうともがく角森狼の眼にもう朔也の姿は映っていなかった。
そういえばテレポートで落下のエネルギーってどうなるんだ?
と疑問に思う暇も無く、朔也の体は元いた屋根に叩きつけられた。そのまま屋根の下へ転がり落ちる。
ぐえぇぇ
潰されたカエルのような声が上がる。実際朔也は地面の上で潰れていた。それでも上空数百mからの落下エネルギーの何パーセントかで済んだのだから良しとすべきだろう。
そのエネルギーを100%抱いて落ちた角森狼は、足掻き虚しく絶命の鳴き声とともに村の入り口近くの地面に激突した。
村は既に夕闇に覆われ始めていた。
痛みに悲鳴を上げる体に鞭打って朔也は畑に向かった。薄暗い畑の中に火の手を上げる一画があったからだ。最初に朔也の放った火球が角森狼をかすめていって畑に着弾した場所だ。その後燃え広がったらしい。角森狼に踏み荒らされた麦がとどめを刺されていた。
朔也は両手をかざして放水した。ポンプ車からの放水よろしく、火はみるみるうちに弱くなって鎮火したが、けっこうな面積が焼失している。
「まぁ焼畑農業だと思えばいいか」
朔也は慰めにもならない独り言を呟いて、この事件の元凶のところへ赴いた。
暗くて良かったと思う。
血の匂いとともに、何か異様なものが村の入り口のところに散らばっていた。角森狼の成れの果てだ。自分がやったことの結果とはいえ明るかったら直視できなかったかもしれない。
周りに他の森狼の気配は無い。どうやら森の中へ逃げ帰ったようだ。
「ボスの敵を討とうっていう気概のあるヤツはいないのか。案外人望、じゃなくて狼望が無いんだなぁ」
朔也は生を賭けて戦った相手をこのままにしておくには忍びなく思い、あと明るくなってこれを見るのが恐かったので遺体が散らばっている辺りを深く掘り下げて土をかぶせた。かなり深く掘ったので、他の獣に掘り返されることはないだろう。静かに土に還ってくれることを祈った。
集落に戻った朔也がまず始めにしたことは、そう、温泉に入ることだ。
死の淵で願ったものがそれだったこともあるが、何よりも体をきれいにしたかった。汗でベトベトだし血塗れだし。
ライトを頼りに温泉プールの傍までやってきた朔也は、さっそく服を脱ごうとしたところで手を動かすとライトも一緒に動くのが気になった。革の胸鎧は肩と脇にある留め具を外さなければ脱げないのだが、留め具は両手でなければ外せない。両手を使うためにライトを消すと留め具が見えなくなってしまう。
困った朔也は指先のライトを体から離して固定できないかと考えた。するとライトはひとりでに指先を離れて宙に浮かんだ。それは朔也の意思で思いのままの場所に移動できた。
「何でもありだな、魔法ってやつは」
それはある意味本当で、ある意味間違っているのだがそれを指摘できる者はここにはいなかった。
朔也はさくさくと服を脱ぎ、さて入るぞという段になって温泉が熱かったことを思い出した。熱い湯にかーっと入るのもいいが、朔也は温めの湯にゆっくり入るのが好きだった。
思案した朔也はもう一つ湯船を作ることにした。温泉プールから土魔法を使って水路を作って広場の外れまで導水し、そこに大人が足を伸ばせる程度の大きさの湯船を作った。その間ずっと全裸だったが誰に見られるわけでもない。せいぜい瞬き始めた星くらいだろう。
新しい湯船の湯温は朔也の思惑どおり好みの温さになっていた。だが急いてはいけない。本来なら軽く体を洗ってから入るのがマナーだが、ボディソープも石鹸も無いのでかけ湯で汚れを落とす。
しっかりと汚れを落とした朔也は湯船の縁をまたいで湯に入った。
「ふひぃぃぃぃぃ」
至福のため息が零れ出た。
程よい温度の湯が体を包み込みやんわりと圧をかけてくれる。さっきは沁みた傷もいつのまにか無くなっていた。
湯気の上る先には満天の星空。周囲かまわず喋りまくる客もいない。最高の露天風呂だ。
朔也はバシャバシャと顔を洗ってふーっと夜空を見上げた。その視界の隅に気になるものがあった。 朔也はそれを確かめようとライトを消した。
全てが闇に帰り、星明りだけになる。
それは黒い森の上に姿を現し始めていた。広げた掌2つ分くらいの大きさのやや黄色味を帯びた渦を巻く雲のようなもの。写真で見るよりも薄くぼんやりとではあったが、朔也は確信した。
渦巻き型銀河だ。
やや斜め上から見た渦巻きが他の星々を圧倒するように夜の空に上ってくる。
それはここが地球ではないのだと、異世界なのだと強く朔也にアピールするかのようだった。
「異世界上等じゃないか」
朔也は知らぬ間に笑っていた。
いろいろあったし、いろいろ言いたいこともある。
だけどこの世界で生きていこうじゃないか。
だって温泉がある。そして人はいない。最高の廃村ライフだ。
ここは朔也にとって天国に等しい場所だった。
廃村編終了です。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
次回から女性キャラが登場します。
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