無人の廃村は天国です 5
宇賀神朔也は転移したこの世界のことをほとんど知らない。
あの管理者の美人はろくな説明もしてくれなかったし、この世界で唯一出会ったのが森狼だけだったからだ。
この世界の1日の長さもわからなかったが、とりあえず空には地球と同じような太陽が輝き、それが森の木々の上に傾きつつあった。要するにそのうち日が暮れて夜になるということを示していた。
「住環境はどこも似たり寄ったりか」
それでも比較的傷みの少ない建物があった。あのマルスの樹があった家だ。よくよく見れば他の家よりも大きいようだ。もしかしたらこの村の有力者の家かもしれない。
謎知識によると『村長の家』らしい。状態は『廃墟』だが、『清掃して修復すれば使える』という謎アドバイスがついていた。
村長の家は、入口のドアは丁番が壊れていたがドアそのものは健在だった。ほとんどの窓も残っている。中の状態も他の家と比べれば良好と言えたが、風通しが悪かったせいで埃っぽいし黴臭い。
朔也は錆びて酷い音を立てる窓を開け空気を入れ替えてから、
「ええと、魔法だよな、風魔法……」
と、腕を振りながら家具や床に積もった埃を風に乗せて家の外へ運び出すようにイメージした。すると外から入ってきた風がひゅぅぅと渦を巻いたかと思うと、埃ごと外に吹き去っていった。
「マジか。魔法すげぇ」
拭き掃除とかも必要そうだったが、水魔法を使っても水浸しになる予想しかできなかったので、とりあえず他の部屋の埃取りを優先した。
村長の家は入ってすぐは広い応接間で、次の部屋はリビング兼食堂、廊下を挟んで厨房、トイレがあり、その廊下は4つの個室へと延びていた。別棟で倉庫が建っている。
朔也は謎知識によってそれらの情報を得ながら清掃作業を続けていった。
個室にはベッドがあったが、残されていたシーツや毛布と同じように使用に耐えるものではなかった。特に一番奥の部屋は異様で、窓とその周りの壁が壊され、ベッドは粉々になっていた。壁といわず床といわず赤黒い染みが広がり、何かを引きずったように窓へと続いている。
その染みの正体が何なのか、謎知識の情報は正直いらなかったが、朔也はそっと手を合わせて冥福を祈った。
幸いなことに、と言っては不謹慎かもしれないが、死体は見当たらなかった。それは家の中でも集落の中でも同じで、もしかしたら畑のどこかにはあるのかもしれなかったが朔也の目の届く範囲には無かった。
それは一旦頭の隅にやるとして、寝る場所が必要だ。ベッドはどれも使える状態ではなかったけれど、応接間にあったソファーは無難そうだった。ざっと見ても壊れたところは無いし、革製の座面も傷みは少なかった。
朔也は厨房で見つけた錆びた包丁で比較的使えそうだったシーツを無理やり引き裂き、手から出した水で湿らせて全体をきれいに拭き上げた。
そしてそっと座ってみた。
どうやら魔物と呼ばれる生き物の革で作られているらしく、感触自体は悪くなかった。ただクッションになる詰め物がへたっているせいか、座り心地はそれほど良くはない。それでも今の朔也には十分だった。
寝る場所を確保できた朔也は次なる課題に移った。
調理だ。
畑から収穫してきた豆を持って厨房に入り調理台に並べる。
莢から取り出すと錠剤みたいな形の白い豆だった。それをじっと見つめる。
『シロマメ 食用』
見たまんまだなと思いながらさらに見つめた。
…………。
けれども謎知識はそれ以上何も示さなかった。
どうやらこの体の持ち主は豆の名前は知っていてもレシピは知らないらしい。
「なんだ、料理作ったことないのかよ」
言っている本人も調理の経験は中学の授業以後無いのだが。
朔也が知っている(作ったとは言っていない)豆料理は煮豆と枝豆くらいだ。納豆と豆腐は今回は考慮しない。
「とりあえず煮てみるか」
金属の鍋は錆びて使えそうもなかったので、探してきた土鍋を洗って竈に置く。それに豆を放り込んで、手から出した水を8分目まで入れた。
竈の中には灰と炭になった薪が僅かに残っていた。他に薪は見当たらない。今から探しにいくのも面倒だと思った朔也は、せっかくだからと魔法を使ってみることにした。
1分でギブアップした。
片手を竈の中に突っ込んで炎を出したのだが、出力が安定しなかったのだ。
考えてみれば竈や薪があるということはそれを使って調理していたということを示している。魔法は使っていなかったのだ。
朔也は薪になるものはないかと考え、奥の個室へ行ってベッドの残骸を取ってきた。燃やすにはちょうどいい大きさだったし、放置しておくのは精神衛生上良くないと思ったからだ。
竈にくべ、火をつける。さすがに着火は魔法に頼った。
残骸は順調に燃え、土鍋の水が沸き始める。そしてグラグラと煮え立ち、吹きこぼれた。
「火が強すぎたか」
慌てて燃え盛る木を掻き出して火勢を弱めたら、今度は弱め過ぎて煮立たなくなってしまった。
「火の調整がうまくできない。これじゃあ魔法と変わらないぞ。つーか、どれだけ煮ればいいんだ?」
ここには時計なんてものは無い。何分煮たかもわかない。謎知識も浮かばない。八方塞がりだ。
水が少なくなったので、朔也は土鍋を竈から降ろした。鍋の中にはしわしわになった白い豆が湯気を上げている。それをじっと凝視すると、
『茹でただけの豆:シロマメ 状態:生煮え』
謎知識が無情な判定を下してくれた。
ここに至って、朔也はこの知識がこの肉体の持ち主の持っていたものではないのだろうと察し始めていた。謎知識が示すのは朔也が実際に見ているものの情報だけで、料理の仕方のようなハウツーは教えてくれないし、観念的なことにも答えてくれない。いくら料理の知識が無い男でも、この場所がある国の名前や歴史くらいは記憶しているはずだ。けれどどれだけ頭の中で問いかけてもその答えは返ってこなかった。
つまりはこの知識は今見ているものを判定、いや鑑定の方がいいか、鑑定してその情報を提示しているのだろう。
それでも十分役立つし、役立ってくれた。ありがたく使わせてもらおう。
とりあえずはこの煮豆をもう一度火にかけることだな。生煮えだったし。
朔也はやれやれと土鍋を竈に戻そうとした。
その時、何か大きな音が轟いて家屋を震わせた。
それはまるで己の存在を誇示するかのように響く狼の遠吠えのように聞こえた。