無人の廃村は天国です 2
意識の外から襲い掛かってきた森狼がバッと地を蹴って朔也の喉笛を狙う。
朔也はそれをかばうようにとっさに左腕を上げた。ぎゅっと目を瞑り痛みと流血を覚悟したが、それが訪れることはなかった。
不思議に思い目を薄く開けると、森狼が空中に留まっていた。
ガウッガウッと吠えながら四肢をばたつかせて必死に朔也の腕に噛みつこうとしているが、何かに阻まれるように朔也には届かない。そうはいってもその迫力は朔也をビビらせるには十分で、朔也は無我夢中で振り払うように左腕を振った。と同時に空中の森狼が弾かれるように放り投げられて藪の中につっこみ、哀れな鳴き声を上げた。
な、なんだ? 何が起こった?
一瞬の出来事に思考が追い付かない。
追いかけてきた森狼たちは?
視線を移すと、その場から動いていない。襲ってくる様子も無い。というか森狼たちも驚いている気がした。
おかげで今の不思議な現象に思考を裂く時間ができた。
何か、まるで……まるであの力みたいじゃなかったか?
以前見た星間で戦争する映画の騎士たちがこんな感じの見えない力を使っていたことを朔也は思い出していた。そして、興奮していた。打ち震えていた。
この体、フォー●の力も使えるのか!
何か得も言われぬ高揚感があった。その一方で、本当に自分が使ったのかという猜疑心もあった。
それを確かめるために、朔也は左手を目の前の森狼たちにかざした。そして周りにあまねくあるものの理を意識する。すると何かエネルギー的なものが左手に集まってくるのが感じられた。
野性の勘なのか、森狼たちは異変を察したかのように姿勢を低くして唸った。
実際、森狼たちは戸惑っていた。
血を流したニンゲンなどいい獲物でしかなかった。逃げたところでニンゲンは森の中を速く走ることはできない。仲間と囲んで簡単に仕留めることができると思っていた。
それがどうだ。このニンゲンは鹿よりも速く走るせいですぐには追いつけなかった。それにどれだけ追いかけても疲れて走れなくなることもなかった。
それでも久しぶりのニンゲンの肉だ。簡単に逃がすわけにはいかない。この先には土の壁があったはずだ。そこまで行けば囲める。
案の定ニンゲンは壁の所で立ち止まっていた。こっちも走り疲れていたが問題無い。獲物がこっちを見ているうちに他の仲間が別の方向から襲い掛かる。いつものやり方だ。
だがそれもダメだった。獲物に襲い掛かった仲間はそのまま動きを止められて、振り払うようにして放り投げられた。
まさか! あれは角を持つニンゲンが使う見えない壁じゃないか!
しかしあのニンゲンに角は無い。不思議な力を放つ道具を持っているようにも見えない。何故だ?
森狼は混乱していた。それでも逃すことは考えられない。仲間とともに低く唸って出方を窺う。
ニンゲンはこっちに手をかざした。そこにイヤな気配が高まってくる。これは角有りが使う『火』や『水』や『風』の気配に似ている。それならこの毛皮で防げる。そう断じた一頭が果敢に飛びかかった。
自分に向かって飛びかかってくる森狼に、朔也は半ば恐怖して半ば高揚して左手に集まったパワーを放出した。
それは朔也の期待に違わず、むしろそれを凌駕してみせた。朔也は森狼を弾き飛ばすつもりだったのに、肉片になって弾け飛んだのだった。
森の木々にも下草にも他の森狼たちにも、赤い血と森狼だったものが降りかかった。辺りに鉄錆と生臭い匂いが漂い出す。
その光景に朔也はドン引きしていた。自分のやらかしたことではあったが、まさかこんなグロいものを見せつけられるとは思ってもいなかったのだ。
堪らず朔也は吐いた。他の森狼たちが仲間の惨状に行動を起こせなかったのは幸いだった。むしろ慌てて逃げだしてさえいたので、無防備な朔也が襲われることはなかった。
土壁に手をかけてひとしきり吐いた朔也は、ふとその壁に違和感を抱いた。てっきり崖だと思っていたが、どうにも整い過ぎていた。土が見えている部分は下から1.5m程。その上は例の蔓草に覆われていた。左右を見ると緩くカーブしているように見える。
じっと見ていると、『土塁』という言葉が頭の中に浮かんできた。確かに朔也が生前持っていた知識の中にそういうものがあった。どこかの城跡で見たのだったか。加えて蔓草の隙間から木材のようなものが見え隠れしていた。もしかすると木製の柵かもしれない。土塁の上に柵を立てて防壁にするのは何かで読んだことがあった。
ということは、これは人工物で、人がいるということになる。
それは彼にとって良い情報であり、悪い情報でもあった。
人がいればこの転移してきた世界のことを聞けるだろうし、水や食料にありつけるかもしれない。事実朔也は喉が渇いて腹も空いていた。
一方、言葉が通じるのかという不安もあるし、例え通じたとしてもうまく交渉できる自信も無かった。そもそも自分が何者かもわからない上に、万が一この体を殺した相手がいたらとてもやっかいなことになる。
朔也はしばらく悩んだが、ここに留まってまた森狼に狙われるよりはマシだろうと、渋々この土塁を作った人たちの所に行くことにした。
土塁を左手に見ながら反時計回りに歩き出す。何かあった時、右手の方が素早く対処できると思ったからだ。
よく見れば土塁と森の間には僅かながら距離があった。森を切り開いて土塁を作ったのだろうか。土塁を作った人たちはどんな人たちなんだろう。何人ぐらいいるのかな。できれば話やすい人たちだったらいいんだけど。
いろいろと想像しながら、なんならこれから見ず知らずの人に会わなければならないことに胃の痛い思いをしながら、朔也は歩き続けた。
恐れていた森狼に襲われることもなく、ほどなくして土壁が途切れている場所と門らしきものが朔也の視界に見えてきた。
門番とかいるのかなと思うとさらに気も足も重くなったが、覚悟の上に覚悟を決めて朔也は門に近づいた。
ほっとすることに門番はいなかった。その上厚手の木の板を鉄の金具で補強したような門扉は倒れてその役目を果たせていなかった。
訝しく思いつつ門柱っぽいものの間を抜けると、あたり一面胸ほどもある草が生い茂っていた。広さは野球場ほどだろうか。よく見ると緩やかな起伏があり、その一番高くなっている所に何軒かの家が建っていた。
そして、見渡す範囲に人影らしきものは一つも無かった。
門からその家屋がある場所まで、かつての道だろうか、草の丈が低い部分が不規則に曲がった筋のように続いていた。
その道の跡を草をかき分けながら辿って家の集まっている場所に着いた。
家屋は全て平屋で、黄土色の壁と灰色の屋根で統一されていた。そして荒れ果てていた。とても人が住んでいる景色ではなかった。
案の定、朔也の頭の中に知識が浮かんでくる。
『奥森の村(第3開拓村) 住人:0人 状態:廃村』
もしも彼がもう少し異世界ファンタジーに詳しければ、それが『鑑定』という能力だとすぐに思い至って小躍りしたことだろう。だが生憎と彼は異世界ファンタジーに関しては齧った程度の知識しかなかったため、それには気づくことはなかった。彼が理力だと思いこんでいる力が魔法の一種だということにも。