集団行動はストレスしかない 3
いったいいつホールに入ってきたのだろう。開いた入り口の扉の傍に一人の人間の男が立っていた。赤茶色の髪はボサボサで着ている服も薄汚れている。態度もどことなく自信無げだ。
男は村娘の名を呼び、ゆっくりと歩み寄ってくる。そして一言二言魔族の言葉でやり取りすると、カウンターにいる青年兵に話しかけた。
「こ、この娘が、何かしましたか?」
男の視線はカウンターに置かれたままの荷に向けられていた。
「アワアワを売りに来た」
青年兵が無愛想に答える。
「支払いは、それですか?」
男の視線が青年兵の手の下になっている硬貨に向いた。そしてその眼が一瞬だけ青年兵を見た。その感情を殺したような瞳に、青年兵は思わず手を引っ込めた。
「ああ、これだけ――」
「少々お待ちを」
頷く青年兵の後ろから年配の兵が慌てた様子で割って入ってきた。そして青年兵が脇に避けていた2枚を追加した。
「これだけになります」
男は油断なく左右を見てから小さく頷いてそれを受け取った。そして魔族の娘に何かを言われ、ちらりと青年兵を見た。年配兵はその視線を遮るように体を入れて、
「そ、その魔族の娘はあなたの僕で?」
と愛想笑いを浮かべて聞いた。男はちょっと躊躇うような素振りを見せてから小さく曖昧に頷いた。
「そうでしたか。いや、こいつはまだ兵士になったばかりで知らなかったんですよ。後でしっかり教育しておきますから何卒ご容赦を」
そう言って年配兵は何か言いたげな青年兵の頭を小突いた。
男はまた曖昧に頷くと、娘を誘って開けたままになっている扉へと歩き出した。その背中に向かって年配兵が声をかける。
「あ、宿なら隣にありますんで。人間用の安心できる宿です」
男は立ち止まって横顔だけ見せて頷いた。そしてちょっと考えるような仕草の後、すたすたとカウンターに戻り、そっと硬貨を1枚置いて「ありがとう」と小声で告げた。
「ど、どういたしまして」
思わず身構えていた年配兵が吐き出すような息でそう答えた。
男はもう一度頷くと、今度こそ魔族の娘を連れてホールを出ていった。
それを見届けた年配兵が大きく息を吐いていると、
「なんであんな小汚い商人に下手に出てるんですか」
青年兵が不平を漏らした。
「ばっかお前、あれが商人なもんか。服でごまかしてるけど、ありゃあ兵士の体つきだ」
「兵士がなんで商人の真似事なんてしてるんですか? それも魔族を連れて」
「特務だよ」
年配兵が声を潜めて教える。
その名は青年兵も聞いたことがあった。詳しくは知らないがヤバい任務を請け負っているヤバい奴らで、関わると碌な目に遭わないらしい。
「あの薄汚く見える服はきっと噂の耐魔の服だろう」
「あれがっスか」
「考えてもみろ。こんな魔人だらけのところを普通の服で出歩けるか?」
重い暑苦しいと不評の鎧タイプに代わって新たに魔法耐性が付与された服タイプが作られたという話が流れていた。もちろん朔也の服はヘレナの借り物なので全くの誤解だが。
「それにあいつ、お前と目を合わせなかっただろ?」
「あ、はい。そうです。で、ときどきチラッと見てくるんですよ」
「だろうな。なんか後ろ暗いことしてるから、そういうのが態度にでるんだよ。ま、特務としちゃあ2流だけどな」
年配兵はしたり顔でそう言ってガハハと笑った。
「笑い事じゃないですよ。俺危うく特務の女に手を出すとこだったんですから」
「普段の女癖が悪いからだろ」
横から別の兵士が揶揄ってきた。更に他の兵士たちも悪ノリしてくる。
「魔族とはいえ、特務ってあんなカワイイ娘とヤれるんか」
「おいおい、魔族なんかとヤりたいか?」
「溜まってんだよ! この際魔族でもいいからヤりてぇ!」
「軍規違反をデカい声で叫ぶんじゃんねぇよ」
「知ってるか? 魔族の女のあそこってツルツルなんだってよ」
「本当っスか」
「剃ってるんじゃなくて?」
「いっぺん見てみてぇ」
こうしてホールの中は男どものしょーもない猥談で沸き返った。
一方、ヒト族の兵の詰め所から広場に出た朔也は青い顔で胃を押さえていた。
「ううっ、吐きそう」
見知らぬ場所で、大勢の見知らぬ人が注目する中、初対面の人と話しをするというのはコミュ障にとっては三重苦だ。碌に目も合わせられないまま何とか最小限の会話で乗り切ったことで、朔也は心底疲れ果てていた。
「ほんと、だらしないわねぇ」
言葉ではそう言うものの、カリナの声音には安堵と感謝が含まれていた。
「外から気配を探ってて、なんかヤバい感じになったから急いで中に入ろうとしたんだけど、なかなか入れてくれなくて。ごめん」
俯いたままの朔也が更に頭を下げた。
「ううん、大丈夫。ていうか、サクヤってヒト族語喋れたんだ。あ、ヒト族だから当たり前か」
カリナは勝手に自己完結していたが、実は朔也も驚いていたのだ。自動翻訳とでもいうか、朔也自身は意識していないのだが、相手によって使う言葉が変わるのだ。
「じゃあ服を買いにいきましょうか」
「なら、俺はまた気配を消しとくよ」
朔也はカリナの提案にそう告げると、胃のあたりを押さえてよろよろと路地裏に消えていった。
「あれ絶対吐きに行ったわね」
カリナは呆れた様子で朔也が消えた路地裏を眺めていたが、気を取り直すようにフッと息を吐いてから露店の並んでいる方へ向かって歩き出した。その足取りが嬉しそうなのは本人も気づいていないようだった。
さて、物資調達を任されたカリナが購入すべきものは多岐にわたっていた。
先ずは寒さを凌げる服人数分。コート人数分。それから女性用下履き人数分。一応男性用も1人分。あとは食料、香辛料、日用品、女性用品。
買ったものは背負子に積んでいく。と見せかけて、マチルダから預かった拡張バッグに放り込んでいった。
買物の合間にはさりげなく生活の様子を訊ねたり噂話に耳を傾けたりすることも忘れない。
そうしておおかたの買い物と情報収集が終わった頃には、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
予定では、時間とお金に余裕があれば町に泊まって更に情報を集めるとなっているが。
「お金は……大丈夫ね。でも今から宿が取れるかしら。というか、泊まるのよね、サクヤと……。へ、部屋は別々に取ればいいわね。いや、魔人とヒト族って同じ宿に泊まれるのかしら。でもあんまり別々にはなりたくないなぁ。さっきみたいになると困るし、できれば同じだといいんだけど。そう考えると部屋も同じの方が安心……いやいやいや、さすがにそれはないわよね。とにかく宿を探して――」
「あ、宿の場所ならさっき教えてもらったけど」
急に横から朔也の声がした。
「え、ちょっ、何? 宿が何?」
カリナはバクバクする胸を押さえて問い返した。
「さっきの兵の詰め所で宿を教えてくれたんだよ。ヒト族用だけど」
気のいい兵士さんが親切に教えてくれたのだ。お礼にと硬貨を1枚渡したのは自分でも気が利いていたなと朔也は思っている。
「そ、そう。それ、魔人の私も泊まれるの?」
「たぶん」
あのおじさん、自分とカリナが一緒にいることを承知で教えてくれたのだ。
「そういう宿だと思う」
「なら、行ってみましょ」
「じゃあ、俺が荷物を持つよ」
朔也がカリナの背負子を持とうとすると、
「大丈夫よ。魔人がいるのにヒト族が荷物を持ってるのは不自然に見えるから」
とカリナが断った。
実際、町の現状を見て回った時に、荷物を持った魔人がヒト族の後について行くのをカリナは見ていた。朔也もそれは理解できたので無理強いはしなかった。