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無人の廃村は天国です 1

 世界の管理者を名乗る褐色美人に追い払われるように転移を言い渡されるやいなや、宇賀神朔也(うがじんさくや)の視界は暗転した。そしてすぐに体中に痛みが走った。殊に胸の痛みが酷い。それに寒けもする。体が冷えきっていた。

 朔也はあの管理者とかいう女性に猛烈にクレームをつけたかった。が、コミュ障の彼にそんなことができるはずもなかったし、そもそもクレームをつける方法が無かった。


 朔也はもやもやする心を鎮めようと深く息を吸い、大きく吐いた。それを何度か繰り返すうちに体が温まり、傷みも和らいできた。

 そして一番酷かった胸の痛みも無くなった頃、朔也はゆっくりと瞼を開いた。


 そこには白い空間は跡形もなく、緑の葉を茂らせた高い木の枝が見えた。僅かな隙間から木漏れ日がちらちらと落ちてくる。背中に地面の感触があることから仰向けに寝ているのだと理解する。

 吸い込む息に草の匂いと共に錆びた鉄のような匂いがした。

 上体を起こして周りを見ると、こげ茶色の樹皮の木々がそこかしこに立ち並び、その下を背の低い草が覆いつくしていた。どうやらここは森の中のようだ。


 視線を自分の周囲に移して見ると、あたりの草が踏み荒らされて赤く染まっている。血だ。鉄錆の匂いの元はこれだった。

 気づけば自分の服にも血がついていた。というか血塗れだ。さっきまで寝ていたあたりなんか血だまりができている。


 どういう状況だ?


 そこでふと朔也はあの管理者を自称していた人の言葉を思い出して身震いした。


『ちょうど今死んだのがいるから、そこに転移させるわ』


 あの言葉が本当なら、これは死体ということになる。

 急に吐き気が込み上げてきた。自分が見も知らぬ死体の中にいることに言いようのない嫌悪感が湧いてきてしかたがなかった。


 何度か胃液を吐いてから、朔也はようやく冷静になれた。

 とりあえず生きてはいる。

 死体だったかもしれないが、俺は生きている。


 朔也はひとまず安堵するとこの体を調べることにした。

 服はゴワゴワとした肌触りの薄茶色の長袖の上着に同色のズボン。何か所も破れて血が滲んでいる。肘から先に付けている革っぽい見た目の硬い素材でできた腕カバーもどきと柔らかい革製のグローブにも血がべったりと付いていた。腕カバーもどきと同じような素材のベストっぽいものには鋭い穴が開いていた。その下の服も同様だ。とうてい普通の状態とは言い難かった。


 状況的にこの体の持ち主はここで誰かと、あるいは何かと争って殺されたのではないだろうか。

 朔也はそう推測したが、それにしては体そのものに傷はついていないし痛みも無い。まぁ痛み自体は目覚める前にはあったが。

 ともかく今現在は五体満足だ。


 さすがに殺されたままの死体に転移はさせないよな。きっと肉体は修復してくれたんだろう。


 あの管理者だとかいう女性にあまりいい印象はなかったが、ちょっとだけ感謝してもいいかなと朔也は思った。もっともあの管理者がそんな気遣いをするようなタマではなく、傷は朔也が無意識のうちに自己治療したのだが、朔也がそれを知る由は無い。


 ともかく殺された理由も事情もわからないし、殺した犯人が戻ってこないとも限らない。すぐにでも移動するべきだと朔也は判断した。

 立ち上がってみても体に不具合は感じなかった。試しに膝を屈伸して、ついでにうさぎ跳びもしてみたが、運動不足気味だった生前の体よりも動ける気がする。これなら動き回っても大丈夫だろう。


 さて、どこに行くべきか。

 ぐるりと見渡してみるが、どこを向いても木々に覆われた同じような景色だ。その中に一か所だけ下草が踏みつぶされた跡が見られた。それが一筋、木々の間に続いている。

 たぶんこの体の持ち主がやってきた跡だろう。

 他に踏み跡が無いところを見ると殺人犯はこの道を戻って行ったと考えるのが妥当だ。

 朔也はそう推測してそれとは反対方向の藪へ向けて歩き出そうとした。

 その時、その藪を揺らすものがあった。


 まさか! こっちから犯人が戻ってきたのか!


 慌てて身構える朔也が見たものは、藪から現れた灰色の大型犬だった。いや、朔也の頭の中に『森狼』という単語が浮かんでくる。


 なんだ? この体の持ち主の知識なのか?


 訝しむ間もなく森狼はゆっくりとその全身を現した。朔也をじっと見ながらフンフンと匂いを嗅いでいる。


 血の匂いか!


 森狼は朔也が転移した死体から流れた血の匂いにつられてやってきたのだった。

 そう理解して戦慄する朔也の前に、一頭また一頭と藪の中から森狼が現れた。鋭い視線が朔也を捉え、ハッハッと荒く息をする口から涎を垂らしている。それを長い舌がベロっとすくった。

 そこから導かれる答えは朔也に身の危険を感じさせるのに十分だった。


 気づくと朔也は走っていた。無我夢中で森の中を。

 狼に襲われる! 喰われる!

 その恐怖心は一瞬で彼をパニックに陥らせた。そして森狼に背を向けて駆け出したのだ。来た道を戻る選択をしなかったのは僅かばかり残っていた理性の賜物か、それとも偶然か。


 ともかく朔也は走った。

 下草や藪をかき分けてひたすら走った。次の瞬間にも背中にあの狼たちが飛びかかってくるような気がして振り向くことすらできずに走った。

 が、いっこうに森狼は襲ってこない。確かに後方に追ってくる音はする。けれどもその音が大きくなる様子はなかった。

 そこで少しだけ朔也は冷静になれた。そして自分がけっこうなスピードで走っていることに気づく。

 森の中の道なき道を突き進む自分に驚きつつ、これもこの肉体の能力なのだろうかと死者に感謝する余裕が出てきた。

 その余裕は思考にも表れた。


 もしかして追いついてこないのは、走らせてこっちが体力を消耗するのを狙ってるのか?


 そう推測したものの、走ることを止めるわけにはいかない。相手がどう考えていようと、彼には逃げる一択だった。途中木の上に登ろうかとも考えたが、その先の展望が思いつかず、その案はあっさりと捨て去った。


 とにもかくにも走るしかない。幸い、息は続いている。ていうか全然上がらない。疲れも感じられない。驚愕の体力だ。まだまだいける!


 そう思った朔也の眼前に、突然障害物が現れた。

 土の壁だ。高さは2m程。上の方は草で覆われているから低い崖なのだろう。

 ぶつかる覚悟で急制動をかけると、思いのほかスピードを殺すことができて壁の直前で止まることができた。

 つくづく性能のいい肉体だ。この死んだ男(股間に馴染んだ感触があった)はいったい何者だったのだろう。それを死に追いやった相手はもっと凄いのだろうか。この傷はたぶん武器によるものだろうから、あの森狼のような獣ではなさそうだが……。


 そこで朔也の思考はすぐに現実に戻った。森狼だ。追いつかれたのだ。

 崖は左右に続いていて、逃げるならこれをよじ登ればいいのだが、


『ポイズンアイビー 葉に触れると酷くかぶれる』


 という知識が頭の中に浮かんできたせいで、その案を躊躇ってしまった。

 動きを止め焦ったように崖と森狼を交互に見やる朔也に、4頭の森狼がのっそりと歩いて近づいてきた。ハッハッと舌を出して荒い息をして、すぐに襲い掛かってこようとはしない。


 いや、案外疲れているのか?


 朔也が眉を顰めてほんの少し緊張を緩めたその瞬間、不意に左の藪から一頭の森狼が襲い掛かってきた。


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