ハーレムとか無理過ぎる 2
宇賀神朔也がこの世界に転移して3年が経っていた。
いや明確に年月を把握しているわけではなかったが、ただ太陽や星の動きと植物による季節の移ろいでおおよその1年を推測しているに過ぎない。それで十分だったしそれほど間違ってもいなかった。
朔也は快調に廃村ライフを送っていた。
畑は雑草を抜き、豆や根菜類、葉物を育てた。区画も整えた。時々畑の作物を狙って野性の動物が侵入してきたが魔法で対処していたらそのうち来なくなった。学習能力はあるようだ。
家も修繕した。家具や道具も充実した。他の家から使えるものを拝借し、どうしても無ければ自分で作った。その時は魔法が大いに役立った。
広場や道は石畳風に舗装して、温泉プールも石壁調にした。浴槽も新調した。プールの傍に熱めの浴槽を、温めの浴槽は南側(太陽の高度が一番高くなる方をそう決めた)の見晴らしのいい場所に大人4人が余裕で入れる大きさのものを作った。朔也一人しかいないのにそんなに大きなものがいるのかと言われそうだが、大きい方が気分がいいのだ。
調理もそこそこうまくなった。幸いなことに岩塩が各家にあったので、それを使うと格段に美味かった。主食は豆と根菜。トウモロコシのようなものもある。後は葉物と果実。栄養的にもこれで十分だろうと朔也は思っている。
問題は衣服だった。残されていた服はほとんどが虫が喰ってぼろぼろで着られそうなものはあまり手に入らなかった。なんとか大丈夫そうな部分を継ぎ接ぎして着ているのが現状だ。
まぁ誰に見せるわけでもないし、なんなら気候さえ許せば素っ裸でもよかった。
朔也はコミュ障だが引き籠りではないので村の外へも行ってみた。森しかなかった。ただただ森だった。幸いテレポートできるので結構な距離を探検できた。
テレポートは視認できる場所なら簡単に移動できる。また、十分に認識できる場所なら見えていなくても転移できるので、帰りは村まで直行だった。
この探検で似たような廃村を2つ見つけたのが収穫だったといえる。物資はそこからも調達させてもらった。
あと森を抜けた先に人が住んでいる小さな村を見つけたが、特に関わりたくはなかったので遠目に見ただけで近づきはしなかった。
ともかく、朔也はこの異世界の廃村で充実したスローライフを満喫していたのだった。
そんなある日。
朔也は森の気配がいつもと違うことに気づいた。これは森を探検中に身に着いた能力のようで、意識すれば半径50m程度の範囲で動物の動きがなんとなくわかり、意識しなくても空気感とでもいうものがぼんやりと感じられるようになっていた。地味に曖昧な能力だが案外役に立っていた。
なんとなく気になった朔也は森に行ってみることにした。おおよその当たりをつけて目印にしている太い木の枝の上にテレポートする。
すると眼下に森狼の群れが獲物を襲っているのが見えた。それ自体は特に変わったことではなかったが、その獲物を見て朔也は驚いた。
人だ! ……あ、いや、人……なのか?
かなりの怪我を負い服を血塗れにしながら必死に剣を振る姿はまぎれもなく人間で、しかも若い女性に見えるのだが、その緑の髪に水牛のような角が生えていた。よくよく見ればその角も緑色で髪が捻じれて角のようになっているのだった。
朔也はこんな角に見覚えがあった。あれはこの異世界に転移してきたなりに戦った角森狼だった。ヤツも額に毛を捻じれさせた角を生やしていたっけ。
過去の死闘に思いを馳せているうちに彼女の状況は切羽詰まっていた。もう立っているのもやっとみたいですぐにも森狼の餌食になりそうだった。
「やばっ」
思わず漏らした声に森狼たちが反応した。ひどく怯えておろおろとし出した。そのうちの一頭が朔也の存在に気づくと一目散に逃げだした。それにつられて残りも逃げ出す。
どうも朔也は森狼たちに嫌われているようだった。森の中を歩いていても決して襲おうとしないし近づいてもこない。なんなら他の動物もそうだった。この森の主であった角森狼を倒した朔也は新たな森の主として恐れられていたのだ、
森狼が逃げ散った後には倒れた女性だけが残っていた。
朔也は困っていた。迷っていた。彼女を助けるべきか否か。
朔也はコミュ障ではあったが自己中ではなかったし薄情でもなかった。ただ一人でいるほうが楽だと思っているだけで、助けが必要な人がいて自分の他に助けられそうな人がいなければ手を差し伸べることも吝かではなかった。あと、気絶してるっぽいので会話をしなくてもよさそうだというのも大きかった。
朔也は地面に下りて彼女の元へ歩み寄った。怪我はけっこう酷そうだ。早く治療したほうがいい。
そこで朔也は彼女の角が無くなっていることに気づいた。確かに緑の髪が巻いて角のようになっていたはずなのに、今は長い巻き髪が乱れているだけだ。
不思議ではあったが、まずは治療が先だ。ともかく家に連れて戻ろう。
朔也はちょっと躊躇ってから彼女の体に手を触れた。次の瞬間二人の姿は森の中から消えていた。
朔也は怪我を負った女性をソファーに寝かせた。
ベッドにとも思ったが、1枚しかないシーツ代わりの布に血が付くのはご遠慮願いたいところだった。ソファーに使われている魔物の革は拭けば大抵の汚れは取れたし。
ソファーに横たわる女性を観察する。決して疚しい心は無い。
傷は右のふくらはぎが一番酷そうだ。血まみれのズボンを裂いて傷口を露出させる。森狼に噛まれたのだろう。ぐちゃぐちゃで一部肉も削げていた。
朔也は水魔法で汚れを丁寧に落とし消毒効果のある草の葉を押し当てると、治れー血ぃ止まれーと念じた。こうすると大抵の傷は治ったのだ。もっともそれは朔也自身の体でできたことで、他人の体での試行は当然初めてだった。
朔也の治癒魔法は自分以外の体でも十分に効果を発揮できた。それほど時間をかけることなく大きな傷は塞ぐことができた。多少跡が残っているが応急処置なので我慢してもらおう。残りの傷も同様に治していく。朔也自身は気づいていないが、彼が注いだ魔力は失った血の代わりとなって彼女の生命力を支えていた。
精神的に余裕ができた朔也は改めて女性のことを注視した。
年齢は20代前半だろうか。汚れてはいるが肌の色は白く、彫りの深い顔立ちの美人だ。緩く巻いた髪は地球ではコスプレ以外では見られそうもない綺麗なエメラルドグリーン。そこから覗く耳の先が尖っているのも異世界の住人であることを感じさせた。服装は丈夫そうな上着とズボンに編み上げのブーツ。わりとスレンダー……いや、それ以上はいけない。
それよりもこの人は何者だ?
落ち着いた寝息を立てている美人を見つめる。
確かにあったよな、角。ていうか髪? そういう髪型が流行ってるのか? あと、なんで森の中にいたのかな。この3年間森に入ってきた人なんて一人もいなかったんだけど。
どれもこれも彼女が意識を取り戻してから聞いてみればいいことなのだが、コミュ障の朔也にはハードルが高かった。そこで鑑定を使ってみることを思いついた。森にいた理由はわからないかもしれないが、少なくてもこの人が何者かはわかるだろう。
けれどもそれは個人のプライバシーを盗み見るようでドキドキ、もとい倫理的にも道義的にもいかがなものかと激しく自問自答せざるを得ない行為だ。
そして脳内会議が紛糾している時、ドアをノックするような音がした。しかしここは無人の廃村だ。ドアをノックする人間などいない。きっと風の音だろう。朔也はそう結論付けて脳内会議を再開しようとした。するとまたノックの音が聞こえた。
「誰かいないか」
女性の声までした。間違いなく何者かが訪ねてきたようだ。
意識を向けると、ドアの向こうには確かに人間らしき影が3つ感じられた。うちひとつの影は薄い。
なぜ人が訪ねてくるんだ? もしかして村の住人が戻ってきたのか? どうする? 出るか? 居留守か?
と悩んでいるうちに三度ノックの音がする。そして、
「誰かいないのか!」
女性の声に少しイラつきが混じった。
その声音に、ちょっと出てみようかと思い始めていた朔也の気持ちが居留守を使う方に傾いていく。
このまま返事しなきゃそのうち諦めるだろう。うん、そうしよう。
そう決めた途端、
「勝手に入らせてもらう」
声の主と思しき女性が本当に勝手に入ってきた。
その頭にはやはり髪が捻じれた2本の角があった。