前世と記憶と選択肢
その日の夜も、また夢を見た。
『ゆいこ、ゆいこ…』
まただ。またあの声が私を呼んでいる。
声を追って海面に目を向けた私はハッとした。沈んだ暗い闇の中、誰かがこちらを見つめているのが見えたから。
(あの人だ…!)
遠くて顔は見えないが、不思議と今までの声の主がその人だと確信した私は、服が濡れるのも構わずザブザブと海に入って行く。進んで進んで…少しずつ距離が縮まっていく。そして私の両目がその人の顔をハッキリと捉えた瞬間。
雷に撃たれたような衝撃が全身を駆け巡り、忘れていた記憶が濁流のように脳に押し寄せてくる。
そうだ、あなたは…
「タク、ミ…?」
「やっと会えたね…ゆいこ。」
そう言って微笑んだ彼…タクミには、私と同じ2本の足はなく、代わりに青く美しい尾ひれがついている。
彼は人間ではない。深い深い海底に棲む、人魚と呼ばれる生き物だ。そして、今のゆいこになる前のかつての私も…彼と同じ、海と共に生きる人魚だった。
タクミはゆっくり近づいてくると、ずぶ濡れになった私の体を抱きしめる。
「ゆいこ…僕はずっとこの時を待ってた。君が人魚の掟に背いて泡になったあの日から、太陽が隠れて君に会いに来れる日を、君を迎えに来れる日を…100年間ずっと。」
「タクミ…」
そう話すタクミの腕は僅かに震えていた。
《100年に1度。太陽が隠れる日を除き、人魚は海面に行く事を許されない。掟を破った人魚は姿を失い泡へと還るだろう。》
幼い頃から、大人達にきつく言い聞かせられていた掟。
必死に制止する彼の声を振り切り、海面へと泳いで行ったあの日を思い出す。家族のように仲が良かったタクミは、どんな気持ちで私の背中を見送ったのだろう。
「ゆいこ…これを飲めば君はその足と引き換えに人魚に戻る事が出来る。」
一緒に帰ろう?
そう言って差し出された手に、私は躊躇する。
でも悩む時間はない。残り1時間。今日という日が終われば、タクミは100年後まで海面に上がる事が出来ないのだから。
人の姿と地上での生活を捨て、再び人魚になるか。
100年間私を待ち続けてくれた彼との別れを選び、人間として生き続けるかー。
(私、わたしは…)