表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

愛着障害

作者: 小波

私は大人の愛着障害。それを抱えていると気づけたのは2度離婚した後だった。なぜこの言葉に出会ったのか記憶は定かでないが、その頃アダルトチルドレン、インナーチャイルド、機能不全家族、毒親、この辺りをよくスマホで検索していた。愛着に不全を抱えているから誰と一緒になっても同じなのだった。

 

ある日のカウンセリングで私は医師にこう言った。

繋がれそうで繋がれないんです。それが辛いと。

今話をしている私と内心の確実な本音の部分は切り離されてるらしかった。その事を現在口を動かしている方の私は心配なんだと訴える。その人は辛いことが起こると感情を殺すやり方で生き延びようとする。そんな私は心配だと。

医師にこうも伝える。元夫と実家、この二つと私の関係性は同じだったと。安心でないし、なんなら苦しくて仕方ないのに何故か私は元夫の側に居ようとし続けたし、実家についても同様の感想を持っていると。

医師はこう伝えてくれた。

人は轍のついた道をついつい通ってしまうと。何も考えず無意識で。通い慣れた道だからというそれだけの理由で。轍があるので車輪が簡単に入ってしまい自然とそこを通ってしまうって。それが自分の幸せかどうかは別にして、ただ走りやすいからと。とても怖い話しだった。私はそこから抜け出せそうな気がしていた。だから元気な私も見たし見せたし診療に行かなくなった。その後も色々読み漁り、出来上がった轍の道は潜在意識というものなのか?と思う。


 愛着とは何か。親を信じたい気持ちから生まれるものだと思う。だけど親は信用に値しない人間だった。それでもなんとかわたしは自分を培ってきた。小さな子供は親から一体何を習うのか。信頼関係なんだと思う。ではなんらかの理由で親が病んでいたらどうするか。私の場合だと攻撃されない子供で居続ける、だと思う。いい子だ、手がかからなくて良かったね、そういう子供だ。親は私を可愛いぬいぐるみだと誤解したままだったので確実な本音の方は白けていった。調子に乗ってる親だった。親の馬鹿騒ぎをみて育った。自分達が居なければ何にも出来ない子供に育ってくれる事を実行していた。そして、みんな何も出来ないし親にお金を持ってこないと嘆いていた。愛情というのはその人のありのままを見つめる事だと思う。ありのままの意味も知らない親達はありのままでない姿で生きる事を人間の成すべき姿だと誤解している。立派なのだと。親自身が自分から目を背けて生き延びて

身を粉にして働く事を美徳としてあるいは当たり前として、子供にはあんた達は楽だよねと言い放つ。

 

 親子は人間関係の基礎だと読んだ。ここで習った事をまた外でも行うのかな。だけどここは親と子、その後探したのは私と彼氏。小学校の高学年くらいまでは家庭にスキンシップがあった。その後自然となくなり、男の人を彼氏に持つまでの間、わたしを抱きしめてくれる人はいなかった。不在の期間が続いた。一緒の布団で眠る人、手を繋いでくれる人、単純な愛情の飢えに駆り立てられた。外の世界に親の様に愛してくれる人を探したのか?別の関係性なのに。

探したんだと思う。轍に足がぬかるむ様に。私を幸せにはしなかったその関係性を恋と呼ばれるものに再現させる。

自分の様で自分ではなかった、行動の全てがひたすら何かから逃げる様に何も無い場所を漁っている様に今は思える。恋愛でトラウマを持った人はその問題を自分で解決するためにわざわざ問題が起きる様に関係性を仕向けてしまうのだという。そして、何度も同じ理由で別れたり、誰と付き合っても浮気される、DVにあう。無意識で行っているらしい。無意識で向き合っている、無意識でなんとかしようと試みている。それほどのトラウマを見ようとはせずに。

人って恐ろしいなと思った。

 


私はこれからどうするだろう。私に正しい人間関係はわからない。今日も距離感のおかしい老人にドスの効いた声で絡まれた。意味がわからないけれど私の娘が人懐こいのでこういうことも起きるし私も自分の対応で合っていると思ったら絡まれてしまった。距離感は課題だ。人に頼る方法も課題だなあと思う。

私が抱えている愛情、愛着の問題正面から向き合わなくても

すんなりと関われる相手が現れるのだろうか。安定型と呼ばれる人達と。以前から私の周りに来る男性は(私が選ぶ男性も)家族構成が機能不全であったり(偏見になるかもだけど実際本人が単純な性格ではなかった。)、両親が揃っていても親子関係が繋がっていない様に思った。それしか見てない私は、こう思った。やっぱり普通の家なんて無いんだ。

普通なんて幻想なんだ。でもまた情報を探りあてて入手する。

普通は幻想、だけど私が幻想でしか無いと思ってる情景を割と多い数の人達がそういう幻想はたまに経験してるらしかった。

私は無いものは知らなかった。無いという事実も私に刷り込まれた普通だし全くそこに興味はなかった。無いから探しに行ったと思う。追いかけてくるものを見ないように振り向かない様に漁り続けた。わたしは見たくなかった。親の愛に飢えてるという自分を。飢えてはいるけど一生親からそれはもらえない事実を。だから誤魔化しながら生きてきた。親よりも大人のふりをして、ある時は親を笑わせる役をして。赦しているふりをして。人間関係が上手く回ってるふりをして。

色んなふりをして、傷ついている自分に蓋をして、蓋がガタガタと騒ぎ立てるともっともっと強固に閉めようとした。

結果は暴れてる蓋の下の自分が正しかった。傷ついた私を私がジャッジした。あんたは弱いと。弱いから役に立たないと。だから強い私が全部引き受けて頑張っているんだからと自分に対して威張っていた。何度もそれを繰り返し、私という船は何度も沈むのに。

ぬかるむ轍に慣れきった潜在意識を私はこれからどうしよう。不幸なくらいが安心できると逃げ続けたら親を超えられなかったということになる。慣れとは怖い。轍のない道は歩きにくい。歩きにくいから不安になる。ここで良かったのか、これで合ってるのか、私はどこに着こうとしているのか。答え合わせをしようにも正しい安全を知らないのだから

仕様がない。答えが無い。新しくつくるしかない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ