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幻の空母

作者: 雨宮雨彦
掲載日:2022/10/25


 広島県の呉港といえば、戦艦大和が建造された場所でもあり、戦時中の軍事機密の厳重ぶりは大変なものだった。

 周辺では写真撮影どころか、一般の立ち入りも禁止されており、鉄道線路だって、軍港が見下ろせるあたりは板塀の目隠しが何キロも続き、乗客の視界をさえぎっていたほどだ。

 終戦直後、僕はその呉で生まれ育った。

 当時の呉の町は、ひどく過密だった。

 戦災を受け、周囲の町々から避難民が集まったからだが、海外からの引揚者がそれに加わり、山と海に挟まれて元より大きな町ではなく、住宅難が慢性化したのだ。

 空き地などまるでなく、道は狭く常に人だらけで、風がピタリとやむ夏の午後には、空気の中で真っ赤にゆで上がるような気がした。

 僕が6歳になる頃には小学校は超満員で、狭い教室に60人もの子供がひしめき、校内は常にバタバタして喧嘩や揉め事が絶えず、限界に達しているのは誰が見ても明らかだった。

 どうあっても小学校をもう一つ作る必要がある。

 だが、そんな土地がどこにある?

 ついに市は、あの空母に目をつけたのだ。

 日本海軍の航空母艦で、造船所で建造され、大体の形ができて海に浮かんだのは良かったが、そこで終戦を迎えた。

 まだ正式な艦名は決まっておらず、最後まで無名の船だったようだ。

 工事半ばで放置され、今はただ大きな体で、港にプカプカ浮かぶだけの存在だった。

 この時点で財務省の管理下となっていたが、巨大な船体は莫大な係留費を発生させたから、財務省は毎月かなりの金額を市に収めていた。

 そこへ、これをゼロにしてやるどころか、毎月の賃料まで払ってやると市から言われれば、頭の固い役人たちもついに首を縦に振ったのだ。

 翌週から空母を小学校に改造する工事が始まったが、ぎりぎりで間に合い、翌春僕は空母小学校に入学することになった。

 正式な校名がもちろんつけられていたが、誰もその名で呼ぶことはせず、『空母小学校』のほうがよっぽどよく通じた。

 入学して鉄の階段を上がり、初めて校庭に立った瞬間のことをよく覚えている。

 校庭は元の飛行甲板だが、とてつもなく広い。

 その遥かかなたに、司令塔を改造した校舎がポツンと立っているのだ。

 授業内容は普通の小学校と同じだったが、校庭での遊び方は少し違っていた。

 走り回るのはいいが、ボール遊びはあまり勧められなかった。

 校庭を囲むのはフェンスだけだから、ボールは簡単に飛び越え、はるか下の海に落ちてしまうのだ。

 それでも、少々波の高い日であっても甲板は微動だにせず、

「さすがは軍艦だなあ」

 と感心したものだった。

 だがそういう学校生活も、ついに終わるときがきた。

 山を切り開き、新しい小学校が開校したのだ。

 僕たちは全員がそちらへ転校し、空母小学校は閉鎖された。



 あの空母がついに呉港から運び出されるというニュースを聞いたのは、中学に入ってすぐのことだった。

 市役所の誰かが口を滑らせたらしいが、良いにつけ悪いにつけ、空母は町のシンボルだった。

 僕のようにそこで学校生活を送った者もいれば、巨大な船体ゆえの日当たりの悪さに悩み、市役所へ苦情を入れた者。

 校門と呼ぶべきなのか、学校への出入口が長い鉄の階段一つしかないことに目をつけ、放課後の児童相手に紙芝居屋を開いた者。

 日曜日に忍び込み、甲板から長い釣り糸をたれた者と、思い出は様々だったのだ。

 噂は町中を駆け巡り、空母が港から運び出される予定日も、すぐに市民の知るところとなった。

 誰からということなく、その日の朝から港は長い行列と黒山の人だかりとなり、もちろん僕もその中にいた。

 まさか軍国主義の再来を警戒したのか、警察まで出動して見張りにあたっていたよ。

 だがおかしい。

「準備に手間取っているのだろうか」

 と思ったが、それにしても遅いようだ。

 12時ちょうどに離岸の予定が、もう2時をまわっているのだ。

 最初に2隻だったタグボートも、いつの間にか5隻に増えている。 

 それを5隻とも空母のへさきにつなぎ、フルパワーをかけて、「せーの!」でけん引することになった。

 5つの煙突が黒い煙をもうもうと吹き上げ、スクリューは壊れんばかりに回転し、あれはなかなかの眺めだったよ。

 それで結果はどうなったのかって?

 それでも空母は動かなかった。まったくの1ミリも…。

 そのかわり、空母のへさきが突然ペキンと折れた。

 まるでキュウリを折るみたいにしてね。船体は真っ二つだ。

 整備もされないまま長年海に浮かべられていたせいで、サビが進んでいたのか?

 いや、そうじゃないことは、折れた断面の様子から明らかだった。

 船というのは、空き缶みたいに中身が空っぽのものだ。

 空っぽだから、重い鉄でできていても水に浮くことができる。

 でも、あの船体は空っぽじゃなかった。

 まるで石ころみたいに中身がつまっていたのだ。

 コンクリート製だった。

 見ても分からないように、外面は軍艦らしく灰色に塗装されていたが、中身は中心までコンクリートがつまっていて、あんなものが水に浮くはずはないよ。

 船底は最初から海底に接触していたんだ。

 どんなに波の荒い日でも、びくともしなかったのは道理だよ。

 戦争末期、新しい船を作ろうにも、日本海軍にはもう鉄がなかったのだろうね。

 それでもアメリカのスパイは国内に入り込んでくる。

 米軍機が飛んできて、あちこち偵察をしてまわる。

 だから巨大空母を建造中であると見せかけて、戦況を少しでも有利に運ぼうとしたのだろうね…。

 その後、コンクリート製ニセ空母はどうなったのかって?

 解体されたよ。

 固いコンクリートだからずいぶん手間取ったらしいが、削岩機でバラバラにしてトラックで運び出し、埋め立て地の基礎に使われた。

 ほら、君がよく行くあのショッピングセンターさ。

 あれは埋め立て地に立っているのだよ。

 これまで君は知らず知らず、ニセ空母の残骸の上を歩いていたのさ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 解体しなくったって、する必要があったんでしょうが変形とか増設とか擬態とか糊塗とかいくらもやりようが……中途半端に残ってるよりは面影もないほーがいいんでしょうか、元よりニセモノだったのだ、がっ…
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