7割の悪人
我々は常に何かに追われて生きている。それを象徴してるかの如く、ラッシュアワーは殺伐としており、その絵面は最早戦争に近い。発車時刻に追われプラットホームを前人未到の大台に到達する速さで駆け抜けては、「駆け込み乗車はおやめください。大変危険です。」という構内アナウンスは栄光への架け橋だと思い込み、「絶望」「使命」「義務」「労働」経由「現実」行きの電車に乗り込むのである。馬鹿げた御伽噺に聞こえようと、我々は稼がないと死ぬ。肉体的な面もそうだが、働いていないと社会的に死ぬ。
この殺伐としたプラットホーム…つまりここはさながら戦場というわけだが、そこに降り立つこと。これから戦禍へと向かうこと。それが即ち生きている証明なのだ。馬鹿げてる。上手く稼いで生きていけないものか。そんな邪な言葉も行き来するだろう。
暗闇以外に何もないこの世界で、僕らはどうやって光明を探すと言うのだろう。どんなターミナルを経由しても、「明日」行きの電車に乗ることは出来るのに、その経由地に「希望」はない。
革命でも起きないだろうか。
起きるわけない。そんな何処かのSFや時代小説の様な出来事なんて、現代のこの世界で起きるはずもなかった。突きつけられる現実ばかりがいつも鋭利に心に突き刺さる。
毎週毎週、何年もの月日をかけてようやく土日が訪れているような感覚だ。平日の5日間は永遠より遥かに永い。命尽きる時までに、悪事を働き、地獄に堕ちるとしたら、地獄とはここかもしれない。俺は一体何をしているんだ…。
本宮創爾はようやくの休みである土曜日に、物思いに耽っていた。革命など起きない、暗闇の時代。街を歩く人は眼に力を宿さず、死とイコールの状態のままで、日々を生きてる。いや、この過酷な社会に「生かされている」状態だ。
でも誰も声を上げたりはしない。何かを失うからだ。そうしたらそれこそ読んで字の如く、「生きていけない。」それに、大切なものを守れない。労働こそが人間の生きる術であり、その全てだ。
それが根本にあること、いや、この国の人間には息づいていることを、上層部は理解している。それはそうだ。彼らがその糞みたいな「風習」だの「習慣」だのという「暗黙の了解」的「掟」を作り上げてきた悪の根源だからである。淘汰…いや、排除されるべき、この国の「癌」である。厄介なのはそれに気づいてないことだ。昨今さまざまな企業で若手の社長は増えてきているものの、未だに50代以上の社長の割合の方が圧倒的に高い。むしろ2020年には、50,60,70代社長の割合は全体のおよそ7割程を占め、社長の平均年齢も1990年以降初めて60.1歳と60歳を越えた。未来を担うはずの30代以下はその中の0.2%にしか満たない。スキル的面もおよそ影響してるのは間違いない。しかし、その悪の根源である「7割」に社会そのものをコントロールされ弾圧されているのも間違いではないのだ。しかしそれは「正」とされる。坂本龍馬には申し訳ないが、我々に夜明けなど来ない。半永久的な暗闇の中で、泥水より汚れた何かを啜りながら生きるほかない。
そう。革命など起きないのだから。
----------気づいたら泣いていた。あれ、なんでだろう。どうして…私。また渡さなかった。あのクソオヤジに…。あいつ…あいつ…!!
東雲七瀬は退職届を握りしめて、家の最寄駅のペデストリアンデッキで佇み、泣いていた。それは悲しみではなく、いや、悲しみもある。だがこの涙の意味の大半は、怒りだろう。「女」=「ハンデ」そうインプットされたまま浦島太郎の如く時間だけがすぎたような会社で彼女は今日もハンデ扱いのまま働いている。男社会に異物として放り込まれた、足手まとい。そんな認識なのだろう。どんな企画書も「女」だから通らない。
---------あーあ。革命でも起きないかな。
起きるわけない。そんなことは東雲七瀬自身が1番わかっていた。そんな力が自分に無いことも。無力どころじゃない。女だからと区別をされ、戦力値は何ならマイナスだ。そして誰も助けてはくれない。だがそんな東雲も、「女性が活躍する社会」など、女性が優先されるような促され方に、納得してるわけではなかった。気持ちはわかる。言いたいことも痛いほど理解出来た。だから欲しいものは「優先」ではなく「平等」である。同じフィールドに立ちながら、同等の扱いを受けないことへの不満が今、東雲七瀬を苛んでいる。
7割の悪党どもはいつまでこの社会に蔓延るのであろうか。実力、そして権力を振り翳し、弱きを挫く。
そんなことを言っておきながら、こちらも落ち度がないと言い切れないこともまた事実である。ステータスが上の席…そのポジションに相応しくないからそこに行けないのだ。だが、公平な評価などそもそも存在しているのかは疑問を投げかけたいところである。
それは東雲七瀬の待遇がおおいに物語っていた。
状況を変えたい、変わりたい。そんな気持ちは誰しも抱いているに違いない。しかしながら何処か、世の中、環境、そう言った外的要因の所為にしては、予防線を張っていて。心の中で渦巻くさまざまな感情をコントロールしながら人は日々を…この戦を生き抜いていた。
革命の時を信じて。
最寄り駅を降りて家路を行こうとペデストリアンデッキへと歩を進めると、1人の女性が蹲り、涙を流していた。不意に見えた彼女のその目は、様々な感情を宿したような鈍色をしていた。どこか、悲哀や喪失…そう言った負の感情も纏っているようで、それは何故か、自分と通ずるものがあるように感じていた。そう思った途端に他人事に思えなくなっている自分がいた。声をかけるべきか、いややめて無視を決め込むか。悩んでいると、彼女が一言、
「あーあ。革命でも起きないかな」
とギリギリ僕の耳に届くくらいの声で呟いた。その言葉が聞こえた途端、僕はもう彼女の元へと向かっていた。そして蹲る彼女の眼前に立ち、
「起きるのを待ってたらきっと僕らは死んでる。起こすんだよ。」
結局、SFの類への憧れを捨てることも出来ず、とても叶えられるはずもないような夢話を見ず知らずの人に発していた。
でも、そんな頭が狂ったようなこの発言が、革命の始まりなのかもしれない、と、SFに侵された僕の脳はそう感じていた。